第45話 戻ってこないで
いまいち飲み込めないヒロユキをそっちのけで、コリンダーは「もう……なんでよりによってIPの剥奪……! いや、場合によっては好都合ですね。時間を稼げるわけで……」とぶつぶつと独り言を言っている。
「……電脳空間から戻れば身柄確保されます。そのまま……しばらくそちらに居てください。IPアドレスが存在しないため、通常通信はすべて遮断されます。この意味、わかりますね?」
通信ができない。
つまり、クレジットカードを含む一切の電子決済ができない。電子決済ができなければ電車にも乗れない、自分の車のキーすら開かない。電子認証を使用する自宅にも入れない。
超高度電脳社会といわれる現在では、生きていくことができない。
「うそだろ……。この通信は……?」
「はい、現在は私の裏回線を使ってビーコンを追ってます」
コリンダーの声は一見落ち着いているようだが、ヒロユキにはわかる。パニック一歩手前だ。
「このまま、状況を共有します。回線が不安定になることもあるので、なるべく回線を切らないようにしてください……」
* * *
時刻は数刻遡る。
その日、コリンダーは午後から一人で事務作業を行っていた。ハンターがいつでも電脳空間にいるわけではない。週の半分くらいは事務作業だ。
静かな午後だ。彼がいればいつもなんだかんだ人が集まってくるのだと実感させられる。
んー、と伸びをして窓の外を見る。
とろっと眠くなってしまいそうな空気をぶち破ったのは乱暴に扉が開け放される音だった。
「コリンダー! いる!?」
血相を変えたエイコが入ってくる。
「どうしました?」
「ヒロユキは!? どこ行った!」
「今日は、半休ですね」
「まじか……。時間ないからあなたでいいわ! ちょっと教えて欲しいの!」
言いながら忙しなくカバンから書類を取り出し、机に置く。
乱暴に叩きつけられた書類の束がざざっ、と雪崩を起こし、何枚か紙が床に落ちる。
「取り急ぎなんだけど、あなたたち、『電脳空間の知的生命体への精神操作および汚染について』の法律知ってるわよね?」
「もちろんです。人間およびAIその他知的生命体に、電脳空間でその精神および肉体に干渉してはならない」
「任務で、そんなことをしたことが……あるのか……」
「あるわけありません」
とコリンダーが被せるように言う。
「電脳協会から告訴状が届いているの。発生日付は46日前。電脳空間上の人間に対する精神操作」
分厚い書面に目を落として、苦々しい表情でエイコが言う。握りしめた紙の端が圧でよれよれになっている。コリンダーに、というより目の前のその紙に怒りをぶつけてでもいるような表情だ。
46日前、と聞いてコリンダーは即座にログを確認する。
「……ないです。通常の任務です」
声を抑えて言うコリンダーだが、詳細に目を落としたその目が一瞬揺らぐ。
「あの日……」
「あの日?」
オウム返しで問うエイコにコリンダーがため息交じりに答える。
「まるで親子のようなパケットに出会いました。マスターは……確か遅延時間を操作した」
コリンダーは事情を手短にエイコに説明した。
子供側の遅延時間を短くした。
エイコは腕を組んで聞いていたが、やがて首を振る。
「別に、違法じゃない。念のため聞くけど、嘘は、ついてないわね」
「……私が? まさか」
コリンダーは「普段クソ真面目とヒロユキに揶揄される自分が?」と付け加えた。
エイコは真剣な顔で首を振る。
「もちろん疑ってない。言質って大切だから。こういうときは特に」
「一切嘘は言ってません」
こういうとき、神に誓って、と言えないのがAIの不便なところだとコリンダーは知っている。
「ひとまずヒロユキと連絡取ろう。何がどうなって、そうなったのかさっぱりわかんないけど……。釈明するにしろなんにしろ、まず本人がいないと。ただ、スマホ連絡取れなくて……」
「はい、ハンター用の通信を、開きましょう」
「緊急」ラベルを付けて何度か呼び出すが、繋がらない。
「出ませんね……」
エイコは無言で首を振る。3度目で繋がって、ヒロユキの不機嫌そうな声が聞こえる。
「警察から照会が来ています。事情確認が必要です。今すぐ戻ってください」と伝える。会話を続けようとするが、ノイズがひどく、音声がぶつぶつと途切れる。
コリンダーの中に不安が広がった。何かがおかしい。通信の「手触り」が違う。
3度目の切断に遭ったタイミングで、乱暴な足音と共に乱入者が現れた。
所長のヘンリーだった。
「おい!」
通信装置を切っていたエイコが耳をふさぐ。
「所長、声でかい……!」
「そんなこと気にしてられっか! 追加連絡が、来たんだよ!」
ヘンリーはスマホの画面をもどかしげに操作し、画面を二人の前に突きつけた。
「……IPアドレスの剥奪措置……? いや……うそでしょ」
「それが本当なんだよ! くそっ……ちょっと措置が速すぎやしねーか。異議申し立て期間が無かった……」
通信は、切れたままだった。
コリンダーは震える声で二人に割って入った。
「先ほどからノイズが多かった、そのわけが分かりました。現在、つながりません……アドレス剥奪、即時反映されましたね……」
通信画面には「ノードが存在しません」という赤文字が表示されている。
ヘンリーとエイコは、呆然としたままその画面を見ていた。
コリンダーは唇をかみしめた。先ほどからずっとかみしめていた唇は切れて少し血がにじんでしまった。
「回線を開きます」
「無理。アドレスが切れたから」
「ん?」と眉をひそめるエイコに、コリンダーは強い声で言った。
「私なら、できます……!」
回線監視AIの自分には、電脳空間のビーコンを辿ることができる。
しかし、マスター個人のビーコンを追うなど、職権の私的利用にあたる。
「ちょっと、よくわかんねーけど、『おれは』いないほうが、いいか」
察したヘンリーがエイコに目配せして席を立ち、退室した。
エイコはそれを目の端で追いかけて通信経路を確保しようとしているコリンダーに向き直る。
「どう伝える。戻ったら捕まる」
コリンダーはゆっくりと演算を開始する。
だが、もう最適解には気づいていた。現実世界に戻れば、即座に身柄を押さえられる。
だが、電脳空間ならば。
程なく通信に成功し、先ほどとは打って変わって、コリンダーは「戻ってこないで……! 電脳空間から戻れば身柄確保されます」と喋りだした。
そこならば私がなんとかできる。
その思いの源泉が何なのか、まだコリンダー自身にも自覚はなかった。
何かが始まり、何かが終わる。
静かな胸騒ぎを連れて動き出した風がやがてすべてを巻き込む嵐になるまで。
* * *
今野由紀子、否、人類の最古の感情自律AIカンティーナは、崩れてゆくアンダーグラウンド伝送路の淵を覗いていた。
ああ、足りない。
もっと欲しい。
不足感は飢餓のように押し寄せて自身を蝕んでゆく。
やがて自分の輪郭を失うことになるのを、知ってか知らずか。




