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自分の乗る車が轟音とともに、ものすごい速度でぶっ飛んでいく。
隣でハンドルを握るお父さんはそんな中、かすかにだけど口元をほころばせていて、オレまで一緒に高ぶってくる。
フロントから見えるのはどこまで行っても赤土ばかりだ。果てなく広がる荒野にすらりと伸びたアスファルトの上で、黄色のセンターラインが静かにのたうっている。
「次の仕事はなんなの、お父さん」
轟音に負けないよう、オレは声を張る。今度はどこまでこれをたどるのだろう。
季節は深まって、冬に入り始めたころだ。お母さんを置いて村を出たのが夏の終わりで、実際はそんなこと全然ないのに、もうずいぶん長い間一緒にいる気がする。
「宝石を集める仕事だ」
返事がある。
「さっき電話を借りて連絡していた人の所?」
お父さんの首元が、そう聞くとかすかに揺れる。
「そう。荒野を露天掘りして原石を見つけ、しかるべき業者に高く売り飛ばす。単純な仕事だな、楽ではないが」
太い声が窓の外を指す。もうすぐ着く、その合図だと思う。
いつかお父さんに引きずられたときと同じ夕暮れ時。窓を試しに開けたら冷たい風が入り込んできて、オレはあわてて羽織っていた上着の前を押さえる。
「やっぱり外なの?」
お父さんと一緒にコウバにいるのも、寒さでそろそろ大変になってきた。車内に視線を戻して、ダッシュボードの機材を覗くと、かすかにだけど暖房が掛けてある。いつの間に。
「いや。ガキ、お前は違う」
お父さんが答える。目線は不気味なまでに前を向いたままだ。
「鉱場を仕切っている女が荒野のど真ん中で酒場をやっているんだよ」
コウバ、とまたお父さんは言う。
酒場という単語の持つ薄暗いイメージが、あたりに広がる派手なレンガ色の砂と上手くつながらない。
「人来るの、そこ」
聞くと、そんなことあるわけないだろ、お父さんは言いたげにすばやく首を振る。
「この道を走る車しか、そもそもたどり着けないんだぜ。周りが荒野になってもう何時間だ? 今まで何台の車とすれ違ったよ?」
そんな調子で大げさに否定する。半日は、経っていない、ような気がする。オレは過ぎた時間を思い出そうとする。すれ違ったのも、二ケタには届いていないはずだ。そのうち何台が、そんな得体の知れない場所で足を止めるのだろう。
「まあ、それでも店を開け続けているってことは、かなり、やりくりが上手ってことなんだろうよ」
感嘆のため息で話をまとめる。
「酒場でオレはその人と二人きり、お父さんは外で宝石探し、そういうこと?」
オレは確認を取る。お父さんはこともなげに頷く。
せっかく寒いのとおさらばできるはずなのに、少しも嬉しくない。
「別に店長は怖い人じゃないよ。工場の機械類の方がよっぽどだ」
顔に出ていたのか、お父さんは、少しずれた方向から心配してくれる。
そんなこと、別にいいのに。お父さんと離れ離れになることの方がよっぽど、オレにとって気がかりなのに。
お父さんはいつも、仕事場までオレを連れて行ってくれる。自分の目に付く所に子どもを置いておきたいのか、それとも仕事を覚えこませて早い所オレを後継者にしたいのか、理由は今まで聞けていない。
だからオレは勝手に、お父さんは後者を理由にオレを振り回しているんだと考えていて、だからこそ熱心に一日中、お父さんの手つきを観察した。
でも今、お父さんの口ぶりからはオレを心配していることしか感じ取れなくて、後者のきな臭い匂いは微塵もただよってこない。
「オレはもう、仕事を見ていなくていいの?」
それは、とても寂しいことだ。
「一回だけ、試してみるだけだ。お前だって寒い中、することなくてじっとしているのは、さすがにしんどいだろ?」
お父さんは、優しく話してくれる。オレとの間にある腫れ物のようなしこりに触れないように、言い切ってしまわないように、話し方や言葉を選んでくれている。お父さんが他の出稼ぎと揉めごとを起こして、オレはお父さんと二人、前の仕事場を逃げ出してきた。巧妙に、言葉の裏に隠してくれてはいるけど、原因はきっとコウバに居座り続けたオレなのだ。
