第33話 二人なら、戻れる
「……思っていたんだけど、ね。やっぱりちょっと寂しいよね」
診断結果の説明を受けるため、アンバーは事務室へ呼ばれていた。
アリスは事務室に向かった彼の背を見ながらため息をつく。
彼女が目覚めたのは、丸一日後だった。
電脳空間からの離脱が大変だったと、所長がぐちぐちと文句を言っている。
それをそばで聞いていた休憩中のコリンダーが、アリスに向かって問いかける。
「記憶を失うのは、二度目なんですよね」
しかし、反応は返ってこず、アリスはただぼんやりと窓の向こうを見ているだけだった。
外は雨。
ざあざあという陰鬱な音が、窓にあたる雨粒の視覚効果によって暴力的なまでに増幅されているような気がしてコリンダーは知らず少し震えた。
独り言だったのかと思って、読みかけていた資料に目を戻したコリンダーに、誰にともなく、アリスがつぶやく。
「医療班の見立てだと、記憶回路の変質による副作用だってさー」
アリスが淡々と続ける。
いつのまにか、視線は窓の外から戻り、コリンダーの方を向いている。
「ねえコリンダーちゃん。アンバーはコリンダーちゃんのこと覚えてた?……そっか。ざっと5年分くらいかな。記憶消えたの」
アリスは「心配はしていない」と呟いた。
だって。
アンバーには、きっと幸運の女神が付いているに違いない。
……そう思うことにしている。
「心配してないよ」とアリスは繰り返す。
そばで聞いていたコリンダーの目にはそうは映らなかったが、ひとまず「そうですね」と呟いて資料に目を通し始めた。
あっという間に数日たった。
アンバーが問題なく電脳空間での戦闘ができるのか?
そんなことを懸念する研究員たちもいて、電脳空間での任務は、軽めのものが用意されていた。
アリスは、アンバーを伴って転送ボタンを押した。
いつもの「らせん赤外線」が足元から上がる。
ぶぅん、という低い音。
――ぱちっ
「自分」を電脳空間へ書き換えるプロトコルが走った。
初めての者は、その音に少し驚く。
慣れた者にとっては、いつもの心地よい流れだ。
アリスはこの処理が好きだった。
昔好きだったアイドルものの変身シーンみたいで、少し懐かしい。
――しかし。いつもと違ったのは。
「ぱちっ」の音のとき、アンバーの体がびくりと跳ねた。
そしてとっさに、隣にいたアリスをぎゅっと抱きしめたのだ。
アリスの小さい頭を押さえ込んで、抱え込むように自分の身の内に入れたあと、自分で自分の動作に怪訝そうな顔をして手を離した。
「?」
……今の、何?
アリスはとっさに盛大に顔をしかめた。
……私は、理恵じゃないよ。
アンバーの目覚めた第一声を思い出したためだった。
声に出しそうになって、こらえたのは偉い。
「理恵は……?私の体調を管理してくれてる」と戸惑いを隠せない顔で視線をさまよわせるアンバーに、アリスは困惑した。
――思ってた以上に、引きずってるなぁ。
「……先、行こう」
かろうじて言葉を発して、さっさとアンバーの前を歩いた。
区画が心臓部から遠ければ遠いほどエンダーは弱くなる。今回は、だいぶ辺縁部のエンダー退治だった。
……が、アンバーの近接戦を見て、アリスは眉をしかめる。
対エンダー戦闘では、アンバーは圧倒的に強い。
どの回線AIよりも高出力で判断も早く、近接戦では圧倒的に有利な身軽さもある。
180センチの長身と、大柄な体からどうやってそんな俊敏な動きが出てくるんだろう、といつもアリスは感心するのだが……。
「ちょっと高出力すぎる……」
アンバーの唯一の弱点であるオーバーパワーが、悪い形で出ている。
撃滅用の必要出力に対して放出出力が倍以上も高いのだ。
「最近は、結構改善してきてたんだけどなあ……」
アリスはエンダーに向かうアンバーをいったん止めて、相手の特性についてアンバーに解説を始める。
「いい?あれはレイヤ3、すごく弱いから出力は三分の一でいいでしょ。あっちは浮くタイプのやつだから低出力にした方がよくて」
しばらくはそれでもふむふむと聞いていたアンバーだったが、次第に顔が険しくなってくる。
「……小姑みたい。マスター……」
「……あんだって?」
聞きとがめたアリスの表情が剣呑になる。
