0‐2 空白の座席と消えた前担任
翌朝。
「ナムさーん、ナムさんったらー」
五月蝿い。目覚まし時計だけで十分だというのに、重なる声はもっとやかましい。
「今日は始業式だよ、早く起きて!」
けたたましい左耳のアラーム、右耳の声。……右耳?
「う……ん、はぁ!? 何で俺の部屋に入って来てんだお前!」
「だってナムさん、鍵掛けてなかったでしょ。無用心にも程があるよ」
嘘つけ。嫌味を飛ばしつつ、声の主を押しのける。
渡淵柚芽。
睦三と同じく寮住まいで、フロアの端の部屋で生活する睦三にとって唯一のお隣さん。何より、小学生時代の幼馴染だ。
越してきた日の夕方の話になるが、柚芽は鍋を持って睦三の部屋に押しかけて来ていた。中身は『紫色に光る何か』であり、到底食べ物とは思えない代物。
当の柚芽は「こういう時って鍋の差し入れするのがフラグ作りって奴じゃないの?」と語る。
そういう問題じゃない、というツッコミが再会して最初に交わした言葉だったことは記憶に新しい。
「ここの鍵はオートロックだ。大体、お前の制服のポケットから針金が見えてるぞ」
げ、と慌ててポケットを弄る柚芽。
「本当は針金なんて見えてないのに探ったってことはやっぱりか。久しぶりにピッキングして入ってきたなお前」
バレたか、とあざとく舌を出す柚芽に朝の体操代わりのドロップキックを入れ、大あくびで洗面台に向かう。小学校の頃からいつもこんな感じだったので扱いには慣れている。
朝、寝坊しがちな睦三を柚芽が起こしに来る。これだけ聞くとありがちな光景だ。
しかし柚芽は持ち前のピッキング技術を使い、鍵の掛かった自家、更に睦三の部屋まで平気で侵入する。
例え鍵を八桁の暗証番号式にしても、彼女の手に掛かると十分もあればお釣りが来るのだ。
この春休み中に一度もそんなことはなかったので忘れていたのだが、やはり柚芽はアグレッシブなままだった。
「アレやられると鍵の調子がおかしくなるからやめてくれって昔言ったんだけどなあ。ほら、着替えるんだからとっとと出てけ」
「いいじゃん別に、女の子同士なんだしさー。それともナムさんってやっぱり実は男でした、なんて展開が待ってるの? もしかして女装なの? その髪も実はカツラなの?」
「違うわい。俺はちゃんとした女だ」
「自分のことは俺って言うのにね。ムネもないし」
「ほっとけ!」
また始まった。昔からそうだったのだが、柚芽は少々オタクの気がある。一旦中学で離れ離れになって実に二年ぶりの再会、彼女の趣味は明らかに悪化していた。
一度、春休み中に彼女の部屋にお邪魔したことがある。マンガやDVD、フィギュアなんかがずらりと陳列されていて、ここは店かと間違う程だった。
かつて姉からのとあるアドバイスで一人称を『俺』に変え、男勝りな性格になった睦三。お陰でイジメに遭うことはなく平和な小学生時代を過ごすことができた。
ただ一人、好奇心で突っ掛かってきた柚芽を除いては。
「昔とは違うんだからさー、そのナムさんってのもやめないか」
「えー、呼びやすいじゃん」
『ナ』ミ寺『ム』ツ『三』――――『ナムさん』。
いつの間にか付けられていたあだ名。別に実家が寺というわけでもなく、ただ名前から取っているだけ。今更変えては貰えないだろうということくらい分かっている。
「だったらせめて人前で使うのはやめてくれ。結構目立つんだからさ」
無音。顔を洗っている間にどこかに行ったか。今のうちに着替えておこう。
朝葺学園の女子制服は所謂セーラー服、デザインは可もなく不可もなくといったところ。高校にあがるとラインの数が増えるため、それで見分けがつくのだという。
半袖半ズボンの部屋着を脱ぎ捨て、布団の上に放り投げる。
昨日までクリーニングに出していた制服をタンスから引き出そうとしたが……見当たらない。店に行って受け取ったことを示すレシートはテーブルの上にある。それなのに制服は忽然と姿を消した。
慌てて部屋中を探そうとすると、パシャリ、と電子めいたシャッター音。振り向くと、スマホ片手に下卑た笑いを浮かべる柚芽が居た。
「ナムさんの貴重な下着姿ゲット~♪ 意外と下着は可愛いんだね」
「柚芽、お前……」
顔が紅潮し、真っ赤な茹でダコになってゆくのが傍目から見てもはっきり分かる。
「あれ、ナムさん? ごめん、怒らせちゃったかな」
「その通りじゃボケ!」
