第42話 電脳空間デート ~探し物は見つからなくてもいい~
電脳空間の生活区域には電車がある。
スピードも存在感も、古びた鉄の匂いも、鋭いブレーキ音も――すべてがリアルと同じだ。
ヒロユキは常とは違うのんびりした空気に、満足げにため息をついた。
今日は任務ではない。
以前ヒロに貸していた通信機が、年数経過で廃盤になってしまった。今日は、その代わりになる新しい機体を届けに行くだけだ。
「久しぶりだな。一時期は毎週のように行ってたけど」
「まあ、ヒロもだいぶ安定してきましたし、もう暴走する心配などはないでしょうね」
続けて「ヒロユキは心配しすぎでしたよ」とコリンダーがころころ笑う。
ヒロユキがうっすら心配していたのはまさしくそれで、「回線人」の精神は通常不安定で、いつ暴走してもおかしくないとまで言われている。
「もっとも、最近の研究ではそうとも限らないようですが」
「そうなん?」
「はい、幼少期の人間関係などが重要なようで」
「……そしたら逆にヤバいんじゃ?幼少期とかないだろ、あいつ」
「いえ、逆に、『人間に接してない』のですよ、彼の場合。よくも悪くも。このケースはあまり見かけないです。論文にもありませんでしたね」
したり顔で言うコリンダーに、一番心配してんのは誰だよ……と少々呆れたヒロユキだが、口にしないだけの分別はある。
さかのぼること3日前。
「届け物の後の予定? 特にありません。映画? ……大丈夫です」
数日前にヒロのところにいくことを話した後、さりげなく聞いたヒロユキは心の中でガッツポーズをした。
ハードボイルド映画が好きなコリンダーが一も二もなく食いついたので、偶然持っていた『電脳空間での大画面体験!』のチケットは大活躍だった。
「映画」が楽しみな振りをしながら今日を待った。
乗り入れるのは研究所の最寄りアドレスに存在する中規模の駅だ。外に向かって開けた駅舎の景色の向こう側には夏の日差しが照り付けたビル群が見える。実は全てホログラムではあるが、慣れた人間にとっては気にすることもない普通の光景だ。たまに雪景色だったり、嵐だったする。
あまりに人が多くてヒロユキは閉口する。
どうやら今日は偶然生活空間が騒がしいイベント日のようだった。
駅は人でごった返している。自動ロボの清掃員が、不規則なジグザクの動きでふらふらするのでよけながらホームへ入る。
電車が20分待っても来ない。
30分経ったときに一度、電子カウンターに問い合わせるが「遅延中」と無機質なアナウンスが繰り返されるのみである。
「のんびりでいいと思ってたけど、やっぱ……特急に乗り換えて時間稼いでおこうか」とやっと来た電車に乗らずに、ヒロユキがつぶやく。
その言葉にコリンダーが不思議そうに首をかしげた。
せっかく鈍行に座ってのんびりできるのに……と年寄臭いことを考えるあたり、ボディ操作の苦手なAIである。
「急ぐほどではないかと。統計的推測としては、この程度の遅延では、そこまでいそがなくても結果的には問題ありません」
コリンダーは周りを見やるが、人々の中に焦った空気はない。現実空間でもよく電車に乗ることの多かったコリンダーは人々の「間に合わなそうで焦っているときの所作」を感じ取ることができる。今ぐらいなら、まだ平気、と結論づけた。
「いや、うーん。やっぱ急ごう。いやな予感って結構当たるぜ」
常らしからぬ慎重な様子にコリンダーも黙って乗りかけた電車から足を引いた。
「……ほらね」
結果、時間ギリギリに乗り換え駅にたどり着いた。乗ろうとしていた電車で来ていれば1時間も遅れていることに気づく。
コリンダーはヒロユキが得意げな顔をするのを横目でちらりと見るが、それをかき消すように電光掲示板を指さしてつぶやく。
「あ、急がないと次に乗り遅れますね。これを逃すと1時間後です」
言って隣も見ずに駆け出してしまう。
「えー。もう」
真面目な相棒は遅刻が大嫌いなのである。
褒めてもらうのは諦めてヒロユキも走りだした。
コリンダーは電車の背もたれに沈んで耳を澄ませていた。
電車からは特有の不思議なきしみ音がする。
そのきしみ音にコリンダーは無意識に耳を澄ませていた。彼女の聴覚は人間と同じ程度だが、厳密に言うとわずかに低音域の方を拾いやすいように調整されている。
電脳空間でのノイズは低音が主であるため、低音感知寄りの方が異常を拾いやすい。
ぶぅんという音が大きく鳴ったり小さく鳴ったりしながら徐々に低音に寄っていく。ある一定までくるとパチンと高音に戻る。まるで機械のささやき声のような不思議な声を聴く。
そういう音は、決まって少し気が抜けているときに、聞こえてくる。
人間にも聞こえるのかな、と隣にいる相棒に聞いてみようと口を開きかけた矢先、コリンダーは「あっ……」と声にならない声をあげた。
ん?と隣にいたヒロユキがこちらを向く。
たちまち、がたっと椅子から立ち上がり、ソワソワと手を左右に動かすコリンダーに、ヒロユキが声をかける。しかし「どうした?」と聞いても返答がない。自分のカバンをがさがさして電車の座席の隙間を手で探っている。