かろうじて「マスター」呼びだが、声の調子が……。
「懐かしい響き」
そう呟いてアンバーを見るアリス。
そう。一見するとおとなしくて理性的なたたずまいだが、その実、結構やんちゃな性格なのがこの男だ。
最初のころなど、しばらく待機などで待たせておくと、あっちへふらふらこっちへうろうろとして怒られていた。
身体を動かさないといられない性格のようで、エンダーを勝手に全滅させて、残存エネルギーを空っぽにするなど日常茶飯事だった。
――今日のところは肩慣らしなんだけどな。
とは思うものの、ペースがつかめない二人では思いのほか深部まで来てしまったようだ。
気づけば二人とも、見たことのない場所まで来てしまっている。
「あんまり見覚えがないね」
とアリスがつぶやくが、そもそもアンバーにとっては、どこもかしこも見覚えがないのか、と一人突っ込みしてみる。
「でも、初めての感じは、しませんね」
それは、アンバーにとっても不思議な感覚だった。
エンダーのつぶし方、間のとり方、すべて体が覚えているとでもいうように、動きには迷いがない。
びっくりするほど息が合う。二人で並んで歩くのも、喧嘩するのも、妙に居心地がよかった。
それはまるで、ぴったり重なった画用紙みたいだった。
一枚だけ抜き取ろうとしても、うまく剥がれない。
「次、右、ですね」
「右、だね」
ぴったり重なる進路。
「電磁波でなくて体術。つぶしやすいやつ」
アリスが言うと同時にアンバーはもう前に出ている。
数メートル先まで進んだ。
「そろそろ右手境界区間、通信機の設置場所だから電磁波落としてください」
アンバーが言う前にアリスはもう設定変更済みだ。
そうこうしているうちに空間の終端近くまで来てしまった。
ただ、二人には気になることがある。
『なんか、頭が……』
二人の声がぴったりと重なる。
先ほどから脳を触られているようなむず痒い頭痛がやまない。
視界が不自然にゆがむ。
「先、行こう……」
通りの向こうに足を踏み入れたころには耐えがたいほどの頭痛に変わっていた。
ふと隣のアンバーを見ると全く同じ表情をしている。
「なんか……変」
かろうじてそれだけ言うが、足は止めない。
ついに区画を通り過ぎ、次の区画に足を踏み入れると、不思議なことに頭痛がぴったりと止んだ。
『……あれ』
またもや重なる声に二人とも顔を見合わせる。
通りの影のエンダーをアンバーが潰す。
「ちょっと高出力すぎる……」
口にした途端、巻き戻された音をもう一度聞かされたような、気味の悪さが脳裏を走った。
あれ、アリスは首をかしげる。今、自分は何と言った?
「先、行こう」「ちょっと高出力すぎる」
同じ会話を、もう一度なぞっている。
そう気づいた瞬間、背中がぞわりと冷えた。
それでも、会話は進む。
そして
「小姑みたい……」
アンバーの呆れた声が響き渡る。
なんか変だ。
そう思いながら進むうちにまた頭痛だ。
灰色の壁を抜け、次の区画に来ると、頭痛はぴたりとやむ。
それがまた不思議だった。
「レイヤ3には低出力で……」
とアリスが言いかけたとき、アンバーの声が被る。
「後ろにいてください、って。前に……出すぎです」
その声はイラつきを抑えきれないようで、アンバーの握った手がぐっと震えている。
「そっちこそ出力高すぎなのよ」
「適正です。マスターの攻撃は過剰なんですよ。あんな遠くのエンダーに反応する必要はありません」
「こちらこそ適正!念には念を入れてなんだから」
アリスも自然と声を荒げてしまい、もうほとんど怒鳴り合うような形だ。
アリスの特大ため息が漏れる。
全く思い通りにいかない。もう何十匹倒しただろう。区画だって4区画は進んでいる。
……と思い至って、アリスは眉をひそめた。
区画?
自分たちが向かったのは終端だったような。隣区画なんてあったっけ。
途端に、とてつもない疲労を感じて、手のひらを目の上にそっと乗せた。
そして、ふと、アンバーの繰り出す電磁波を見た。
あぁ、またあんなに高出力……。
しかし妙なことに気づいて手を止める。
アリスの周りの空間には高出力電磁波の波が押し寄せて、びりびりと肌をなでていく。
ひょい、と隣に一歩踏み出すとさらりとした風が流れる。
――私の周りだけ?