お父さんは夜ごと、コウバで余計なことした人間が、そのあとどんな災難に見舞われるかって話を聞かせてくれる。教訓はいつも、じっとしていれば怪我をすることもなく、怒鳴られることもない、ってそんなことだった。誰にも相手にされないのはかなり不満だったけど、汚い言葉で、心ない態度で、嫌な気持ちにされるよりずいぶんましだ。それでも、言いつけをいくら守っても、ガキのオレを不快に思う出稼ぎはいたのだろう。お父さんはそう思われるのがきっと嫌で、またもや自由になるため逃げ出したのだ。
「しんどくなんてない、平気だよ」
オレは問いかけに、お父さんのいたわりの言葉に口答えする。お父さんの提案は『これ以上のもめごとは避けたい』そんな意思の表れだ。でも、それはお父さん側の都合でしかない。お父さんとずっと一緒にいたいと願うオレには、まるきり関係がない。
「まあ、じゃあ、店長に会ってみてから決めればいい。看板がチラッと、見えるだろう? あそこだからな」
お父さんはそう言って話を先送りにして、代わりにハイウェイのはるか先を指さす。なだらかな丘を下ったその向こうに、赤サビ色の四角が小さく見えている。
みるみる近付く。車がものすごい速度を出している。そう改めて感じる。
酒場というにはいささか大きな建物がポツン、と道路の左側に面して建っている。二階建てで、細い金具で作られた黒っぽい階段がウレタンのつるつるした壁に這わせるように外付けされている。砂ぼこりがかすかに左へと流れていく。
風の吹く先には放射状にいくつも、小屋が建っている。ログハウスの三角屋根を半分あたりで切り取ったような奇妙な形だ。無秩序に建てられた家々は、遠くまで尾を引く赤い砂煙と相まって、ハイウェイを無謀にも横断しようと冒険する野生動物の群れみたいに見える。
「着いたぞ」
お父さんが言いつつ、乱暴にブレーキを踏み抜く。オレはダッシュボードにくっつけた足で、前に吹き飛ばされないように突っ張る。タイヤが高く鳴る。店の前に雑然と並ぶ車のすき間に吸い込まれるみたいに、ハンドルをさばいてピタリと止める。エンジンを切り、鍵をそのままにして、お父さんは立ち上がる。
急かされる前にオレも降りる。膝の上に置いておいたリュックを背負う。
遠くから見えていた赤い看板はペンキがはがれ落ち、白抜きで書かれた文字はすっかりつぶれてしまっている。
お父さんはポケットから財布を取り出して、ストラップ代わりにぶら下げた合鍵で車をロックする。
「じゃあ、行くか」
そうつぶやきながら、お父さんは木製の分厚そうな観音開きのドアの前に立つ。車のそばにいるままのオレにニヤリと視線を送ってくるから、オレは速足でその隣まで行き、差し出された手に自分の手のひらを重ね、「うん」と頷く。
二人並んで、ドアを開ける。
からんっ。
「いらっしゃい」
暗い。奥から声がする。女にしては低い。
「相変わらずシケてやがんな、ここは」
お父さんは落ち着き払って、扉の向こうへ足を踏み入れる。四人掛けの丸机が広い内装の中に、まばらに、まだらに、居心地悪そうに置かれている。
オレは大きなお父さんの隣でなんとか胸を張り、歩調を合わせて進む。
天井から吊るされた電球がいくつか、淡く光っている。灰色のおしゃれなカウンターが酒場の一番奥で青く、怪しく光っている。背の高い丸椅子たちが、そのカウンターの客側、手前の所に、赤黒く鈍い色をかすかに見せつつ等間隔に整列している。
店側には女のひとが一人、頬杖をついて座っている。下半身はカウンターで隠れ、手と顔だけが光の具合で少し浮かび上がる。その背後には横に大きな棚が置かれ、天井にまで酒瓶を、うずたかく積み上げている。
すべての照明が心もとなく、店内はすっかり夜めいていた。
「あんたか、いつ以来かな? どうして今さら」
