城将と再会
御無沙汰しております。朽縄咲良です。
『甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ 【第二部・雄飛西進編】』の完結から一年、遂に第三部の連載を開始させて頂きます!
読者の皆様、大変お待たせいたしました!
【当シリーズ初見の方へ】
当作品は、タイトルからもお解りになる通り、シリーズものとなっております。
未読の方は是非とも、第一部『九死回生編』(URL https://ncode.syosetu.com/n3772gi/)、第二部『雄飛西進編』(URL https://ncode.syosetu.com/n8318ii/)からお読み下さいませ。
作品がお気に召したら、ブクマや評価や感想やレビューも頂けると、大変励みになりますので、よろしくお願いいたします!
また、同内容をアルファポリス・ノベルアッププラスでも連載中です。
内容は同一なので、なろうよりも読みやすいサイトがあれば、そちらの方でも……。
三度始まる武田信繁の物語を、どうぞお楽しみ下さい!
今後も、『甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ』をどうぞご贔屓に……!
――信濃国埴科郡海津。
川中島平を縦断するように流れる、「海の如く」と形容される大河・千曲川の南東に広がる平地に築かれたのが、奥信濃における武田氏の重要な拠点である海津城である。
海津城は、武田家の軍師だった山本勘助晴幸が縄張りを行い、永禄三年 (西暦1560年)に完成したばかりの新しい城で、山が多い信濃には珍しい平城だった。
一般に高低の利を得られない平城は、山の上や中腹に築かれる山城よりも堅固さに劣るものであるが、海津城は北西を流れる千曲川を天然の水堀とする事によって、その不利を解消している。
北と西を千曲川、東と南は千曲川から引いた水を豊富に湛えた水堀で固めた上、周囲の山に築かれた金井山城、寺尾城、雨飾城、鞍骨城といった支城がぐるりと取り囲む海津城の守りは極めて固かった。
海津城の役割は、ふたつある。
ひとつは、言うまでもなく川中島平――更にその奥に続く奥信濃の動向を監視し、越後の上杉輝虎が攻め寄せてきた際には直ちに迎撃する最前線基地としての役割。
もうひとつは、信濃の中でも豊かな穀倉地帯であり、永禄元年 (西暦1558年)に武田信玄によって本尊を甲斐に移されたとはいえ、未だに奥信濃の経済と信仰の中心地としての立ち位置を変えていない善光寺と門前町がある善光寺平を経済的に治める行政政庁としての役割である。
どちらの役割も武田家にとっては重要なものではあるが、海津城が平地に築かれたのは、むしろ後者の意味合いが強かった。
そして現在、その海津城を武田家の当主である信玄から全面的に任されているのが、宿老のひとりである香坂弾正忠虎綱である。
虎綱は、大永七年 (1527年)に甲斐国八代郡石和郷 (今の山梨県笛吹市石和町)で、豪農だった春日大隅の子として生まれた。
本来なら百姓として生きていく運命だったものの、天文十一年 (1542年)に父の大隅が死去した事で彼の人生は一変する。
姉夫婦との遺産を巡る裁判で敗訴して身寄りが無くなり、それを見かねた武田家当主の晴信 (後の信玄)に近習として召し抱えられたのだ。
はじめは使番として仕えていたが、その際立った美貌が晴信の目に留まり、寵童として彼に愛された。
――とはいえ、彼が天文二十一年(1552年)には足軽百騎を預かる足軽大将にまで出世出来たのは、主の寵愛によるものではない。
純粋に、彼の卓越した才覚によるものである。
長年に渡った武田家の信濃侵攻において、虎綱は幾度も目覚ましい戦功を挙げ、特に退き戦において卓越した働きを見せ、『武田の逃げ弾正』として各国に名を馳せた。
その能力を見込んで、晴信が虎綱に築造間もない海津城の守りを任せ、虎綱もまた、主君の期待に能く応えたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「香坂様、お出でになられた由に御座います」
