第32話 アンバーの論理―もう一度、友達になる
前話「第31話 アンバーの論理―この手で誰かを守りたい」からの続きです。
その変転を助けたのが、もう一度琥珀に会いたいと、AI研究所に就職したアリスだった。
風が吹く。
どこにも居場所のなかった自分がついに日本のAI研究のトップ機関に就職したのだ。
アリスの心は浮きたっていた。
けれど、その心の春もそう長くは続かなかった。
「どこにでもいるもんだね」
決して周りと上手くやれないわけではないのに、なぜか浮いてしまう。
それが「才能」というものなのだということに彼は気づいていなかった。
加えてこの頃、女性になるための体の手術を何度かに分けて行っていたこともあり、心身共に絶不調の浪の中にいたアリスだった。
琥珀には一度挨拶したきりでそれ以降顔を合わせていない。
与えられたパソコンのメールには提出書類を促す指示がある。
アリスとしては、その書類はとっくの昔に提出したのだが、リストのアリスの名前欄には「未提出」
最近、絶妙に頻度高くこういったことが起こる。
最初は自分の記憶違いかと思っていたが、途中で気づいてしまった。
自分を遠巻きにしながらクスクスとひそやかに笑う声があることに。
サーバログを確認すればすぐばれる。
それでもやるのか。
アリスは気づいていないが、それは彼――いや彼女が成果を上げればあげるほど加速していった。
そしてある日、それは起こった。
「セキュリティチェックに引っかかってる。契約外サーバに書類を置いてるって」
上司の困惑したような声がアリスに飛ぶ。
「ちょっと最近気が緩んでるんじゃないかな」
アリスは唇を噛んだ。
「それは……」
アリスが言いかけたとき。
「それは……濡れ衣です」
物陰から琥珀が音もなく歩み寄ってきた。
「サーバの記録を確認したところ、雪村さんは4月の6日にちゃんと所定の場所にアップロードしています」
上司の視線がアリスに向いた。
「そうなの?」
アリスは何も言えずに固まってしまう。かろうじてこっくりと頭を下げて頷いた。
「少し話をさせていただいても?」
上司は突然の琥珀の登場に戸惑っていたが、目くばせされて退場していった。
アリスは一人残される。
からっぽになった会議室よりなお空っぽの瞳だった。
別部屋で話し合っていた琥珀と上司が出てくるのを見計らってアリスは琥珀を呼んだ。
「琥珀?改めて見るとあなたってとっても身長が高いのね」
ありがとうと言われると思っていた琥珀は、固まった。
アリスのため息が、暗い色を帯びて廊下に広がっていく。
ため息とともにアリスは琥珀を見上げた。
「助けてくれたのはありがとう。でも、これは私の戦い。あなたは私から戦いを取り上げた」
とっさに琥珀は言いよどむ。
「しかし……」
「次は、助けないで」
きっぱりと言い切ったアリスの目の輝きに打ちのめされてしまった。
「私は、間違ってしまったんですね……。あなたのためだと思っていたものはただのエゴだった。恥ずかしいです」
叱られた大型犬のように肩を落とす琥珀に、目を細めてアリスは言う。
「そうね。でも仕方ない。間違いは誰にでもある。私達、まだ磨かれてる最中でしょ」
* * *
琥珀の戦艦→回線AIへの、同時に女→男への変転プロジェクト。
手術が成功して目覚めた琥珀は、アリスと出会ったときのことやいじめの話を覚えていない。手術では、過去の記憶が所々抜け落ちる。
でも、アリスを一目みて、琥珀は何だか懐かしい感じがする。
記憶は曖昧でも、心が懐かしい。
なぜか、この人だけは。
見上げたアンバーの目線は初めましての気配があった。
忘れている、でもそれでいいと思っていた。
もう一度、琥珀、いや、アンバーと友達になり、一緒に歩いていきたかった。