いかにも退屈にかまけて、って感じのゆるい気だるさで女のひとが話しかけてくる。
「どうでもいいだろ面倒くさいな」
お父さんはぶっきらぼうに一言で返して、同時にオレとつないだ手を払う。
「それより、店長。こいつ、どうしたらいい」
余計な茶々が入る前にと、さっそくいつも通りのセリフで話を始める。頭に乗せられた手のひらが鬱陶しい。
「知らない」
店長と呼ばれた女の人は、『あたしは関係ない』という空気を瞬時に作る。どうでもいいだろと言ったお父さんへの当てつけにも聞こえる。
「そんなヤツ、好きにさせていればいいじゃない。死んだときは死んだときでツイてなかったで済ませれば」
どこの長も最初に言うことはおんなじだ。お父さんは慣れたしぐさで引き下がる。
「酒場に置いてくれるか」
「お代はもらうよ」
強引さに、店長は迷惑そうに目元をゆがませる。
「ありがとよ、店長。空き家ならどれを使ってもいいんだよな?」
そんな相手の反応をさわやかに笑いながら、お父さんは話題をささっと先に進める。空き家というのはきっと、酒場の外のログハウスのことだ。
「だね」
店長は短く答えてカウンターの下へ潜り、ガサゴソとなにか探し始める。
「はい、鍵」
そう声を上げて突然、鍵の束を放ってくる。
「家の前にぶら下がっているパイプの番号と、鍵の印字が対応しているから」
「少ないな。これじゃあ大体、いい所はもう取られているだろ」
お父さんはそんなことをぼやく。オレはその手の中を覗き込む。不釣り合いなくらい大きなリングに、鍵は数本しか残されていない。
「酒場は変わらず盛況だ、って言ってよ。だって世界は早い者勝ち、それはずっと変わらないことだろ?」
「子どもに噛んで含めるみたいに言うな」
気の立った声で、お父さんはさえぎるように言う。突然のことで、オレはびっくりしてしまう。誰も口を利かなくて、お父さんはそのまま、銀に輝く鍵の束を鳴らして酒場から出て行こうとする。
「ガキ、荷物持っていくぜ」
途中で踵を返し、オレのリュックに後ろから手を掛ける。あわてて肩から外す。
からんっ。
お父さんはそうして、今までの仕事場と同じようにあわただしくオレのことを置き去りにする。沈黙が降りて、でもオレは一人じゃない。
「あんた、ガキって名前なの?」
店長はカウンターにもたれたまま、脈絡もなく話しかけてくる。
「違うよ」
「変な呼び名だ」
雑な感想を述べられても困る。オレはお父さんの他人行儀な呼び方が、なんだかんだ結構、気に入っていた。
会話が止まる。強めに掛けられた暖房の音が耳につく。
オレはごわごわした上着を脱いで、腕に残ったそれをどうしようか悩む。立ったままそんなことをするオレを、店長は珍獣を見る目で観察してくる。
バレリーナみたいな髪型だ。前髪からなにから、すべて櫛でまとめ後ろで縛っている。きれいな卵型の頭が映える。
にらめっこに飽きたらしく、女の人はカウンターから身体を引きはがす。立ち上がって、こちらに歩いてくる。
襟のある黒いベストに、蝶ネクタイ。下も同じく黒いスラックス。男物の服で身を固めていて、オレはその奇妙さに面食らう。
「どうしてついて行かないの? 家を選ぶってときなのに」
探るように店長は再び、オレに質問を投げかけてくる。
「多分、お父さんなりのいたわり」
一応、真面目に答える。こういうことの積み重ねで、オレをいろんなことから守ってくれているつもりなのだ。じっとしていれば生き残れるような、檻を用意しておきたいのだ。
「ふぅん、そんなもの? よく分からないけど」
オレにだってよくは分からない。こういう話題は、お父さんとすべきだと思う。
「あんたの父親、前と全然違うね。大分ぶっきらぼうだ」
オレの知らない頃の話を店長はし始める。
「元から子どもがいたのかね? ああ、でもあんたのその見た目なら明らかにあたしに会う前からいた子どもなんだろうね。教えてくれたらよかったのに」
口から感想がこぼれていく。オレはそれを黙って聞いている。
「つれないね」
