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電脳ハンター 伝送路に愛は残るか  作者: 秋野PONO(ぽの)
第5章 選択

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第31話 アンバーの論理―この手で誰かを守りたい

 アンバーというAIは誰かの代わりとして生まれた。

 

 彼――生まれたときの彼は『彼女』であった。名前もアンバーではなく『琥珀』であった。

 彼女は、ある男の亡き娘の面影のある顔を背負って生まれてきた。


 ある男――佐和は、後に懐かしそうに琥珀に話す。

 彼女、『琥珀』が作られたとき、涙で前が見えず、結局素晴らしい瞬間を見逃してしまったと。

 しかし、あとでこっそり記録映像を何度も見返したと。


 佐和がそれほどまでに感動したのには訳がある。

 佐和の娘は10歳で死んだ。

 当時は、ただの風邪だと、思っていた。

 

 ずっと、何年経っても娘が忘れられず、戦艦の司令AIのビジュアルについて相談がきたとき、震える手で娘の写真を渡し「基本モデルを、これで」と依頼した。後ろ暗い気持ちが無かったといえば嘘になるが、幻でもいいし嘘でもいいからもう一度動いている姿を見たいと思ってしまった。


 戦艦。

 

 2040年、イージスシステムは終わりを告げ、日本の海は空母に変わる感情自律AIシステムを組み合わせた新しいシステム「ダイヤモンド・アッシャー」というシステムで成り立っていた。

 予算ありきの打算システムだというものもいたが、このシステムは破竹の勢いで世界を席巻していき、今では海の主力戦力となった。

 その指令AIとして生を受けたのが琥珀だった。

 

 しかし、そんなことはどうでもいいとばかりに、佐和にとっては、ただ一人のかわいい娘でしかなかった。

 

「何をしてるんだい」

 問う佐和に琥珀が無邪気に答える。

「じゃがいも。剥いてます。自動皮むき機が故障していて」

「危ないよ。こっちのセーフガード付き皮むき器使いなさい」

 あわてて制服のポケットから皮むき器を取り出して佐和が言う。

 

「今日は天気が悪い。嵐になりそうだ。甲板にでないようにな。風邪引くよ」

「司令AIなのに?」

 なんだかおかしくて琥珀が吹き出すと、佐和は照れ臭そうに口元に手をあてた。

 

 琥珀が生まれて訓練期間の一年はずっとこんな調子だ。

 周囲から「過保護すぎるよ」と笑われるのが戦艦「琥珀」の日常になりつつあった。


 ただ、感情自律AIの精神の成長は速い。

 およそ人間の3倍。

 幼少期はもっと速い。

 1年も経てば琥珀は佐和を言い負かせるぐらいの胆力と精神力を獲得していた。

 二人は相変わらず本当の親子のように仲が良かったが。


 佐和は私生活では琥珀に甘かったが、戦闘訓練においては手は抜かなかった。

 隔週レーダー機器の扱い、兵器の扱い、海の天候の読み方、さまざまなものを厳しく琥珀に教え込んだ。

 もう娘を失いたくない。

 琥珀には強くなってほしかった。


 特に厳しく教え込んだのはアナログ航海方法。

 AIにそんなものいる?周囲は、言うが、佐和は譲らなかった。

 どんな最先端技術も、歴史に裏打ちされたアナログ技術が根底にある。

 どれだけ困難な状況、最新技術が使えない状況でも、自らの頭1つで困難を切り開いてほしい。そして自分の力で生きてほしい。

 海は最高の教師だ。琥珀の、情緒を大きく成長させることがきっとできる。

 そんなことを佐和は考えていた。


 * * *

 甲板に風が吹く。波が揺れる。

 琥珀は訓練のないとき、甲板の先の監視棟でよく空を見ていた。

 自分は、空を飛ぶこともできる。海を航行することも、腕を薙ぎ払うだけで数隻の船をまとめて壊すこともできる。

 その力で多くのものを守り、国家防衛の主軸を担っている……はず、だ。

 けれど、正直言えば、琥珀には実感がない。

 防衛とは。

 国とは?

 できれば壊すのではなく守ることに力を使いたい。

 

 

