第44話 帰れない道
朝の電脳空間にヒロユキは来ていた。
退屈したときや、考え事があるときに、時々こうして散歩に来る。
ふと、通路の脇に目をやって、首を傾げた。
「……あれ、こんな通路、あったか?」
見慣れた電脳灯のある通路の脇に、大人の背丈の半分程しかない横穴が口を開けており、その先に闇色の通路が広がっている。地図端末で既存ルートを照合するが、やはり記録が無い。
中をのぞく。空気が淀んだような匂いがし、湿気がするりと頬を撫でた。
「へえ、こんなところあったんだ」
ヒロユキは無造作に通路に踏み入れる。
中は意外にも広いようだ。だが奥がよく見えない。暗いので手元のライトを付けて奥へ進む。
時々こういう自然の通路ができるのが、伝送路の面白いところだよな。
そんなことを考えながら歩き続ける。少し退屈していた今、まるでダンジョンの徘徊のような面白いイベントに思えてくる。
こんな通路が突然ぽんと増えるのだから、伝送路は本当に迷子泣かせなのだ。
「報告して封鎖してもらわないと、かな」
まだ頭が起きていない。
静かな空気に浸りたくてここに来るあたり、自分も相当電脳世界に侵食されてるなあ、とヒロユキはおかしくてしかたない。
ふいに、遠くから小さな音が聞こえる。
しかし、耳を澄ませても、歌とも話し声ともつかず、低い振動だけが、空間の奥からゆっくり染み出してくるような音だ。
妙に気になってふらふらとそちらへ歩いていく。偶然人の声に似たエンダーの浮遊音であるパターンもあるのだが、そのときはそのときだ。
現在は朝4時。相変わらず朝方のエンダーは弱く、目の前にも小さな一体がふらふらと浮いている。
通路を塞ぐように漂うので、歩くのに邪魔なのだ。仕方なく黒い塊を握りつぶそうと手を出すと、ふいに柔らかな声がかかった。
「それ、つぶすと手が黒くなるの」
慌てて振り向くと女が立っている。
その女は柔らかな茶色の髪の毛をくくって後ろに流し、黒いケープのようなベストを羽織っていた。
一般人は立ち入り禁止の区域である。
ヒロユキは用心深く聞いた。
「ふーん。じゃどうすりゃいいんだ」
「こうやって、紙で包み込むと、消えるわ」
どこから取り出したのか、薄い和紙に似た紙をそっとかけると、エンダーは手品のように消えてしまった。
紙でそれを包む女の胸にハンターの証明書がかけられているのを目にして少しだけ警戒を緩める。
「ハンターか? なんか古そうな証明書だな」
「ええ、もう12年になるから」
ハンター証には「今野由紀子」と名前が書いてある。今野はエンダーを包んだ紙を無造作にその場に投げ捨てると、ゆっくりと笑った。
「え、捨てちゃっていいの」
「ええ、この通路、数日で自然消滅すると思うわ。特に区画命名もされてない通路だから、いいの」
ヒロユキは、ふぅん、と警戒をにじませた声で呟く。
紙は特殊合成紙だろうか。電脳空間のノイズに当てられて震えていたが、やがて風に舞い上がって通路の奥へ飛んで行った。
女はそれを嬉しそうに眺めている。
その横顔を見たヒロユキは一瞬眉をひそめた。
――どこかで?
だが、すぐに首を振る。
髪の色が違う。それに、あのときのような鋭さはない。
警戒はしていたはずだが、あまりに自然な声色の今野に流されて、気づけば疑問はどこかに吹き飛んでしまった。
「……いや、まぁ。死んだしな」
「何か言った?」
「なにも。それより、あと少しで閉じるってどういうこと……っすか?」
女は通路の脇をするりと撫でて掌をこちらに向ける。その手がしっとり濡れている。
「こんなふうに湿気を感じるものは閉じる前触れなの。知らなかった?」
「へ、へぇ。よく知ってる……っすね」
そんなことは研究所でも聞いたことがない。
「観察するの、好きなの」
女は、少し目を細めた。記憶をたどるような、何かを懐かしむような、どことなく寂しそうな視線だった。
「しかし、すげーな。どうやって閉じるんだろ……こんな巨大な穴……」
ふふふと女――今野が笑う。
「その頃になると自然とパケットもそこを避けて通るようになるのよね。何で判断してるのか分からないんだけど」
「へぇ、頭いいなぁ。巻き込まれちゃうもんね。どこまで続いてんだろ……終点とか、あんのかな」
「終点は、ないみたい、膨張してるし。閉じたあとも死んだわけじゃなくてまたどこかと繋がることもある」
「あー噂レベルでは聞いたことあるかも。不思議だな。永遠に漂流するのかな、電脳流氷と同じかー」
「電脳流氷? ……ああ、途上国なんかにあるやつね」
こともなげに今野は答えるが、ヒロユキは驚きに目を見張る。電脳流氷について知っている人間に、日本で会ったのは初めてだった。