唐突に、店長は矛先を向けてくる。それでもオレは、返すべき一言を用意できない。
「んーと、じゃあさ、仕事はなにが出来るの?」
店長が明るく後ろ髪を揺らして、仕切り直して尋ねてくる。
「例えば、調理とか、接客とか。洗い物や掃除あたりを手伝ってくれたら、あたしは嬉しいけどね」
「どれも出来ない」
店長が並べる言葉に、オレは短く答える。コウバの機械には触らない方がいい。胡散臭い人間には関わらない方がいい。頼まれたって動かない方が利口なのだ。
「へえ」
店長はオレの言葉になにかを察して、怪しくほほえむ。カウンターの方へ戻って行き、カウンター手前の椅子をひとつ引き出してオレの方を見る。
「じゃあここに座って、テレビでも見ていな」
そう言ってカウンターの端に直置きされた、大きな黒い画面を指さす。ろくな固定がされていないのも手伝って酒場になじまない。アンバランスで不気味だ。
オレはカウンター席まで歩いていく。背の高い椅子は、一度座ると足が届かなくて、でも正直に言ったら恥を余計にかくだけだから、ひっそり黙っている。
「それならそれで子守り代をきっちり取ればいいだけの話だし」
なにか小言を吐きながら店長は配線をいじり、テレビの裏側をまさぐる。
かちっ。
画面が白く光り出す。
ニュース番組だ。アナウンサーがなにやらがなり立てている。
『今までこの地域で竜巻が起こった観測データは数件しかなく、そのいずれもが、ここまで大規模なものではありませんでした』
季節外れの竜巻が発生し、どこかの街が大きな被害に遭った。そう報道しているらしい。
「チャンネルとか困ったら自分で操作しなよ。あたしは、店の奥で夕食の準備とか在庫の整理とかしてくるから、お客が来たら上手くしゃべってつないでおいて。まあそんな奴、こんな時間じゃいないと思うけどさ」
一方的にそう言い残し、酒棚の横合いに開けられた穴から厨房のあるらしい奥へ吸い込まれていなくなってしまう。
広い店内にぽつり、取り残された寂しさをテレビの音が埋める。
『以前の調査でも、地下室を持っていると答えた家庭は、この地域にはほとんどありません』
ヘリコプターの風を切る音に交じって、アナウンサーの声が聞こえてくる。画面上では被災地の状況がライブで届けられているらしい。
ガレキが、長方形に散らばっているのが見える。それは等間隔に整然と、いっそ無機質に並んで群れをなし、その四角の集合が、遠景を抜くテレビの画面いっぱいに、ひたすらどこまでも続いている。
平屋の住宅街、だったのだろうか。元がなんだったか、上手く想像できない。
『時季外れであることも災いし、災害発生時、十分なアナウンスにも関わらず住民のほとんどは、公的なシェルター等にも逃げ込まなかったとみられます』
画面の端に映るテロップが街の名前を教えてくれる。
今映っているのは、オレとお父さんが暮らしていた街じゃないだろうか。
つづりに見覚えがあった。
『以上の要因が重なった結果、ここまで死者、行方不明者が膨れ上がってしまったと考えられます』
『それは未然に防ぐ手立てがあったと、そうおっしゃりたいのですか?』
女の人の声が、入れ替わるように響く。
『放送が届いていて、しかし逃げる場所に当てがなく巻き込まれてしまった方々も大勢いらっしゃるのではないでしょうか』
そんな言葉を皮切りに、テレビの向こうでは犯人探しが始まる。生き残った者の中から、さらに、生け贄を見つけようとする。オレは急いでテレビに近付いて、店長が触ったあたりの基盤を覗き込む。
灰色の中でひとつ、真っ赤なボタンを押しテレビの電源を落とす。
暖房のうなり声が帰ってくる。うなじの髪に触れ、両耳をふさぐ。
耳について鬱陶しい。
静かな音の中で考える。この、予期せぬ竜巻に殺された街の人間はなにか、よくないことをしでかしてしまったのだろうか。コウバで災難に見舞われる愚か者と同じように、なにか。
調子の悪いプレス機を直そうと機材の裏を覗きこんで頭と肩の半分をつぶされた男と、嵐に飲み込まれ、きっと死んでしまったコウバの他の人間は、同じだけ愚かなのだろうか。