 凪いだ瞳でずっと波を見つめていると、さざめく波が何かを言ったように揺れた気がしたが、琥珀にはさっぱり読み取れなかった。


 もう考え事はやめだ。

 琥珀は立ち上がって重たい鉄の扉を開けた。

「琥珀、気づかれちゃったか」

 監視を担当していた海尉の緒方理恵だ。

 広く開いた窓から階段を上ってくるのが見えていたので琥珀は驚かなかった。

「理恵さん、お疲れさまです」

 弾む声で琥珀が答える。

 座席を1つ分開けて自分の隣を促す琥珀に、理恵はくすと笑うとゆっくり隣に座った。

 理恵は琥珀が作られたときから佐和と二人三脚で琥珀の情緒教育にいそしんでくれた大切な先輩だった。

 2人で今日の昼ご飯とかたまたま見えたイルカの群れだとかの話をしながら過ごすのが、琥珀にとっては贅沢でうれしい時間だった。

 きゃきゃと話していたが、そのうち雑談もひと段落して二人の間に沈黙が落ちた。

「……ね。聞いてくれる琥珀」

 そんな風に改まった様子で話し始める理恵に、琥珀はきょとんとした顔をする。

 好きな人がいるの。

 理恵の沈んだため息が聞こえる。

 ひゅ、と胸の奥を冷えた風が抜けたような気がして琥珀は身をすくめる。

 なんだろう、ざわざわする。

 しかしその思いは次の理恵の一言で、乾いたからっ風に変わる。

「関さんっていうんだけど、でも、その人は、別に好きな人がいるみたい」

 その言葉を聞いて、琥珀の胸には次第に形を持った感情が押し寄せ始める。

 落胆。自分はがっかりしているのか?

 理恵に、思いを寄せた人がいることに。

 

 琥珀は感情を処理しきれず無意識に理恵の顔から目を逸らした。しかし、しばらくして勇気を出してもう一度顔を見てみる。

 そのとき、理恵の頬に少し水が見えた気がして、琥珀は動揺する。

 身の内の計器は異常事態を警告して付近2キロ範囲の船体認識映像を分析し始めるが、琥珀の口からはまともな言葉が出てこない。

 動揺すればするほど手は動かなくなり、でも何かしたくて無理やり握ったり開いたりする。

 結局「そうですか……」と呟いて間抜けに口を開いたまま黙ってしまった。

 

 

 琥珀が作られて2年たった。いよいよ本格稼働の直前、佐和は1つの課題を、琥珀に与えた。


 オーストラリア沖から島々を渡り、日本の浦賀まで……1人で航海すること。計器はアナログ機器のみ、人員は琥珀1人のみ、獲物は古いカヌー一隻。


 小さなカヌーで漕ぎ出す琥珀。


 数日経った。海は静かだ。いつも大勢のにぎやかな仲間に囲まれていた琥珀には、少々異質な体験だった。


 目の前を過ぎていく小さな島々。一通りの航海術は得ている。

 しかし、そのうち、なぜか琥珀は位置を見失った。

 

 小さな計器には変わらず位置座標がしっかりと表示されているのに、戦艦という巨大なシステムに繋がれていた時のような「感覚」としての座標がないのである。

 カチカチと音を刻むこの小さな計器頼りの航海。

 たちまち不安が胸のうちに広がる。

 

 空の読み方も知識としてはある。

 星を友としろ、と佐和はよく口にする。

 しかし、頼りない友は朝には消えている。代わりに昼は島々の目視距離測定になるが、どれだけ、何度測定しても計器と違う気がして目を瞬いた。


 昼に一瞬失った友は、夜に何事も無かったかのように瞬く。それが、少し悔しいような気がしてくる。


 戦艦にいた頃は、自分こそがその星だった。全知全能の琥珀からただの1個の存在になった自分。

 自分とは、一体なんなのだろう。


 時折島に渡って食事し、また航海にでる。あるとき琥珀は腹を下した。次の日までトイレにこもって、

 戦艦もAIももうどうでもいいからこの腹痛をなんとかしてほしいと思う。

 次の島で再びトイレに籠ってようやく平常を取り戻す。

 ああ病原菌ってこうやって島から島へ運ばれるのかぁ、と腹痛と共に実感したりもする。


 海を見つめながら、琥珀の思考は段々深くなっていく。

 

 思わず琥珀は呟いた。

 母なる海、あなたは何を考えていますか。


 この卑小な人工物、鉄の固まり、AIが、あなたのその雄大な額を、ちっぽけなカヌーで渡ることを、どう考えていますか。


 海は答えない。

 けれど、琥珀は身のうちに湧き上がる答えをもうすくい上げていた。

 この海を小さなカヌーで渡る。

 レーダーもない、ソナーもセンサーもない、ちっぽけな存在。

 でも、この小さな手だけでもカヌーは漕げる。

 理恵の涙を思い出す。

 やっと分かったんだ。

 本当にやりたかったことは……このちっぽけな手で涙をぬぐってやること。

 それだけだった。

 


 同時に、自分の中に眠る真実にも気づいてしまった。

 涙を拭われる女性ではなく、この荒れ狂う海をカヌー1つで力強く漕いでいきたい男の自分が眠っていることに。

 

 * * *

 

 最後の港の手前、浦賀に寄港したとき、琥珀は1人の人物に出会う。

 シーグラスを集めるために海辺に来ていたアリスだった。

 港に寄港した琥珀は何の気なしに遠くに見える砂浜を散歩していた。

 まだ4月だ。海水浴には早い。静かに散歩ができる。

 天候は曇り。灰色の雲が隙間なく空を覆い、冷たい風が吹く。

 何気なく浜を見て、一人の女性が砂の上で白いズボンを濡らしながら何かを採取しているのを見つける。

 なんだろう、貝でもとれるのかな。


 興味本位で近づいてみるが、琥珀は近づくにしたがって自分が誤認していたことに気づいた。

 骨格からの推定、背が低い、おそらく身長155センチ程度である。

 白いズボンにグレーのカーディガン、羽のように軽い身のこなしで浜辺を軽く跳ねながら歩いているが、男性のようだ。

 ほどなく向うが琥珀を見つけ、首を傾げた。

 「何か用?」

 その顔を見て琥珀はさらに混乱してしまった。

 ――女の子?