「そうか」
海津城の大手門の前で、床几に腰かけていた大紋姿の香坂弾正忠虎綱は、家臣の声に瞑っていた目を開け、小さく首肯した。
そして、大紋の襟を整えながらゆっくりと立ち上がる。
控えていた小者が、それまで座っていた床几をすかさず取り除けるのを目の端で確かめてから、その場で片膝をつき、僅かな緊張を湛えた端正な顔を伏せた。
欹てた耳に、門前の道の玉砂利を踏む複数の蹄の音がゆっくりと近づいてきて、跪いた彼から少し離れた所で止まる。
そして、
「――おう、源助 (虎綱の幼名)。出迎えご苦労」
落ち着いた低い男の声が、虎綱の耳朶を打った。
久々に聞く声に懐かしさを感じながら、虎綱は応える。
「お久しゅう御座います、典厩様。甲斐よりご無事の御着到、この香坂弾正忠虎綱、心よりお喜び申し上げます」
「ははは、相変わらず生真面目な男だな、お主は」
虎綱の堅苦しい挨拶に、声の主――武田典厩信繁は思わず苦笑を漏らした。
「構わぬ、面を上げよ」
「はっ」
信繁の声に応じて顔を上げた虎綱の目に、初春の穏やかな陽射しに照らし出された精悍な顔が映る。
今から五年前――永禄四年九月の八幡原での大戦の際に、敵の刃によって切り裂かれた右目を眼帯で覆った顔は、穏やかな笑みを湛えて馬上から虎綱を見下ろしていた。
「久しぶりだな、源助。最後にお主と会うたのは、永禄七年の越後勢との戦の時だったから……かれこれ、もう一年半ぶりか。変わらず健勝のようで何よりだ」
「典厩様こそ」
その声色から、信繁の言葉が本心からのものだと察した虎綱も、その端正な顔に柔和な笑みを浮かべる。
「最後にお会いした時と変わらず……いや、むしろ、最後にお会いした時より溌溂さを増しておられるように見受けられますぞ」
「ははは、見え見えの世辞はよせ」
虎綱の言葉に苦笑しながら頭を振った信繁は、彼の顔を見つめながら「そもそも……」と続けた。
「年齢よりも十は若く見えるお主に言われても、揶揄われているようにしか思えぬぞ」
「あ、いえ、決して揶揄ってなど……」
信繁の言葉を真に受けて、虎綱は困った顔をする。
信玄に見初められて寵童となっただけあって、彼の顔は困惑していても、なお麗しい。
信繁よりも二歳下だから、今年で四十になるはずだが、とてもそうは見えなかった。彼の言う通り、十……いや、もっと若く見える。
もちろん、だからといって、虎綱に信繁を揶揄するつもりなど一切無く、先ほどの言葉は嘘偽りない本心からのものなのだが……。
――と、
「……香坂様は、典厩様を揶揄っている訳ではないかと」
それまで信繁の後ろに控えていた若い男がすっと馬を寄せ、彼にそっと囁きかけた。
「今のお言葉は、香坂様の本心からのものかと存じます」
「ええ、源五郎の申す通りに御座いますぞ」
助け舟にホッとした顔をしながら、虎綱は大きく頷く。
そして、懐かしそうな表情を浮かべて、若い男に声をかけた。
「お主も久しいな、源五郎……いや、喜兵衛」
「ご無沙汰しております、香坂様」
親しげに声をかける虎綱に、若い男――武藤喜兵衛昌幸は、その狐に似た顔をくしゃっと緩めながら頭を下げる。
そんな昌幸に微笑んだ虎綱は、彼の後ろに続いている見慣れぬ顔がある事に気付いた。
「典厩様……その方が……?」
「ん? ああ……そうだったな」
虎綱の問いかけに、信繁は少し慌てた様子で振り返り、額の広い壮年の男に声をかける。
「ご紹介が遅れて申し訳御座らぬ」
「いえ……」
信繁の詫びに、壮年の男は無表情のまま小さく頭を振った。
「久方ぶりの再会についつい心が浮かれて、話が盛り上がってしまうのも当然かと。どうぞお気になさいませぬな」
「……すまぬ」
気まずげにもう一度詫びた信繁は、軽く咳払いをしてから、虎綱に彼を紹介する。
「この方は、明智十兵衛殿。此度の甲越和与の橋渡しをする為に、伊賀の足利覚慶様が指し遣わされた御使者殿だ」




