第13話「僕たちは友達が少ない」
治水工事が終わった。
いや、もちろん治水工事が完了したわけではない。
畑だって開墾されてないし。
用水路も未完。
都市計画もはじまったばかり。
やることはたくさんある。
しかし、それらは代理の者に権限を預けて放置すれば足りる。
部下が工夫して勝手にやればいいのだ。
僕がやるべきなのは、あくまでも難しい仕事。
手をつければ兵を増強せざるを得ず、法にも反し、謀反を疑われかねない。
だから部下にはできない。
そういう面倒な作業を引き受けてやるのが、領主たるものの務めだ。
たとえば今回の場合。
普通の人間には人を川に突き落とすことができない。
それは良心のせいではない。
権限がないためだ。
戦場で人を殺す権限があることを丁寧に教えられれば誰でも人を殺す。
良心というのは権限のない無力な自分に対する一種の言い訳といえよう。
いわゆるルサンチマン。
いそっぷきつねでもいい。
良心という嘘で自分を一つ高等なところにあげて、執行者の残酷を見下す。
それが力なき民衆にできる唯一の抵抗なのである。
支配者としてはそれでも困らないので、特に言い訳はしない。
弱者はみんなそうだ。
いじめられっ子はいじめっ子に抵抗しない善良な自分を誇りに思うものである。
それは単に負け犬思考が染みついているだけなのだが。
戦わない自分のことをして善良と称し、それで満足する。
限られた勝者は特に悪いとも思わずに踏みつける。
それで何も起きない。
因果応報もむくいも何もない。
世界というのはそういう風にできている。
まあ、人生の段階が進むにつれてヒエラルキーも変わるので。
その時点でむくいはあるが。
子供時代の強者というのは大人になれば極端に弱くなる。
腕力が通用しなくなるからだ。
人生の最終勝者である金持ちや権力者はずっと勝ち続ける。
上を裏切ることのできる権限を下に与えない限り。
僕たちは勝ち続ける。
厳密にいえば、すべての権限を与えてやれば部下はなんでもできる。
今回のことも部下に任せれば解決しただろう。
君主より現場の仕事ができない部下というのは滅多にいるものではない。
彼らは優秀だ。
優秀ゆえに余裕があり、彼らは不満も持つ。
優秀な者は上がわかっていないなどという。
組織が非効率的だとか。
無駄な規則が多すぎるとか。
そういう愚痴をこぼす。
自分ならもっとうまく運営できるなどと吹聴することもある。
口には出さずとも、そう思う者は多い。
わかっていないのは下のほうだ。
上に立つ者は忠誠心の高い部下が大好きだが。
本当の意味で全てを任せて裏切らない部下の存在は信じない。
もしかしたらいるかもしれないにせよ。
少なくともまともな君主なら、自分にそれを見つけられるとは思わないものだ。
目の前の仕事しか見えないという部下はよくいる。
彼らはどれぐらい上司から警戒されているのかを理解できないらしい。
転勤が多い人間をして、経験を積ませるためだとかの意味不明な解釈をする。
バカか。
転勤が多いなら、単に横領を警戒されているのだ。
仕事で得た人脈を使って独立されるのを上が恐れている。
だから知己を得すぎないうちに仕事場をいろいろと変えて翻弄する。
すると部下は疲れる。
新しい職場に適応するのに精一杯になって、裏切る余裕さえなくなるのだ。
組織が非効率的だと下が感じたなら、大抵の場合はあえてそうしている。
勝手な判断で動けないように規則で縛っている。
好きにやらせれば活躍はできるだろう。
有能なら活躍する。
どんどん成長する。
そして最終的には一人で何でもできるようになり、上を裏切るというわけだ。
ゆえに、君主たるものは部下の力に一定の制限をつける。
権限を全て与えて活躍させることはまずない。
重要な役職はコネ持ちの人間で固める。
そうでなければ破滅だ。
力を与えられた部下はその牙でもって上司を食い破り、肉を食んで肥え太る。
これは支配者層にとっての常識だ。
ウォーレンでさえその禁を破りはしなかった。
彼の場合は興味がなかっただけだが。