 すんでのところで言葉を飲み込んだのは良かったのか悪かったのか。

 その代わりに、

「何をしていますか?」

 彼女――彼?の手に持った籠を指して琥珀は問う。

「これ?シーグラス」

 シーグラス……名前は知っているが見たのはじめてだった。

 彼は赤い唇を笑みの形にすると手近にあった丸太に腰かけた。

 長時間移動してたようで「ふぅ」と小さなため息をついて籠を水にさらす。

 物珍しそうに眺める琥珀に彼は、見やすいように籠を傾けてやる。

「シーグラス見るの初めて?」

「はい。これは、2つに分かれている」

 籠は仕切りで2つに分かれている。

「うん。こっちはね。完全になり切れてないシーグラスたち。シーグラスってどうやってできるか知ってる?」

「波にさらされて角が取れていくのですよね」

「そう。あなた機械だね、目を見たらわかるの。あたり。波にさらされながら長い年月をかけて角が少しずつ取れていくの。これ、こっちのやつ、よく見るとまだ少し角が残ってるの。あとで海に返すの」

「完成してないのに?」

「うん、完成したらまたおいでって。そのとききっと誰かが喜んで拾う」

 

 小さな体をゆすって楽しそうに話す彼に琥珀も笑みを浮かべる。

 それにしても小さな体だった。小柄な少女かと見まごうばかりの体躯に、顔も化粧しているため骨格を見なければ完全に女性と見えるだろう。

 琥珀は身長185センチ、かなり大柄のため座り込んだ彼の表情を見るのに苦労する。

 気づいた彼が丸太の端を開けて座るように促す。

 彼は聞けば近くの公民館でシーグラスアートに使う材料を集めているという。

 楽しそうにお喋りする彼に琥珀の笑みも深くなる。

「綺麗ですね。キラキラしている」

「でしょう?これなんか太陽を反射してるよ」

「いえ、あなたが」

 ん?と彼が動きをとめる。

「男だよ?」

 琥珀は苦笑する。

「わかります。でも、光があなたに集まってる。まぶしいくらいに」

 琥珀は雲の隙間から少しずつもれている太陽の光にまぶしそうに目を細める。

「私は今は男として生きてる。でもね、本当は違うの。いつかちゃんと私として生きるよ。絶対」

 彼が空を見た。

 そのとき、光がほんの一瞬のうちに彼に集まったように輝いたような……気がした。

 その迷いのない目にこの世の全部の光が集まったように。

 ――あぁ、同じなんだ。おなじ。私も……。

 その言葉はどうしても出てこない。

 代わりに、

「あなたのことを守りたい」

 言葉だけが飛び出た。

 

「何言ってるの。まもる?私そんな弱そう?というかあなた誰?」

「あなたの身も守る、というより生き様を守りたい。あなたが生きているというだけで、私は嬉しい。あなたが自分の生き様を貫くと、私も頑張れる。」

「そう。私達、また会うかもね。私あなたのことを忘れないと思う」


 立ち上がって服の砂を払い、歩き出す。

 琥珀もなんとなく一緒に立ち上がってぶらぶらと海辺を歩く。

 途中で彼が籠からバラバラと集めたシーグラスを落とし始めた。

「せっかく集めたのに!落ちてますよ!」

 うん、と当然のように彼はうなずく。

「大切なのだけ2、3個残していくんだよ。全部取ったら他の人のなくなっちゃうし、何より、大切なものはちょっとで充分でしょ?たくさんあったら埋もれちゃう」

 風にのって琥珀の耳に届いたその言葉は、たたきつける風の様にその心を揺さぶった。


 ――きっと将来この人を守る。

 名前すら聞いてないのにそういう予感が頭を駆け巡って琥珀は困惑しながら帰路についた。

 

 * * *

 

 そうしてアリスは琥珀と別れた。

 琥珀はその後2年、戦艦の司令AIとして過ごす。ひょんなことから回線監視AIに転職したいと言い出したと後になってアリスは聞いた。


 感情自律AIは一度だけ、ボディを変更できる。

 ただし性別を転換するのは困難が伴うためふつうはあまり行われない。

 それでも、琥珀の決意は揺らいでいなかった。

 

 自分は守られる小さな世界を卒業する、と。

 この手で小さな幸せを守りたいと思う。

次話「もう一度、友達になる」に続きます。

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