第29話 名前のない領域
ねえ、アンバー、出会ったときって覚えてる。
もちろん、アリス。誰が忘れても、私だけは忘れません。
ふふふ、そうだねぇ。
私はあなたを忘れない。たとえ世界の終わりがきても。
アリス雪村。21歳。電脳ハンターの最年少ランカーでありながら生来のオタク気質を生かしてハンター用のアプリケーションを個人で多数開発。開発部の仕事を奪うので開発部からは「伝送路部の小さな通り魔」と呼ばれていたりいなかったり。
そんなアリスは退屈そうに伸びをして、相棒である一般緊急回線18番担当AIのアンバーの手を引いた。
身長差が20センチもあるので、アンバーの手をつかむだけでも一苦労だ。
「ねー今日の任務退屈だねぇ」
「まあそう……ですね。DNS施設の老朽化の刷新用の前準備なんて地味ではありますね。マスターの前日の華々しい活躍と比較すると……!」
アンバーがやや熱の入った声で頷く。
昨日は部署対抗カラオケ大会があり、アリスの独壇場、伝送路部署は総合1位を手にした。
そう言えばヒロユキ先輩昨日突然休みだったな。いたら危なかったな。などと思いながらアリスは先に見える大きな白い施設に急いだ。
DNS施設は伝送路の奥深く、通常は立ち入り禁止区域である。
今日のために特別許可証の発行まで強いられた。
胸に下げた銀色のプレートが目にまぶしい。
「DNS……ってなんですか?」
は?と横でアリスが鼻白む。
「あっ。うそ、知ってます。そんなに睨まないでくださいマスター。IPアドレスを管理する施設ですよねっ?」
アリスの白い目に弱いアンバーは必死で言い訳を紡ぐ。
「そうよ……。ネットワークの基本知らないって言われたらどうしようかと思った。DNS施設はネットワーク伝送路のアドレス管理の心臓部。アドレスが無ければ私達は電脳空間で買い物の1つもできないし、なんなら現実に戻れないわ」
視線の先には巨大なデータセンター型の施設「DNS管理施設」だ。
「ここでは電脳空間で使うプロトコルすべてが息をするための管理が行われている」とアリスが呟く。
施設の手前で背の低い人物が手を振っている。
「アリスさん、アンバーさんですね。施設長のカイ・沢間です!」
綺麗な黒髪を前で切りそろえた30代半ば頃であろうか、人懐こい笑顔を湛えた青年である。
簡単に自己紹介すると施設内に入る。
「あ、データセンターみたいですね」
アリスが感嘆の声をあげた。
ガラス張りの向うでは通信設備に大勢の人が張り付いている。みなヘッドセットを頭につけてモニタを見ながら忙しそうに何かをしゃべっている。
「そうですね。DNSの管理とは銘打ってますが、通信整理やプロトコル原理の管理など、伝送路設備全体の内側の管理所ですね。どうしても、外……現実世界からだとアクションが半歩遅れる」
アリスは唸る。
「エンダー、ですね?」
「さすがハンターさんですね。そうです」
ああ、と二人とも苦笑いする。
「本当に多くなりましたね。エンダー。今年は特に多い気がします」
* * *
そう、本日の業務は平和な視察任務である。
施設周辺に最近特にエンダーが多くなってきたため、外からの分析だけでなく実際に現役ハンターにその目で視察してもらうミッションである。
施設内すべてを視察し終えたアリスは、エンダーの出そうなノイズが生成されている地点に丁寧に赤丸を付け、沢間に手渡す。
「ありがとうございます!本当に助かります。早速解析してノイズキャンセル処理します」
そんなアリスの様子を見ながらアンバーが得意げに口元をゆがめる。
マスターは有能。天才。ふふん。
そう顔に書いてあるような表情にアリスは苦笑いする。
アンバーだってネットワーク知識はあるのだが、あまり適切に使えてない気がするのが……惜しい。
……もっとガンガン詰めよう。
とアンバーの教育について思いを巡らせるアリスだった。
視察がひと段落して撤退準備を報告しようとすると、施設長沢間が何やら研究員に声を荒げている。
「それは……!なんで解析ツールにかけない?!」
「いや!かけましたよ!引っかからないんですって!」
2人はアリスとアンバーに気づいた瞬間ピタリと会話をやめ愛想笑いを浮かべた。
「なんだなんだ。どうかしましたか?」
アリスの気安い様子に最初こそ戸惑ったような笑みを浮かべていたが、やがてあきらめたように話し出す。
「実は……最近、DNS深部が調子悪い時がありまして……」
「……いえ!ログ上は異常なし、みたいなんですが」
研究員が割って入り興奮気味に補足する。
先ほど沢間に怒鳴られていた研究員だ。自分の非を認めないとでも言うように、鼻息荒くアリスに話かける。
「……内部層で『名前解決が遅延する瞬間』があるんです」
アリスが一瞬言葉を失った。
『名前解決機能』はDNSの心臓部だ。
