第10話「人を殴ったのは初めてだ」
それからはトラブルもなく進み、ついに3層に入った。
もはや危険はない。
モンスターさえもまばらだ。
歩くのに難儀するようなケガを負っているのならともかく。
健康な人間であれば一般人でも地上にたどり着ける。
そういう場所にまで戻ってきた。
3層の休憩所まで戻ると、学生のキャンプがあった。
7名ほどの集団だ。
キャンプを拠点にしてモンスターの狩りをしているらしい。
荷車には毛皮や角や魔核などといった素材が山と積まれている。
それなりに優秀なパーティーだ。
5層に行かなければ手に入らないような素材もある。
量も多い。
これが冒険者というものか。
僕が感心しながら見ていると、赤目赤髪の男が近づいてきた。
「ウォーレンじゃないか」
誰だこいつは?
記憶を探る。
えーっと、名前はアゼル。
キャビア子爵家の三男。
筋肉質。
中肉中背。
イケメン。
魔力はそこそこ。
成績や戦闘力はそれなり。
僕との関係は……あれ、いいたくない?
よくわからんな。
ウォーレンが口をつぐんでいる。
にやにや笑いながら、アゼルが話しかけてきた。
「やけにくせーぞ、お前! ションベンでももらしてんのか?」
「さあな」
「おおかたモンスターに追われて逃げてきたんだろ」
「そうだな。逃げた時は逃げたかな」
牛の群れやら魔族やら。
いろいろいたし。
誰でも逃げると思うのだが。
「何層まで行ったんだ?」
「10層だ」
僕の答えに一瞬目を見開いた後、アゼルはあざけるように笑った。
「うそはましにつけよ! 10キロ歩いただけでへばるお前が10層に行けるわけねーだろ」
「嘘などつかん。侯爵家の名誉をかけてもいいが」
「はっ! 信じるかよ! 侯爵家の名誉ってのはずいぶん軽いんだな。お前に使われるのが気の毒だぜ!」
げらげらげら、と笑い声が聞こえる。
パーティーメンバーまで一緒になって僕を指さしていた。
なんだこいつら。
すげーうぜえ。
つーか、まさか僕の身分がわからないのか。
「僕は侯爵家の跡継ぎだが?」
「ははっ、こいつ、家の権威をかさにきてやがる!」
「恥ずかしくねーのかよ!」
「かっこわりー!」
向こうのパーティーの連中が一斉に団結して嘲笑を浴びせてきた。
うへえ。
なんだこの状況は。
僕はもう一人の僕へと問いかけた。
答えはない。
ただ、心の中のウォーレンがびびっているのはわかる。
なるほど。
子供のころからのくせだな。
いじめられたまま日を過ごしていたらしい。
だからか。
まったく、もう15歳だというのに。
しっかりしろよウォーレン。
お前は僕なのだぞ。
やれやれ。
仕方ないか。
僕は彼我の戦力を計算した。
問題ない。
とはいえ、護衛は現状では使えない。
彼らは部外者だ。
貴族同士の戦いにはかかわるなと言われている。
なにせ子供のやることだ。
子供の世界のことは子供にまかせる。
そういう協定があるらしい。
身分差を考える。
だいたいは平民の学生。
こいつらには護衛をけしかけても問題ない。
男爵の次男が1人。
子爵の三男が1人。
弱いのは男爵だ。
なら、そっちからだな。
僕は覚悟を決めた。
「証拠の魔石ならあるぞ?」
「見せてみろよ!」
僕は石をかかげる。
そのまま男爵家の次男の前まで歩き、その襟首をつかむ。
ぽかんとしている男の顔面に勢いよく頭突きを入れた。
「ごあっ!?」
直撃だ。
次男の体がよろめく。
手ごたえは十分。
よし。
まずは先手を取ったぞ。
ひるんだ男の袖をつかんで引き倒す。
体格は僕が上だ。
体重差も倍を超える上に、魔力ならさらに差がある。
地面に叩きつけられて息を吐き出した男爵家次男。
その体に馬乗りになる。
左手を足で挟み込んでマウントポジションを取った。
「な、ちょ、まっ!?」
鼻血を出しながら顔を覆っている次男の指。
その上から拳を打ち下ろす。
絶叫が響き渡った。
「ぎゃああああああああああ!?」
次男の悲鳴がこだまする。
手袋ごしに彼の指が砕ける感触があった。
歯も欠けた。
口から血があふれている。
重ねて二度三度と殴りつける。
誰も僕を止めなかった。
降ってわいたケンカに動きが固まっている。
修羅場に慣れていないらしい。
ガキだな。
男爵家の次男を十分に痛めつけたので、僕は殴るのをやめた。
ふむ。
これが人を殴る感覚か。
前世では経験がなかった。
なるほど。
しかし。
「悪くないな」
僕はゆっくりと立ち上がり、アゼルとその取り巻きをにらみつけた。




