戦と虚
朝方に海津城を出た信繁一行は、まだ水が冷たい広瀬の渡しを渡って、八幡原を縦断して善光寺に向かった。
「……今日は立ち寄らなくて良いのですか?」
「ん……?」
馬をゆっくりと歩かせながら、まだ薄っすらと雪の残る八幡原を眺めていた信繁は、不意にかけられた声で我に返る。
「昌幸……立ち寄るとは?」
「それは……」
信繁に訊き返された昌幸は、少し躊躇いながら、少し離れたところにある小高い丘を指さした。
「あの……山川上野介殿の首塚です」
「あぁ……」
昌幸の答えを聞いた信繁は、隻眼を僅かに細め、それから「いや……」と軽く首を左右に振る。
「幸実のところへは、一昨日遠駆けをした時に会いに行った。また美味い酒をたくさん供えてやったから、あいつも満足している事だろう」
「……それは良うございました」
信繁の声と少し寂しげな微笑に、彼の心情を察した昌幸は、余計な事を言わず、軽く頷くだけに留めた。
……と、
「……正直、もう数年早く生まれていれば良かったと、口惜しい思いです」
昌幸の隣で、道案内役の香坂昌澄がボソリと言う。
それを聞いた信繁が、少し怪訝な顔で尋ねた。
「源五郎よ。何故そのように思うのだ?」
「それはもちろん……」
信繁の問いかけに少したじろぎつつ、昌澄はだだっ広い八幡原を指さす。
「あと五年……いや、三年早く生まれていれば、永禄四年の大戦に参陣する事が出来たのに、と」
「……」
昌澄の答えを聞いた信繁と昌幸は、思わず顔を見合わせた。
そんなふたりの様子に気付かぬ様子で、昌澄は言葉を継ぐ。
「五年前……それがしは、まだ齢十一の童でした。元服も済ませておらなんだゆえ、戦に加わる事も能わず……あの時は海津の城で、深い霧の向こうから聞こえる激しい戦の音を歯がゆい思いで聴いているしかありませんでした」
当時の事を思い出したのか、昌澄はきゅっと唇を噛み、それから「……一昨年も」と続けた。
「元服こそしておりましたが、海津城に籠ったままだったので、結局敵を刃を交えずじまいで……」
「源五ろ……」
見かねた昌幸が小声で窘めようとするが、それを信繁がそっと手を挙げて制する。
そして、自分の言葉で昂った様子の昌澄に向けて、穏やかな声をかけた。
「では……お主は、戦がしたいのか?」
「勿論に御座ります!」
信繁の問いかけに、昌澄は即座に頷く。
「男として……武士としてこの世に生を受けたならば、戦に出たいと考えるのは当たり前でしょう。それも、今のような越後方との小競り合いなどではなく、出来ればお屋形様や副将であらせられる典厩様が指揮を執られるような大戦で、敵を打ち破る華々しい手柄を上げとうございます!」
「ふむ……そうか」
意気軒高な昌澄の返事を聞いた信繁は、穏やかな微笑みを浮かべながら小さく頷いた。
「その意気や善し……だ」
「典厩様……!」
「……だがな、源五郎よ」
ぱあっと表情を輝かせた昌澄に鋭い視線を向けながら、信繁は言葉を継ぐ。
「これだけは覚えておけ。戦とは、決してお主が思っておるような華々しいものではない。むしろ、虚しいものだという事をな」
「……!」
信繁の言葉に、昌澄はハッと息を呑んだ。
そんな彼の顔から視線を外した信繁は、先ほど見た小高い丘の頂上に焦点を合わせる。
「確かに、戦で目ざましい働きをして手柄を上げる事は大切だ。……だが、その陰では多かれ少なかれ命を奪われる者が出る事を忘れてはならぬ。敵はもちろん……味方にもな」
丘の上にポツンと立つ山桜の木。その、まだ咲き綻ぶには些か早い蕾を枝に付けた木の側に佇む五輪塔と、その下に葬られた腹心……いや、無二の友の姿を想像しながら、信繁は言葉を継いだ。
「今は乱世だ。此度は機会が来なかったが、いずれはお主も激しい戦を経験するだろう。だが……戦を単なる出世の手段とは考えるな。……戦とは、突き詰めれば自分が生き残る為に他人の命を奪う身勝手な行いでしかないのだ」
「……」
「もちろん、だからといって、『戦うな』『敵を討ち取るな』とは言わぬ。だが……戦の場でお主が討ち取って己が手柄とした相手にも、お主と同じ様にその者自身の生があったという事は決して忘れるでないぞ」
「……っ」
「親が居たし、妻も、子も居たかもしれぬ。天涯孤独の身であっても、親しき友が居たかもしれぬ。――幸実にとっての儂のようにな」
「典厩様……」
昌幸が、信繁が何を幻視て話をしているのかを悟って、思わず声を上ずらせる。
一方信繁は、瞑目するように隻眼を閉じ、少し震える声で先を続けた。
「戦で死んだ者が生き返る事は無い。戦に負ければもちろん……たとえ勝ったとしても、親しき者と言葉を交わせなくなるのは……哀しく、虚しいものだぞ」
「……」
「だからな……」
目を開いた信繁は、神妙な顔で自分の話を聞いている昌澄を真っ直ぐ見つめ、諭すような声で言う。
「無用な戦はなるべく避けよ。戦が起こらなければ、こちらも相手も誰ひとりとして戦で死ぬ事は無いのだからな」
そう言った彼は、すぐに表情を引き締め、「だが……」と言葉を継いだ。
「どうしても戦を避けられぬのならば……可能な限り味方に損害が出ぬようにしながら敵を打ち負かす事を心掛けよ。だが、敵も同じ人間であるという事を心に留め、あまりに行き過ぎた事を仕出かさぬように自らと兵たちを律するのだ」
そこで一旦言葉を切った信繁は、昌澄が大きく頷いたのを見て満足げな微笑みを浮かべ、「さすれば――」と続ける。
「お主も、『逃げ弾正』と称えられる父と並び立てるような名将となるであろう。――精進せいよ、香坂源五郎!」