「名前解決の遅延? そんなの……心臓発作並みの大ごとじゃないですか……」
ぎくりと沢間と研究員が顔を強張らせる。
へへ……と緊張感をごまかすために薄笑いを浮かべた沢間だったが、やがて何かを思いついたのか口を笑みの形に変える。
「あの、もしかしてお2人は、まだ時間ってあります?」
* * *
結局沢間に説得されたアリスはDNS最深部動作テストを引き受けた。
「マスター、深部ログインをしたことがありますか?」
自信なさそうに問うアンバーにアリスはこともなげに答える。
「あるよ。高密度ネットワーク機器とかだと普通に境界領域からログインできるし」
専用ヘッドセットを片手で揺らしながらアリスは設定値調整している。
「私は初めてですね……」
「ん、まあ案ずるより産むがやすし」
転移用のポットの電源をONにして身体転送の装置を起動させる。
体が宙を浮くような独特の身体感覚とともに深層部への転移は成功した。
先を行くアンバーだが、耳にかすかな違和感を覚える。
ログ表示は正常。
「あれっ、何か今電子音……?」
慌ててアリスを見るがアリスはきょとんとしている。
「まあ、今日ノイズ多いからね。耳がぴりぴりする」
「施設内なのに……妙ですね。深部特有ですか?」
「そんなことはない……はずだけどなぁ。深部って言っても通常領域と変わらないよ。」
そうこうしているうちに、ぶっ、と何かが途切れるような大きな音が聞こえる。
二人の足がピタリと止まる。
「聞こえた?」
「はい……。通常の揺らぎ範囲とは少し違う音……」
「ログ」
アリスの短い指示が出る前にアンバーはログをスキャンしていた。
「残ってませんね……」
アリスは一瞬目をむいたが、やがて肩をすくめ、ため息をついた。
「ノイズって邪魔よね」
「……はい」
「ま、凛子会長の怒鳴り声みたいなもんじゃない。背景音」
2人はそろって歩きだす。
深層の領域を1つずつ、沢間と通信しながら掘り下げていく。
「特に異常ないね」
冷静にアリスがそうつぶやいた矢先、
ぶっ。
今度は耳のすぐそば、近くでその音がする。
「なんだこの音……」
いぶかし気にヘッドセットを嵌めなおす。
そのとき、アリスの顔の近くに紫の発光がさっと横切った。
光は空間を切り裂き、深層の内臓のような配線を露わにする。
切り裂かれた光は新しい部屋へ2人を飲み込み、その後内臓の切り口はそっと閉じられた。
飲み込まれた後の深層には静かな紫の光だけが取り残され、静謐に輝いている。
「ここは……」
アンバーが位置を取ろうとするが、返ってくる反応は「unknown(存在しない)」だ。
アリスが小さく唸る。
「なにこれ、未登録のルート?」
「マスター。もしかすると……」
「うん。ここが名前解決の遅延の原因かも。もしもデータがこの領域に迷い込んじゃったりしたら……まず間違いなく『行先不明』で遅延すると思う」
アリスは言うと、空を仰いで何やら考え込んでいた。
「この領域。よくないね。名前がないってのが致命的だわ。管理プロトコルが遅延気味」
「そうですね。圧迫感を感じます」
「んー。とりあえず、名前つけちゃいましょう。名無しは危険」
アリスはプロトコル解析機を取り出すと解析を行い、一意の名前を探す。
程なくして名前付けは完成され、宙に浮いたデータたちが整列し始める。
「ふう。OK……、かな?」
そのとき。
ブゥンという音とともに空間が奇妙にゆがんだ。
先ほどまでおとなしく整列していたデータが急に電脳空間を無茶苦茶に流れ始める。
「えっうそ。ま、まずい」
アリスが叫ぶ。
「どうしましたマスター?!」
「たぶんたぶん……名前を取り戻したことで……管理プロトコルが再起動かかったかもっ」
早くこの部屋から出る必要がある。
「アンバー!電磁シールドで切っちゃって!」
調査は後回しになるが、まずは安全の確保が先だ。
はい!と勢いよく返事をするとアンバーは電磁シールドで壁を覆った。
しかしその光は、壁に届く前に焼失する。
「?」
切れない。
「……マスター」と、プロトコル解析機に赤文字表示されている文字を見てアンバーはつぶやく。
――本領域は閉鎖モードです。
息が止まりそうな衝撃だった。
電磁シールドは解放領域でしか射出できない。
脱出方法がない。
「アンバー。通信回線を開いてちょうだい。統括本部へ。緊急回線で」
いままで見たことの無いような真剣な表情のアリスがアンバーを見据える。
アンバーが回線を開こうとするが、なかなかうまくいかない。
「すみません。ノイズがひどくてなかなか……」
プロトコル解析機に向いていたアリスは画面から目を離さず言った。
「……いい、アンバー。解析中だけど、これから起こることを聞いて。
まず、1分以内にトポロジダウンが発生するわ。周辺……2キロ程度。おそらくネットワーク機器はすべて停止します。