「あれとはちょっと違うかもしれないわ。日本のようなきちんとした正規伝送路がある場合は、自動的に正規化されて、ああいったものはすぐ消えるから」
しかも伝送路の挙動にかなり詳しい。
ヒロユキの関心を知ってか知らずか、今野はゆっくりと伝送路の端を指さした。
「正規伝送路から離れすぎるとね、自然と畳まれるの」
まるで今野の言葉に憂いを示したように、奥の壁が揺らめいた。そんな、気がした。
気のせいか、とヒロユキは目をこする。
「永遠じゃないのか。興味深いね」
「見たい? 消滅するところ」
「あ? あぁ、一度、見てみたいね」
電脳流氷がきらめくように、綺麗なのだろうか。
ふと昔を思い出すヒロユキを、今野はまぶしそうに眺めて言った。
「ふぅん。……多分、5日と8時間後くらいだから、見に来る?」
「すげ、そんなんわかるの。なんか、面白そうだな、見に来てみるよ」
* * *
「な、自然消滅する伝送路って知ってるか?」
次の日早速コリンダーに聞いてみたが、コリンダーは怪訝な顔をする。
「自然消滅……ですか。先日の天候がある、という話もですが、不確実性のある話はちょっと苦手分野です」
そうだった……こいつ幽霊とかもめちゃくちゃ苦手なんだったな……と思い出し、それ以上は聞くのをやめた。
日々が過ぎるのが早い。
「あ、今日か。わり、今日早上がり!」
ヒロユキはさっさと伝送路の通用口に向かう。
いつもの通路、いつもの道。少しだけ違う道を選んで、あの通路に向かう。
ヒロユキは気づかなかった。通信サークレットがずっと赤く点滅していた――コリンダーからの通信要請が入っていたことに。
「すげーな。この伝送路、思ってたよりずっと広いんじゃ?」
先日出会った女、今野とおしゃべりしながら深くまで入っていく。
「本来はずっと広がっていくんだと思うの。膨張率と廃棄率が拮抗するから、現実には少しずつなんだけど」
「へぇ。アンダーグラウンド伝送路って何なんすかね。違法回線の箇所もあるけど、そうじゃない箇所もあるしなぁ」
「回線装置のバグ、とは言われてるけどホントのところはどうかしら。ノイズもほとんどないでしょう? エンダーもいないし。バグには思えないのよねぇ」
「ほんと、静かだ」
ヒロユキは頷きながら今野を見た。彼女の胸にかけられたハンター証に一瞬視線を落とし、続ける。
「……ね、あんた、ほんとにハンター?」
今野の動きが止まる。
「……どうして?」
「んーなんか。通信サークレットも無いし。ってか勤務中じゃなくてもさ、日頃サークレット付けてると跡が残るんだよ。それも無いし。動きが、ハンターなら常にエンダーを警戒してるもんだけど……。あんたなんか……ほんとに公園でも散歩してるみたいだから。もしかして、回線人?」
「回線人……。伝送路で生まれた物質世界にボディを持たない存在。……そう、そう、かもね。とても、私、だわ」
今野はしばらく視線を彷徨わせていたがやがてゆっくりと目をつぶった。
次に目を開いたとき、はじめて気づいたように小首をかしげ、ヒロユキの手元を指さす。
「何か光ってるみたいだけど?」
ヒロユキが目をやる前に、耳をつんざくような警報音が鳴った。
強制通信だ。
「ちょっと、なんだよコリンダー、この音使うなって言ったろ! うるせー!」
――そんなこと言ってる場合ですか! どうしてサークレットの通信に応答しないのですか! 今どこにいます? 電脳空間?! どうして……いや、とりあえず今はいいです。
矢継ぎ早に繰り出される相棒の大声に、ヒロユキは耳を覆った。
「うるせーなんなんだよー! 今日は半休取ってるから休み!」
しかし、ヒロユキはコリンダーの言葉を聞いて真顔になった。
「今すぐ戻ってください」
聞くやいなやヒロユキは脇に置いていたカバンをつかむと今野に言い放った。
「悪い! もう帰るわ」
コリンダーがそう言っているなら帰るべきだ。
理由はいらない。
戻りながら並行してコリンダーと通信する。
だいぶ動揺しているようで途中で誤切断が2回発生した。しかし戻り口に着くころには概要は掴んでいた。
――過去のエンダー討伐で何かの調査依頼が警察から来ているようだと。
「今から戻るから待って……」
言いかけて、サーっというノイズが耳に入り続けているのに気づく。すでに通信は切れてしまっていた。
通信サークレットのボタンを押す。つながらない。
何度もかけ直すが、一向に繋がらない。首を傾げた、そのとき。
突然頭に響く声が耳を打つ。応答ボタンは押していないのにつながる。
強制通信だった。
「マスター、聞こえますか? まだ電脳空間ですか。良かった……戻ってこないでほしいです」
聞き返す間もなく続いた言葉は耳を疑うものだった。
あなたに、容疑がかけられていて、IPアドレスの剥奪措置が執行されています。
「は?」