アリスは目を瞬かせた。
……あ。
「これ、私を守ってるのか……」
じっと高出力の電磁波を見ていたアリスは、少しだけ口角をゆがめた。
「……ああ、そうか」
「心配してたのね」
ひょい、と足取り軽くダッシュで次の空間に移る。
隣で見ていたアンバーは慌てて追うが、走り始めて『同じように』気づいたようだ。
「ひょっとして私の行く先を狙ってつぶしてました?」
それを聞いて「へへ」とアリスは笑う。
「なぁんだ。お互いおんなじ気持ちだったのね」
首を真横まで傾げそうなほどひねって何やら考えこんでいたアンバーも、それを聞いて「ふむ」と頷いた。
「喧嘩する意味、あります?」
少しだけ照れ臭そうなアンバーだが、そもそも何が理由で喧嘩したかも、もう覚えてない。
そもそも、とエネルギー計を無言で差し出すと、じいっと見ていたアンバーが慌て出すのがわかる。
「どうして」
エネルギー計が、まるで減っていない。もう5区画まわって40体は倒したはずなので、普段であればほとんどガス欠だ。
だってさあ、とアリスがいたずらをした子供のように笑う。
その瞬間、全く減らないエネルギー計も、灰色の壁も、お互いの顔も、ぐにゃりと揺れ、輪郭を失った。
軽い頭痛。
目をぱちぱちと二、三度瞬いた後には、いつもと変わらない相棒の困惑した顔があった。
「……戻れた、みたいね」
「今の、なんなんでしょう」
そう問うアンバーの服の裾をつかみながら、アリスは二、三歩よろけた。
「……ちょっと、ふらつくね」
すかさずアリスを支えるアンバーだが、こちらも少し疲労の浮いた顔をしている。
「たぶんねぇ。フリップ・バイ・サイド現象?」
都市伝説だと思っていた。同期が過剰に進むと起こる、電脳空間の時空ループ現象。
電脳空間の出口付近でもう一度ふらつくアリスをひょいと抱え込んでアンバーは歩き出した。
電脳空間の出口。
もう戸惑うこともない。記憶はないけど。
「あ」
帰還中の先客がいた。
アンバーは名前が出てこなくて口ごもる。
「ヒロユキ先輩」とアリスがアンバーの腕の中から呼びかける。
呼ばれたヒロユキはちら、と二人を見て、少しだけ眉をひそめた。
「記憶、戻ったん?」と聞くヒロユキに、アリスは「全然!」と勢いよく答える。
「どうして平気でいられるんだ。意味不明だ……」
ヒロユキのつぶやきは、アリスの耳には届かなかった。
記憶を失っても、結局同じように隣を歩いている。
ヒロユキがどれだけそれをうらやましく思ったか。
そんなことは、二人には届かなかった。
一息ついた直後だった。
「やばい、通りのカフェの新作アイス、今日までじゃん。買いに行くの――ギリギリの時間じゃん」
「ついていきます」
即答だった。
「子供扱いしない!一人で行けるのよ!」
空気が、ぴしっと張る。
一拍の後。
「……やば。今、また喧嘩しそうになった」
アンバーが周囲を見回す。
反射的な動きだった。
「あれ。まだ、時空が?」
二人は同時に足を止める。
けれど、どこにも歪みはない。
ループの兆候も、遅延も、誤差も――ない。
「……わかってても、くりかえしちゃうのね」
アリスが苦笑する。
「ですね。何度繰り返しても……初めてみたいに痛いですね」
アンバーは少しだけ目を伏せてから、柔らかく続けた。
「でも、まあ。なんとかなるでしょう」
顔を上げて、アリスを見る。
「二人なら」
あなたが迷ったら、私が歩きます。
私が躓いたら、そのときは支えてください。
そう言って笑うアンバーの手を、アリスは強く握った。
* * *
「……で、お前ら今日サボりすぎじゃね?」
提出された記録を見たヘンリーが、目の前で呆れ顔をしていた。
え、と顔を見合わせる。
「そんなわけないでしょ。50体は倒しましたよ」
アンバーがかみつくように言う。
無言でログを差し出すヘンリーに空気が固まった。
記録12体。
「……うそでしょ。あんなに頑張ったのに……」
アンバーが、がっくりと膝から崩れ落ちた。