そこはコンバージェンス……つまり再起動がかかるから安心して。
そして次に、これが……問題で。
トポロジダウンの影響だ思うんだけど、基本プロトコル破損が激しいの。この空間だけだといいけど……。
OSPF,RIP,HSRRすべて破損……。これはまあルーティングプロトコル系だからさほど……問題はこちらでONNとSBEP、これが……電脳空間における人体形成プロトコルで……」
声が途中で途切れる。
「マスター……?」
アリスはもう声を紡いでいなかった。
アンバーは悲鳴を上げて倒れ伏したアリスに駆け寄った。
* * *
通信がヘンリーにつながった瞬間、アンバーは怒涛の勢いで説明を行った。
「外から圧を掛けてるが、破壊できないんだ。ネームレス空間だった影響が大きい……。座標安定してなくて位置が把握できない」
「そんなっ!何かないんですか!」
沈黙が落ちる。
アリスは、目を閉じている。
アンバーはおろおろとアリスの頬を叩くが反応はない。
起きないのだ。
焦るアンバー。
プロトコルは人体を人体として、手を手と、足を足たらしめている基本規約だ。
その喪失で身体感覚回路がすべて閉じたのだろうとは思うのだが長くその状態になったときのサンプルがない。
必死で自身のデーベースを検索する。
しかしサンプルは、ない。
いくらも経たない内に、アンバーの顔から表情が消える。
「電脳法88条および96条を、執行します」
電脳法……。
ヘンリーの頭の中にはその条項がある。どちらも有名な条項であるからだ。
電脳法88条:緊急時の選択について(どちらかした助からない場合、自身の判断に従ってよい)
付帯条項96条(人命を、最優先にせよ)
両者を組み合わせることは想定されていない。
「おい、その2つの組み合わせだと。お前死ぬ気かよ。許可出来ない」
「許可願います」
「許可できない。その2つはそういうののためにあるんじゃない」
「許可願います」
「やめろ、却下する……他に」
アンバーはみなまで聞かず通信を切った。
解析機を見る。
トポロジ再計算、完了。
ルーティング収束プロセス開始。
コンバージェンス完了予測、10分後。
上位層プロトコル、すべて破損。
一つだけ思い当たる手があった。
というか先ほどからずっと考えている。
AIのプロトコルは人体構成とは別だ。これを使えば。
つまり。
「私の擬似プロトコルでラッピングして時間を稼げば……10分くらいなら……」
だがそれは、今度はアンバー自身の身体感覚を喪失する行為と同義だ。
冷徹な計算が自身の身の内を走る。
身体プロトコル再形成可能性:29%。
10分生存確率:44.55%。
――何もしなくても10分生存できる可能性、44%。
低い数字ではない。
しかし……。
アンバーは苦しそうに首を振る。
「アリスが、世界で、一番大事」
それは自分を『自分』たらしめている『プロトコル』だ。
そっとプロトコル構成を切り替えた。
その時、アリスの指輪型通信機が不自然な点滅をしているのに気づいた。
アンバーは眉を顰める。今更通信を誰かとするつもりはない。
しかし、その不思議な点滅に引き寄せられるようについアンバーはスタートボタンを押してしまった。
ヒロユキだった。
「おい、アンバー。話は聞いた。遠隔再起動だ。今のトポロジは自動コンバージェンスモードになってる。
10分もかかるのはそのせいだろ。『高速コンバージェンス』に切り替えろ。スタティックルートを作成する。それだけで、10秒で収束するさ」
スタティックルート、演算型の自動コンバージェンスを放棄し、人為的に強制ルートを設定する技だ。
「スタティックルート……そんな、ダメですよ。その選択肢は、全体破綻リスクがあります。推奨できません。どこかでブラックホール発生の危険があるんです。わかるでしょう?」
ブラックホール。
ルータA
→「この宛先はBに送ればいい」
ルータB
→「いや、それはCだろ」
ルータC
→「知らない」
このとき、パケット破棄が起こり二度と再送されない、つまりパケットが、消失する現象だ。
アンバーは唇をかみしめる。
アリスを助けるために世界を賭ける。
そんな選択は自分にはできない。
「私が」
「いや、お前は手を出すな」
沈黙をアンバーが破る。
「ブラックホールの可能性が……」
「可能性?数値だせるか?5秒で」
「に、27%……です」
「……上等。俺の勘じゃ、このままだとお前が死ぬ確率は100だ」
一拍。
「27なら、掛けるに値する」
「し……しかし……」
ヒロユキは、権限ビットを強制オンにした。
「……わり。もう、やっちまった」
一瞬、間があった。
「お前さ、自分のこと大事にしなさそうなんだもん」
音もない電脳空間にヒロユキの乾いた笑い声が響いた。
次話、「命の重さを、誰が決める」へ続きます。




