第9話「社畜の心得」
料理が運ばれてくる。
薫り高いスープや見た目に鮮やかなサラダなど。
それらを美味しくいただきながら、僕はノエルを見た。
所作が美しい。
行儀がしっかりしている。
一緒に料理を食べていても、まったく不快ではない。
しかし。
貴族をはじめとした有力者を相手にする時には、それでは不十分なのだ。
「ノエルの表面上のマナーはしっかりしているな。見事なものだ」
「ありがとうございます」
「だが、貴族相手の作法についてはてんでだめだ。学生のうちに矯正しておけ」
「貴族相手だと作法は違うのですか?」
「当然だ」
僕はきっぱりと断言した。
作法というのは形のことではない。
相手を敬う心根のことである。
ノエルにはそれがない。
特に貴族相手に対してのマナーが、まったく不足している。
「上級貴族相手、特に公爵家相手の失礼は致命傷になる。常に気を付けろ」
「失礼とは、具体的には?」
「自分が上だと思わせる行為全般だ。卑屈にみっともなく媚びを売れればそれでいい。とにかく相手の意見に逆らうな」
「それは……たとえ相手が間違っていてもですか?」
「そうだ。失礼とはそういうことだ。たとえば相手が犬のことを指して猫だと表現したのなら、それは猫なのだ。決して指摘してはならない」
「……ばかげた話です」
「かもしれん。しかし、何が正しいのかは人によって違う。上が正しいと決めることで組織は一つになれるのだ」
裸の王様をバカにする人間がよくいるが、それは違う。
バカになれるほど部下を教育できた王様の手腕をほめるべきなのだ。
王の欠点を指摘した人間をみんな消す。
組織から追い出して弾く。
それを徹底することで、効率的な組織というものが完成する。
下に好き勝手やらせれば、あとは横領天国になるだけだ。
人の正義はそれぞれ違う。
各々が正しいことをすれば悲惨なことになる。
組織の財産を勝手に使って慈善活動とか。
女をかこったりとか。
病気の両親を助けたりとか。
ギャンブル的な事業をはじめたりとか。
徒党を組んでクーデターとか。
ろくなことにならない。
そこまでひどくはなくても、機密情報を抱えて出奔したりする。
ばかばかしい。
必死で育てた人材がよそに流れて活躍するなんて、もはや悪夢でしかない。
「人が身に着けるべきマナーは本来一つだけだ。上に逆らわないこと。これさえ守っていれば間違いはない」
僕がそのようにまとめると、ノエルはさらなる疑問を口にした。
「上とはなんですか?」
「力がある存在のことだ。権力、財力、武力、知力。なんでもいい。その場その場で変わる。学問の場で武力や財力が高くても何の役にも立たん」
「貴族相手だと権力ですか?」
「そうだな」
「財力や軍事力は?」
「それは権力を保証するものだ。政治力もそうだな」
「貴族社会において、私の位置づけはどのような場所にあるのでしょう?」
「さあ?」
僕もそれはよく知らん。
建前としてならば騎士よりもノエルは下だが、実質はもっと上だ。
侯爵夫人としてのノエルであれば、だいたい子爵家の当主と五分ぐらいか。
僕の婚約者としての今のノエルなら、男爵家の当主ぐらいならなんとかなる。
実のところ、この立場は家によって異なる。
愛情によって変わる。
当主からどれだけ愛されるかで伴侶の発言力に天地の違いが出る。
場合によっては当主本人よりも強い発言力を持ってしまうことさえある。
「詳しくは教育係に聞け。爵位持ち相手なら下手に出ておけば問題ない。相手がよほどのことをしてきた時だけ反撃しろ」
「よほどのこととは、例えば?」
「体を触ってきたり、ひどい暴言を吐いたり、暴力を振るったりとかだな。その場合のベストな対処方法は逃げることだ。そして後で僕に言え」
「逃げられない時はどうしますか?」
ノエルがあり得ない設定について聞いてきた。
逃げられない。
例えば5人ぐらいの強面に囲まれて乱暴されそうだとか、そういう状況か。
極端だな。
僕の人生でも、そこまで深刻なトラブルに出くわしたことはない。
せいぜいケンカぐらいだ。
その場合は護衛に頼めば解決してくれる。
護衛がいない場合は……まあ、自分でなんとかするさ。
「そもそもそんな状況に陥るべきではない。周囲に人がいるのなら大声で叫べばいい。誰もいないのなら、どうしようもないな」
逃げられないのなら、戦っても勝てないだろうし。
いや、わからんか。
ノエルの家は武闘派で有名だ。
そういう状況設定は常にしているのだろう。
ここは話を合わせておくべきか。
「下級貴族が相手なら、戦っても別に構わん。お前は死ぬかもしれんが。スークス男爵家の武名を汚すことはないだろう」
「問題になりませんか?」
「殺したら戦争にはなるかもな。しかし、そのレベルでなめられているのなら下手に出るのは危険だ。もちろん穏便に済ますことが望ましいが、どうしようもないことはある。判断は任せる」
「身内を傷つけられた場合はどうでしょう?」
どうもノエルは想像力がたくましいな。
悲観的すぎるというか。
そういう性分なのだろう。
まあ、ありそうな設定ではある。
権力を盾にしてメイドを連れ込んで乱暴とか、どこででも普通にある。
そして、その場合の答えは決まっている。
「侍女が犯されたぐらいで手を出すべきではない。我慢しろ」
「自信がありません」
「まあ、お前はそれでいいのかもしれん。しかし、可能な限り相談してからにするのだ。公爵級貴族を敵に回せばノエルの身が亡びるだけでは済まないぞ」
ノエルだけが死ぬのならまだいい。
自業自得である。
悲しくはあっても個人で完結することだ。
その責任は彼女の死をもってすれば取れるだろう。
しかし、公爵貴族を敵に回した場合。
話はそれで済まない可能性がある。
下手を打てば戦争になる。
戦争になれば負ける。
負ければ利権を失う。
利権がなければ家臣の大半は路頭に迷う。
死者は山ほど出るだろうし、みじめな思いもするだろう。
「下級貴族相手なら多少は目をつぶる。上級貴族相手に無礼な真似は許さん。これはエニウェア侯爵家全員の総意と言ってもいい」
「たとえ身内が傷つけられてもですか?」
「その通りだ」
僕が力強く断言すると、ノエルは根負けしたようにため息をついた。
「貴族というのは、思ったよりも大変なのですね」
「人ごとのつもりか?」
「いいえ」
「ならいい。お前も貴族だ。忘れるなよ?」
「わかっています」
ノエルは凛とした表情でうなずいた。




