第46話 ベラケレスの論理 一人じゃない
ヒロユキとコリンダーの、そしてカンティーナの物語がゆっくりと確実に動き始めていた、その頃。
誰も気づいていなかった。
その裏で、もう一つの小さな世界が崩壊しかけていたことを。
長い時間、誰よりも冷静であり続けた「彼」が、初めて自分自身の感情に向き合おうとしていたことを。
* * *
彼女を……マスターを、電脳ハンター統括の地位に押し込めたこと、悪かったとは思っています。
本当は、もっとずっと広い世界で羽ばたける人だったから。
でも、結果的に、恋愛する暇も無いくらいに忙しくなってくれたことを、私は喜んでしまいました。
どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。
それは――単純な話です。
彼女と出会ってしまったから。
いや、もっと正確に言うなら――。
私は一度、人間を愛することはやめたはずだった。
* * *
日本で最初に電脳ハンターとして活動した2042年の1期生ハンター、山峰翔吾は電気工事士上がりだった。
ツルンとしたスキンヘッドに厳つい体、身長は170センチ程、その割には体躯は横に大きく、胸や腕は丸太のように厚い。工具箱を軽々と肩に担ぎ、床がたわむほどの重い足音を響かせて廊下を歩く。
その巨躯に、すれ違う者は、みな目を見張った。
その割には、一旦作業に入ればずんぐりと太い指で繊細なケーブル配線を素早く正確にこなす。びっくりする若い技師たちに、茶目っ気たっぷりに握り拳を作ってやってウインクしてみせる、そんな男だった。
そしてベラケレスの最初の相棒でもある。
何週間にも及ぶ研修の中で「ぼっちゃんや」としか呼ばなかった山峰が、初めてベラケレスに向けて「おーいベラケレスー!」と呼んだ日。
当時はもう少し可愛げを残していたベラケレスは、少し得意そうに「ふん」とだけ返事した。
後日ベラケレスはその録音音声を3回再生した。
システムチェックのためだと本人は主張していた。しかし、人けの無くなった暗いサーバ室の隅で、パソコンモニタに向かって「ふふ……」とつぶやく姿を指摘されて「しりません」とそっぽを向いていた。ちょっとその耳が赤くなっていたのを同僚たちは見逃さなかった。
しかし、その数日後、ベラケレスはそんなことは嘘だったかのように、怒り心頭で山峰を睨みつけている。
「……待ってください。毎朝『手動再起動』してたんですか?」
山峰が、転送口の横の生体確認装置の赤いボタンを押して再起動させたのを目撃したためである。氷のような美貌を無にして山峰に向けるベラケレスに、山峰は軽い調子で頷いた。
「ん? ああ」
ベラケレスの冷たい怒りなど、どこ吹く風である。
「……そんなやり方は運用手順書にありませんよね?」
「だって毎朝やんないと落ちるしー」
子供のような口調で指でボタンを押す真似をする。そのふざけた顔に怒りをさらに煽られてベラケレスは壁を拳で打った。
「聞いてません」
「いやだいぶ昔からみんなやってたぞ? 大事なんだって」
電脳空間転送装置を、まるで自分のツルツルの頭をなでるように柔らかく撫でながら、山峰はのんびり言った。
「永久基幹装置ですよ。毎朝の手動再起動が必要? 寝言は寝て言え」と冷ややかに突き刺すベラケレス。
それに取り合わず、山峰はのんびりと顎を触っていた。しかし結局、あまりにも冷たい目を向けられるもので「さむい、お前が怒るとなんか気温が下がった気がする」とつぶやいて肩をすくめてみせる。そしてぽんと膝を打って言った。
「んじゃー確かめてみるか。明日な、朝、7時半、転送装置の前集合」
遊びの約束でも取り付けたような気楽な様子で山峰はウインクして電脳空間に消えた。
次の日。
ベラケレスには、来ない選択肢もあった。
だが、ベラケレスは7時28分にはオフィスにいた。
「今から行くぞ」と腕を引っ張る山峰に、不自然にベラケレスがよろける。
「ん?」と眉をひそめる山峰に「……朝は……」ベラケレスが苦い表情をする。そのまま足を引きずろうとするのを、山峰が押し止めて、そのズボンの裾をまくった。
左足一面に紫の斑点と赤いミミズ腫れが広がっている。ミミズ腫れはふくらはぎから始まって、のたうちまわる蛇のようにうねり、踵まで広がっている。
「……なんだこりゃあ」
「……古傷、です。電脳空間初戦で。もう1年経つので、痛みはない。ただ、朝は、温まるまで動かない」
「直せよ」
声を荒げる山峰に対してベラケレスは静かに裾を引いた。
「……1か月以上稼働できなくなるんですよ、安静ポットに入ると。私以外に電脳空間戦闘ができる回線AIが、今の日本にいるとでも?」
強い目に山峰は怯んだ。
当時、電脳空間にダイブできるAIは限られていた。転送装置の作りが人間用に寄っていて、AIの脳構造に配慮されていなかったため、個体差が顕著に出た。日本に感情自律AIは15体ほどいたが、転送装置への適性があるAIはベラケレス以外にはいなかった。自然と、電脳空間でAIが行なう業務――特に回線混雑調整や、危険レベルの電流を纏うエンダーとの戦闘全般――をベラケレスは一人で行っていた。
ふと思い至る。
こいつ、休んでないんじゃね?
