偽命と策略
「な……?」
定満の言葉を聞いた政景は、思わず唖然とした。
「あ……敢えて偽命に乗って……だと? お主……よもや本当に狂うたか?」
「狂ってなどおりませぬ。某はいたって正気」
上ずる政景の問いかけに無表情で小さく頭を振った定満は、据わった目で彼を見ながら、「むしろ……」と続ける。
「某に言わせれば、越前守様や……殿の正気を疑いまする」
「貴様っ……無礼ぞ!」
「無礼は百も承知で申し上げます」
カッとして声を荒げる政景を前にして怖じる様子も無く、定満は淡々と言葉を継いだ。
「では、お伺いしますが……本日、武田左馬助信繁という男に会って、どのような印象を受けましたか?」
「どのような印象……?」
定満の問いかけの意図を測りかね、訝しげな顔をした政景だったが、少し考えてから「それは……」と答える。
「敵地の只中に居るにも関わらず実に落ち着いた物腰で、幾度も戦い合った我らに対しても礼儀を弁え……話をすれば深い教養と知力を感じられる……実に素晴らしい人物だと思うた。正直に申せば、傑物であると……」
「……」
政景の言葉を聞いた定満は……無表情のまま小さく首肯した。
「……某も同じでした。――だからこそです」
「……っ」
定満の答えにハッとする政景。
そんな彼の顔をじっと見据えながら、定満は更に言葉を継ぐ。
「そのような優れた男が敵の家中にいる限り、当家が今以上の飛躍を遂げる事は能いませぬ。ならば、掌中に飛び込んできた今を好機として、その命を奪うが上策かと」
「ま、待て、駿河守!」
静かな口調ながらも内に昏い焔を宿したような定満の声に気圧されそうになりながら、政景は慌てて反論した。
「敵の家中と申すが、武田家とは将軍家の仲介で和睦すると言うておるであろうが! 此度の話が纏まれば、武田殿はもう敵ではなくなるのだぞ!」
「……此度の和睦がすんなり成るとは限りますまい」
上ずる政景の声に眉ひとつ動かさずに答えた定満は、「それに……」と続ける。
「たとえ、今回の交渉が上手く運んだとしても、果たしてそれが永久に続くかどうか」
「それは……!」
「八年前の事も御座ります」
言い淀んだ政景に、定満は更なる追撃をかけた。
「一度は成った和睦も、片方……或いは双方の家の都合次第であっさりと崩れ去ります。そうなれば、また敵同士として戦場で相見え、多くの犠牲を払う事になり申す。……敵に優れた傑物が居るのなら、尚の事」
「だから……」
体の芯が冷えていく思いを抱きながら、政景がかすれた声で呟く。
「どうせいずれは壊れる和睦など結ばず、逆に使者として訪れた手強い男を手にかけてしまえと言いたいのか、お主は……?」
「左様」
「た……たわけた事を申すな!」
定満の言葉に一瞬だけ納得しかけてしまった自分自身を否定するように激しく頭を振りながら、政景は叫んだ。
「いかに上杉家の為といえど、そのような卑怯極まる行いをあの上様がお許しになると思うのか! ……それに、ここには足利覚慶様の使者殿も居る。もし、その策が露顕し、和睦を斡旋した将軍家の面目を潰すような真似をした事を咎められたら、我が上杉家の存亡に関わる事になるぞ!」
「無論、そのあたりの事は考えております」
政景の反論を見越していた定満は、口元を僅かに綻ばせる。
「当然、目に見える形で武田信繁の命を奪えば、越前守様の申した通りになりましょう。……だったら、決して暗殺と気取られぬようにすればよいだけの話」
「暗殺と気取られぬように……だと?」
「そう。たとえば……」
訝しげに眉を顰める政景に頷いた定満は、おもむろに暗い闇に包まれた湖を指さしてみせた。
「――明日の朝、野尻城から岸へ向かう途中に、武田信繁が乗った舟の底が偶然抜けて、湖の中に沈んで溺れ死に……とか」
「……っ!」
定満が淡々と紡いだ言葉に、政景は絶句する。
そんな彼を冷たい光を宿した目で見つめながら、定満は更に話を続けた。
「“不幸な事故”であれば、我々が卑怯者の謗りを受ける事は御座いませぬ。足利覚慶様からも……殿からも」
「……だが、事故を起こした事に対する非難は……」
「勿論、それはあるでしょう」
政景の言葉に薄笑みを浮かべた定満は、拳を作って自分の腹を横一文字になぞってみせる。
「その責は、野尻城主である某が引き受け、笑って腹を切りましょう」
「駿河守――お主は……」
「老いさらばえたこの命、当家の繁栄の礎と出来るのなら、喜んで捧げ奉りまする」
夜空を埋め尽くす星々を見上げながら、晴れやかな顔でそう言った定満は、唖然としている政景に目を戻し、「ですから……」と続けた。
「この宇佐美駿河守定満が編んだ最期の策を事前にお伝えしてご協力頂く為に、越前守様をこんな所にお連れしたのです」
「……協力だと?」
「ええ」
訝しげな声で訊き返す政景に頷きかけ、定満は自分の足元を爪先で蹴る。
「明日、湖の西岸へ向かう舟の一艘に、ある程度の時間が経つと船底に穴が開く仕掛けを施します。その舟に、武田信繁とその配下の者どもを乗せるのです」
「……っ」
「万が一にも、越前守様や覚慶様の使者殿がその小舟に同乗してしまってはいけませぬ。ですから、たとえ信繁から誘われても、決して一緒の舟には乗らぬようにと……」
「……それを秘かに告げる為に、武田家中の者や忍びの耳が決して届かぬ湖の真ん中に私を連れ出したという事か」
「ご明察」
政景の言葉にあっさりと首肯した定満は、やにわに目を細め、試すように尋ねた。
「という事で――某の策にご賛同……頂けますな?」




