書状と桐箱
屋根を叩く雨音がひっきりなしに響く狭い部屋の中で、ポツンと灯った燭台の傍らで控えていた輝虎の寵童――上村伊勢松は、定満が上座に敷かれた円座に腰を下ろすのを待ってから、ゆっくりと顔を上げた。
そして、傍らに置いた桐箱の上に乗せた書状を取り、恭しく両手で頭上に掲げてから定満に差し出す。
深々と頭を下げてから、目の前に差し出された書状を受け取った定満は、封紙に目を落とした。
流れるような運びで『駿河との』と記された少し細い筆跡に見られる独特の癖は、間違いなく彼の主君・上杉輝虎のものだ。
僅かな懐かしさと感慨を胸に抱きつつ、定満は封書を外す。
折紙形式 (一枚の紙を横に半分に折り、折り目の上と下を使って記した書式)の書状に書かれていたのは、自分の命に従って最前線の重要拠点である野尻城を守る定満を労い、その働きを賞して“良き物”を贈ったので受け取ってほしいというものだった。
「これはこれは……」
書状の内容を一読した定満は、思わず口の端を綻ばせる。
「斯様な老骨に有難きお言葉とお心遣い……痛み入り申す」
書状の向こう側に輝虎が居るかのように感謝の言葉を呟いた定満は、頭を下げた姿勢で彼が詠み終わるのを待っていた伊勢松に目を向けた。
「それで……この中に記されている“良き物”とは?」
「……こちらに御座ります」
定満の問いかけに頷いた伊勢松は、自分の傍らに置いていた桐箱を彼の前にそっと置く。
箱に向かって恭しく首を垂れてから、定満は蓋を開けた。
中に収められていたのは――、
「種子島……いや、この長さは、短筒と言うたか」
「はい」
箱から取り出した小ぶりの火縄銃をしげしげと見つめる定満に、伊勢松は小さく頷く。
「先年、殿がご上洛なさった際に、前の公方様 (足利義輝)より賜ったものと伺っております」
「なんと……!」
伊勢松の言葉を聞いた定満は、思わず声を上ずらせた。
「そんな貴重な物を、儂ごときに……?」
「御謙遜なさいますな」
感極まった様子で声を詰まらせる定満に微笑みかけながら、伊勢松は言う。
「長年に渡る駿河守様の忠節ぶりから考えれば、このくらいの品を贈られて当然かと」
「そ、そうかのう……」
伊勢松の追従に思わず口元を綻ばせた定満は、短筒の感触を確かめるように、節くれだった指でそっと撫でた。
「……この老骨に、そこまで気をかけて下さるとは……誠に勿体ない事じゃ」
そう呟いて、慎重な手つきで桐箱の中へ短筒を仕舞い直した定満は、伊勢松の端正な貌に目を遣る。
「殿からの賜りもの、確と受け取った。後ほど返状を認めるが、春日山へ戻ったら、お主の口からも『駿河がいたく感謝していた』と、殿に直接お伝えしてくれ」
「はっ。畏まりました」
定満の頼みに、伊勢松は深く首を垂れながら応じた。
そんな彼に小さく頷きかけた定満は、「で……」と首を傾げる。
「用件はそれだけか? 先ほどは、妙に思わせぶりな口調だったが……」
「……」
「他に用が無いのなら、儂はもう広間の方へ戻――」
「お待ち下さい」
腰を浮かしかけた定満を、伊勢松は短い声で制した。
そして、怪訝な表情を浮かべながら円座に座り直した定満の方へずいと上半身を寄せ、潜めた声で囁いた。
「――本題は、これからに御座います」
「……本題じゃと?」
伊勢松の囁き声を聞いた定満は、眉間に皺を寄せた。
「それは……先ほどお主が申しておった“殿からの密書”とやらか?」
「御意」
「……」
小さく伊勢松が頷くのを見た定満は、手元の書状に目を落とす。
「これが密書……という訳ではあるまいな。これは、何の変哲もない送り状だし……」
「はい。その通りです」
「……やはり、もう一通あるという事か」
伊勢松の返事を聞いた定満は、彼に向かって手を出した。
「ならば、早く渡すがよい」
「もうお渡ししました」
「……何じゃと?」
涼しい顔で頭を振った伊勢松に、定満は困惑の表情を浮かべる。
「もう渡したじゃと? しかし、お主はこれではないと申したであろうが」
「はい、それではありませぬ」
「だったら――!」
「密書は、そちらの方です」
苛ついて声を荒げかけた定満を軽く制した伊勢松は、無表情でそれを指さした。
戸惑いを隠せぬ様子で、定満は伊勢松が指さす先を目で追う。
伊勢松が何を指していたのか分かった定満は、思わずポカンと口を開けた。
「……封紙?」
「左様に御座います」
半信半疑で尋ねる定満に、伊勢松は軽く頷く。
それを見た定満は、訝しげに床に置いてあった封紙を手に取り、しげしげと見つめた。
「密書というが……別に、何の変哲もないが……」
「――駿河守様」
目を眇めたり封紙をひっくり返してみたりしている定満に声をかけた伊勢松は、ゆらゆらと揺れる燭台の火を指さす。
「その封紙の裏を、火で炙ってみて下さい」
「炙る……だと?」
唐突な伊勢松の言葉に眉を顰めた定満だったが、何かに思い当たった様子でハッと息を呑み、彼の言う通りにした。
燭台の小さな炎に炙られた封紙が、ジジ……と微かな音を立てる。
炎の熱を受けて、白かった封紙の一部が狐色に変色した。
「これは……っ!」
白い封紙に浮かび上がった狐色の線。それが何を意味しているのか気付いた定満は、目をカッと見開いた。
――それは、三文字の短い文章だった。
『討 左 マ』
思わず青ざめた顔を上げた定満は、微かに震える声で伊勢松に囁く。
「……『左マヲ討テ』。左馬――左馬助……すなわち、武田左馬助信繁を……?」
「はい」
定満の問いかけに、伊勢松は静かに頷いた。
「『武田家の使者である武田信繁を討ち果たせ』――それが、殿からの密命です」
そう淡々と答えた伊勢松は、口の端を釣り上げ――美しくもゾッとするほどに冷たい薄笑みを形作ったのだった――。
今回、密書として隠されたメッセージの伝達手段に使われた、紙を火で炙ると文字や絵が浮き出る方法は、学校の理科の実験でお馴染みの、いわゆる『あぶり出し』です。
果物の果汁や野菜の搾り汁、砂糖水などを使って文字を書く事で、そのままでは白い紙のままですが、火で炙る事によって書いてある部分が酸化などの化学反応を起こして変色して見えるようになる仕組みです。
日本であぶり出しが広く知られるようになるのは、江戸時代中期以降です。酒席の遊びなどで流行ったようで、国学者の本居宣長が書いた『在京日記』に記載があります。
戦国時代に既に存在していたかどうかは定かではありませんが、まあ原理自体は単純なので、いかにも忍びとかが使いそうだなぁと思って採用してみましたw