朝、電脳空間にログインしたら毎日いるぞ、こいつ。
山峰は舌打ちした。
「いつから……ここは、こんなディストピアになっちまったんだよ」
山峰は、ベラケレスの冷えた目から顔をそらした。
代わりに、腰に手を回すと細い身体を担ぎ上げる。
想定外の挙動に慌てたベラケレスは「何をする!?」と肩の上で暴れるが、山峰の体躯はびくともしない。
「お前軽すぎじゃないか。もう少し筋肉つけんとモテんよ」
「知るか!! 離せ、降ろせ!」
男一人を担ぎ上げて歩き出す山峰の顔に手を出そうとするベラケレスだが、届かない。逆に山峰に頭をつかまれ、顔を寄せられて唸った。
「……ま、あんま気張るなよ。寿命が縮むぜ。もすこし楽にいこうぜ、俺らが支えるよ」
雑に頭を撫でられて憮然とした表情をしていたベラケレスだったが。
「降ろせ……」と力なくつぶやく。
「はいはい」
「今すぐ……」
「ほぉい」
「……聞いているのか」
「おー聞いてる聞いてる」
楽しそうに階段を降りていく山峰の肩の上で、だんだんその揺れが心地よくなってきて、不覚にもベラケレスは少しうとうとし始めた。
やがて肩の上は静かになった。
着いた先は電脳空間の転送装置前で、それが目に入った瞬間、ベラケレスは言葉を失った。
ずっと手前から鼻をつく人工の匂いが溶けたケーブルの被覆材だとやっと気づく。
回線装置につながる3本のケーブルは、すべて焼け焦げて中身の配線をむき出しにしていた。
そんな装置が一つや二つではない。
山峰が奥から引っ張り出してきたケーブルは、束になって消炎箱に入れられていた。
「そんな……」
「な? 1日再起動しないで放るとこうなっちまう」
「ど……どうして。開発部に連絡を……」やっとのことで口から言葉を紡ぐベラケレスを、山峰が止める。
「やめとけ。今、正念場なんだよ。こっちももう少しで原因究明できる。それまでの辛抱さ。今は……まだ報告すべき時じゃない」
「しかし……」
「お前だけに背負わせてるわけじゃない。見えないかもしれないけど、みんな戦ってる。それぞれの持ち場で」
ベラケレスの電脳空間での業務は多岐にわたり、いつでも余裕はなかった。
しかし、ベラケレスには休めない理由がある。
前任のアーバンクロノスの存在だった。アーバンクロノスは5年もの間伝送路を一人で完璧に管理し続けた。今や伝送路の規模は10倍にも膨れ上がり、仕様も複雑になったとは言え、できない言い訳にはしたくなかった。
戦うことは自分のプライドを保つことでもあった。
「インフラってのは一人じゃ支えられない。お前が一番分かってるべきだ。今の伝送路の、間違いなく、お前がボスだぜ。伝送路4002番の総大将さんや」そう言ってベラケレスの足元をちらりと見る。
静かな沈黙が流れた。
ベラケレスは山峰をじっと見た。転送装置ができてから122日。山峰が朝ミーティングに遅れてきた回数、119回。ずっとここに寄っていたということに気づく。
山峰の瞳は迷いも、気負いもない。ただ静かな決意だけが滲んでいた。
ほんの少し、胸の奥がざわつく。それは嬉しさだと、気づくのに時間がかかった。
ずっと一人で戦っていた気になっていたから。一人ではないと分かった瞬間だった。
ちなみにこの話にはオチがある。
次の日、速攻で開発部にバレた。
「聞いてません!」
開発部に着任したばかりのショウ・岩井が悲鳴のような声を上げる。
「それはそう。聞かれてねえからな」と山峰が口笛を吹いた。
「翔吾。正当な説明が必要です。岩井の頭の配線が切れる前に」とベラケレスが山峰の下の名前を呼んで無表情で補足する。
「任せた、ベラちゃん」
山峰から雑にバトンタッチされたベラケレスは「任された」と一つ頷くと腰に手を当てた。なお、ベラケレス自身が、当初顔を赤くして「問題です!」と怒鳴っていたことを、本人は忘れることにしている。
「山峰技師の手動再起動がなければ、過去37日間で、設備は29回停止していたでしょう。本来であれば、装置監視と保守は開発部の仕事では?」
それを脇で聞いていた山峰は、得意げな顔をして、岩井の方を向いた。
痛い攻撃に一瞬よろめいた岩井だったが。
「ぐっ! でも聞いてないですよ!」
すぐに態勢を立て直して文句を口にした。
彼は開発部の期待のエースだった。こんなところで、雑に報告をサボる男と感情自律AIにやられるわけにはいかない、と自負している。
青くなったり赤くなったりする岩井を横目に、ベラケレスはほんの少しだけ表情を緩めた。
「はい。ですので、双方に監視怠慢、報告義務違反があると判断します。まぁ、双方始末書ですね」
「え?」
その言葉で、先ほどまで「勝ち確~」と喜んでいた山峰の表情から得意顔が消えた。
ベラケレスは取り澄ました顔をして、ケーブルの片付けをしている。
結局、ショウが悔しそうに始末書の束を抱えて去った後、「おまえ、喧嘩の仲裁、なかなか上手いな」と山峰は嬉しそうに目を細めた。
「喧嘩っ早くて雑な相棒を持つと、最速で経験値が貯まりますからね」とベラケレスがわざとらしくため息をつく。
山峰が勢いよく吹き出した。
「おう、感謝しろ」
ぷっ、とベラケレスが笑った。
ふとしたときに思い出す。今も色あせない思い出。もう3年も経った。
あの日々、毎日が慌ただしく、毎日どこかで笑っていた。
だから、その時間が永遠に続くものだと思っていた。