本日二度目の蹴りが飛んだ。
* * *
「まだ背中ジンジンする~……」
「自業自得だ」
始業式、学校長の長ったらしい話を右から左へ聞き流す。
中高一貫校である我が校の進学の実績はどうこうといった話、非常にどうでもいい。
いつの間にか流れ始めた吹奏楽部の演奏に合わせ、教師たちは校歌斉唱を始める。しかし歌っている、そもそも口を開けている生徒の方はほとんど見当たらない。
かと思いきや、生徒たちは見回りに来る教師に睨まれて歌い出すので、一応形にはなっていたと言えるだろう。
入学式ではもう少し真面目に合唱していたのだろうけれど、睦三には知ったことではなかった。
始業式を終えた後はクラス順に解散、それぞれの教室へと戻ってくる。
前もって示されていた出席番号順に座り、担任が来るのを待つ。
睦三と柚芽は出席番号が一つ違いなので、前後の座席。柚芽は最前列の席になったことをぼやいたが、教卓の前じゃないだけマシだろうと窘められた。
「どんな人なんだろうね、千場先生って」
「今年から新任なんだってな」
朝葺学園の教師は皆、中高両方の教員免許を持っていて、基本的には一つの学年を六年間ずっと受け持つことになると聞いていた。
無論クラス替えが毎年行われるため、全員が全員担任が変わらないというわけではない。
けれども、二年でそれが変わる、しかも新任の教師という事例は少々違和感を覚えた。
「前の担任、何かあったのか?」
「……」
柚芽の口が重くなる。気になるじゃねえか、としぶとくせがんでみた。
「うん……噂でしか知らないんだけどね。実は――」
「おーい、着席着席。ホームルームの時間やぞー」
ひそひそ話は、やけに間延びした声に遮られた。
いつからそこに居たのだろうか、白衣を着た若い糸目の男が教壇に立っていた。
「んー。欠席者がおるみたいやけど、まあええか。
えー、私は今年からこの中三‐Aの担任することになりました」
千、場、研、とチョークの白い文字が黒板に綴られてゆく。
「千葉県でも万馬券でもありません。センバケンです、よろしく。一応ここのOBなんで大体のことは分かります、特にテストでどこが出るとかね。一つ気になったんやけど、西校舎っていつ建て替えたん?」
クラスメイトの誰かが「去年の秋頃に新しくなりました」と答える。
朝葺学園は全校生徒数も府内では一、二を争うほどで、校舎も複数存在する。そのうちの一つが耐震補強のために立て替えられたのだという。
「そかそか、ありがとな。ほな出席取るから呼ばれたら返事してや。藍澤達也」
「はい」
千場が名前を呼び、生徒が返事をする小気味いいテンポが場を支配する。
時々返事が遅れてテンポを乱す生徒がいるのはご愛嬌だ。
「鶴見奏」
そのテンポが、柚芽の一つ手前で停止した。
「鶴見……は、そこの空いてる席やな」
睦三たちの列の一つ左、空白の最後尾。
机の数が間違っているのではなく、本来そこに座るべき生徒が来ていないことを示している。
千場は出席簿に印を入れ、続きを読み上げる。
「渡淵柚芽」「……あ、はい」
「名古寺睦三」「へーい」
何だその気だるそうな返事は。千場の一言で、教室は軽い笑いに包まれる。
「そういや既に聞いている人もおるかも知らんが、名古寺は俺と同じで今年からこの学校に入ってきた生徒や。皆よろしく頼むで」
前で自己紹介するかと誘われたが、大勢の人前に立つのは好きではないからと断った。
後はテンポが途切れることなくスムーズに出欠確認が取られ、連絡事項も淡々と進む。
「さて、これで今日の連絡は仕舞いや。男子女子二十人の四十人クラス、しっかりやっていこうな。
名古寺は後でちゃんとみんなに挨拶しとくよーに。ほんなら委員長……はまだ決まっとらんし、出席番号一番、藍澤。号令頼む」
「起立」
ガタガタ、と椅子を動かす音が教室に響く。
「気を付け、礼」
さようならー。その一声を合図に、彼らは一斉に動き出す。
教室を飛び出す者、新担任の周りに群がる者、そして睦三に群がる者。
「名古寺さんってどこから来たの?」
「ねえ、電話番号交換しない?」
「もしかして寮生活?」
ああもう五月蝿い五月蝿い五月蝿い。こうなることは予想していたけれど、実際にされると堪ったものではない。
仕方が無いのである程度のことは答え、後はトイレに行くと言ってその場を脱出する。
勿論、電話番号の交換は丁重にお断りして。