しばらくして、「乗り換えで……荷物、置き忘れました」と、ようやく言葉にした。
おっと?と声が出るヒロユキに対してコリンダーは動きをピタリとやめて、そのうち固まってしまった。
人形のようないでたちは動かないと、本当の人形のように見えるときがある。
瞬きまで止めているように見えて、ヒロユキの手がぶんぶんとコリンダーの目の前で振られる。何とか瞬きはしているのを見てホッと胸をなでおろしている。
コリンダーはブツブツと何かをつぶやいている。
「……悪い報告です。取りに帰ると、時間に間に合いません」
戻った時の遅延時間の計算をしていたらしい。
「しかたないですね。約束時間がありますし……行きましょう」
しかしそう言って優雅に座りなおしたコリンダーだが、時々上を向いたり下を向いたりしている。
持っていたカバンが音を立てて椅子の下に落ちて自分で音にびっくりしたり、視線を窓の外と車内にさまよわせたり挙動不審にパタパタするコリンダーを見て、ヒロユキがゆっくりと言った。
「……大事なものか?」
「はい、あっ……いえ。それほどでも」
視線は完全に泳いでいる。
電車は規則的な音を立てて座席を細かく揺らしている。目を窓の外に向ければ、電脳空間とは思えないほど緑のあふれる景色が目に入る。
それをしばらくゆっくりと見ていたヒロユキは、スマホを取り出してどこかへ電話を掛けた。
短い呼び出し音の後、聞きなれた声が聞こえる。
「あ、ごめんな、ヒロ。今日の予定なんだけど、キャンセルで」
電話を切ってにっこりした。
「気になるだろ?ちゃんと探そう。映画も、何時でも行けるんだしさ」
経由駅の忘れ物センターは1駅先であった。しかしカウンターに赴く2人は、該当のものが出されていないことを駅員から聞かされた。コリンダーは肩を落としている。
時間をロスしたことが気になって仕方ないらしく沈んだ表情をしている。
「もしも……これだけ労力をかけて見つからなかったら……むだ……。最初から諦めてヒロのところに行っておけばよかったのに」
ブツブツと呪詛のようにつぶやき始めている。
「……いいんだって。見つかんなくても」
「え」
「探した『納得感』が大事なんだよこういうのは。見つかんなかったらさ、そこの駅出たとこで、ファストフードチェーン・トライアルキッチンの新作食って帰ろーぜ。俺ちょうど気になってたんだよなー」
先を行くヒロユキの表情はコリンダーからは見えない。
けれど、悪くないような表情をしていそうなのは、彼女にもわかった。
結局。
小一時間ほども探したあと、立ち寄った駅のトイレでそれは見つかった。
「まさか駅のトイレだったとはな」
と面白そうにヒロユキがつぶやいた。
青い包み紙に包まれた10センチ程度のペラペラした包みを持ち上げてコリンダーは安堵の表情をしている。
「全然……気づきませんでした。あの時忘れていたなんて」
「……ごめんな。俺が急がせちまったからな」
あまりにしょんぼりしているコリンダーを見て気の毒になったヒロユキはそっとコリンダーの頭に手を乗せた。
ポン、ポンと軽い音がする。
コリンダーは一瞬すべての動きを止めてフリーズしたが。
「……まあ、見つかったからいいですね」
視線を斜めの方向にしてつぶやいたが、その目はどこか嬉しそうだった。
* * *
そんなことのあった数日後。
「何を、していますか」
事務室でコリンダーは目を剥いた。
泥棒に入られたように書類がひっくり返って散乱している。机の下でひっくり返った書類を片っ端から開いては閉じしているヒロユキに声をかけた。
ヒロユキは机の下から顔を出して悔しそうにつぶやく。
「俺の、提出書類どこ行ったか知っているか? 一昨日ここに置いたんだよぉ」
もうほとんど半べそかいて探し回る相棒にコリンダーは眉をひそめた。
「今日提出のですか。またなくしたんですか……」
これまでもさんざん盛大に落ち込んでるヒロユキが観測されているため、こういう光景は慣れっこになったコリンダーが呆れたようにつぶやく。
コリンダーは書類作業に取り掛かったがあっという間に中止してお茶を注ぎ始めた。騒がしい音がして事務作業に集中できそうにないな、とため息をつく。しかし、ヒロユキのあまりの慌てように多少気の毒になり、控えめに声をかけた。
「あの、落ち着いて探しましょ。これ食べます?」
しかし返ってきたのは「今そんな場合じゃねぇ……」という絶望的なつぶやきだった。
コリンダーはその顔を見て、呆れと共に、少しだけ不思議な気持ちで、手渡そうとしたクッキーを眺めた。
あのときは私のために無理してくれてたんだな。
そう思うと、少しだけ胸が暖かくなった。
「ファストフード新作食って帰ろーぜ」とのんびり言ってた人が、 今一人で 「そんな場合じゃねぇ……」と青ざめる対比を観察しながら、クッキーを一口齧った。
昨日慌てて持ち帰り、包装紙を新しく巻き直した誕生日プレゼントを、そっとカバンの奥へしまい直した。