それでも部下にすべての権限を与えて、勝手にしろとまでは言っていない。
治水工事は終わった。
この場合の終わりというのは、工事予定の完遂を意味しない。
権限の小さな部下でも問題なく進められる程度に安定したということだ。
不穏分子はみんな退治して潰しておいた。
後は予定通りに開発を進めれば、時間が経つほどに土地は豊かになるだろう。
「レンは働き者ですね」
僕が拠点にしているクロノ港までの道中。
カルラは感心したように僕を見た。
本気だろうか。
それとも、嫌みの一種か。
たしかに治水工事の最中は忙しく、カルラの相手はあまりできなかった。
毎晩会って遊びに付き合いはしたが。
体力的に2時間ぐらいが限界で、ずっと遊んではいない。
「労働は人の喜びだ。カルラは違うのか?」
「私は家でごろごろしているのが好きです」
「すまんが、僕はここ数年領地運営を怠けていたせいでカルラの相手はできない。せめて一番いい家と料理長を用意しよう」
「ありがとうございます」
「デートのために2日ほど用意する。観光が自由にできるように手配もする。それで許してくれ」
「わかりました。レンが差し向かいでずっと相手をしてくれるのが理想でしたが、今回は妥協しましょう」
おお。
よかった。
カルラのご機嫌伺いは治水工事よりはるかに重要だからな。
もう少し仕事が落ち着いたら、彼女を口説くことに注力するとしようか。
しかしカルラ、相当情が深い女だな。
情が深いというか。
執着しているというか。
さすがに毎日話せば飽きるはずなのだが。
生贄巫女のマリさんと話すのは3日で飽きたのに、僕に対してはそうではない。
彼女はいつでも僕を訪ねてくる。
べったりするのを好む。
家も一緒を望むし。
遊びをいくつも用意してはしゃぎ倒す。
何もしない日もあるが、その場合でも部屋から出ると嫌がる。
同じ空気を吸っているだけで嬉しい。
どうやらカルラにとって、僕はそういう存在であるらしい。
いやまあ、気持ちはわかる。
僕もできるならカルラといっしょにいたい。
なぜなら孤独だからだ。
部下というのは心を許せる存在ではないのである。
物語における部下のほとんどは裏切らない。
絶対の忠臣ばかりが登場する。
上は彼らにすべてを任せれば物事を解決できる。
しかし、現実世界において。
裏切らない部下と裏切る部下の区別などつかないのだ。
信じられる人間なんて僕たちには誰もいない。
部下たちは義理や名誉や利益のために僕たちに仕えているわけで。
心の救いとは違う。
君主と部下の友情を描いた物語は多いのだが、その多くはいびつなものだ。
上は奴隷のように下に対して尽くし、財を放出する。
下は恩も嫉妬心も感じずに、鈍感を極めたまま一方的に利を受ける。
それでかろうじて成り立つ。
あくまでもうわべだけ。
まともな血の通った人間なら耐えられるものではない。
あるいは、子供時代ならば友情が成立することもあるだろう。
子供の知能では彼我の間にある壁が理解できない。
だから友達になれる。
大人になってからは無理だ。
持てる者と持たざる者との間にある隔絶した違い。
それは人生の段階が進むにつれて、ありとあらゆる場面で、露骨に出る。
おそらく、普通の人間には僕とカルラとの間にある友情はわからないだろう。
本当の意味で孤独ではないからだ。
自分と対等な人間がどこにでもいれば、誰とでも友達になれる。
そうだと明言せずとも。
一緒にいるだけで心が救われる。
友達とはそういうものだ。
僕にとって、友達とはカルラだけだ。
カルラもそうだろう。
代わりはいない。
全世界を探せば何十人かはいるだろうが。
顔を合わせて触れられる距離にまで近づいてくれるのはカルラただ一人。
選り好みできる人間にとっては不思議に思える話。
外見的にはまったく釣り合わない。
性格も合わない。
趣味も違う。
男と女。
もしも僕たちが選べる立場にいたのなら、たぶん話すこともなかった。
そういう関係の二人だ。
でも。
それでも。
わざわざ一か月以上もかけて、海を渡ってカルラが会いに来てしまうほどに。
僕たちは友達が少ない。