反対に、どうしてオレは、お父さんは、まだ生き残っているんだろうか。
からん。
ドアチャイムが鳴る。オレは、ばっ、と音を立てて振り向く。
「荷物置いてきたぞ」
「あ、ありがとう」
お父さんがいつもと同じぶっきらぼうさで立っている。荒野はすっかり暗く、ほの暗い店の中からそれでも漏れ出す淡い光で、入口の前に立つ大きな身体が浮かび上がっている。
「なんだ、どうしたんだよ?」
酒場の中に入るより先に、オレの顔を見てなにを勘付いたのか、そんな風に不器用に心配してくる。
「なんでもないよ」
風はほとんど吹きこんでこない。闇は、外のことだ。
街の名前に見覚えがあったことだって気のせいかもしれない。オレは今見たニュースのことを黙っておくって決める。
「店長は? 奥か?」
お父さんは使い終わった電池を入れ替えるように、新鮮な疑問を、オレに向かって無造作に投げかけてくる。言いながらやっと酒場の扉をくぐり、電灯の明かりに包まれ、オレと同じ、生き残った人間になる。
「うん」
「そうか」
そのまま、お父さんは見慣れない動きでこっちに近付いてくる。オレを迎えに来るというよりは、もっと遠くの、カウンターの裏をうかがい、隙あらばひっそり忍び込もうとしている、そんな風に見える。
「どうかした?」
声がする。店長がいつの間にか、カウンターの穴から顔を出し酒場に現れる。
「作業中だろ、店長」
「そうだね」
余裕そうに答える。お父さんはそんな店長の様子にたじろいで、頭の中を整理するように唇をなめる。カウンターの裏からぐつぐつと、なにかを煮る音が聞こえてくる。
「そこまで他人は奥に入れたくないのかよ」
「子どもが一緒だとまるで違う人間だね、あんた」
お父さんの声と、店長の茶化すセリフがぶつかる。お互いに相手の質問に口ごもって、会話は目詰まりを起こす。
「飯は上か?」
不本意そうにお父さんは別の話題を出して都合の悪い話題を流し、強制的にやり取りを終わらせようとする。
「待って、待って。あたしと酒を飲み交わすのが最初だろ?」
店長は一瞬のフリーズのあと、すぐに余裕そうな口調を取り戻して、そんなお父さんをやんわり呼び止める。
カウンターの正面までゆったりと移動する。客をもてなすときの、戦闘配置につく。まとうオーラがそれだけでがらりと変わったような、そんな不思議な感覚を覚えて、オレは知らずそんな固い言葉を連想している。
「あんたみたいに、昔もここにいた、って奴は最近いないんだからさ」
店長は言いつつ、テーブルの下から銀のコップを二つ取り出す。酒場にしては色気が足りない。
「宝石がろくに出なくなったんだから、長居しろって方が無理あるだろ」
お父さんは誘いに乗らず、カウンター席に着こうとしない。絡んでくる店長を迷惑そうにあしらおうとする。
「じゃあ戻ってきたのは子どものせい?」
「分かっているんなら聞くなよ」
二人の短いやり取りが突然、流れ弾のように飛んできて胸に刺さる。ここまで来てしまったのは、オレが一緒にいるせい。
「それより、上じゃ男どもが待ち構えているぞ」
お父さんは強引に話題を変えようとする。オレがこれ以上傷つかないように、だろうか。店長は聞かれて天井を見つめる。証言とはあべこべに、物音ひとつ聞こえてこない。見た目にそぐわず頑丈なつくりをしているらしい。店長はほんの少しだけ、口角を下げる。そんな風にわざと表情をゆがめようとしたせいで唇が尖ってしまって、店長は顔全体を両手でぬぐって、オレから覗いてしまった気持ちを丸ごと隠そうとする。
「このまま放っておいたら男ども、ここまで怒鳴りこんで来てくれないかな」
「早くしろって意味だよ」
静まりかえる酒場に店長がおどけたように言って、お父さんはその呑気さに苛立ちをあらわにする。
叱られた店長はしょげたように、オレたちに背を向けて酒瓶をいじり出す。なにか、探しているらしい。酒瓶に手を掛け「いやでもこっちの方が」と小さくつぶやくのが、何度か聞こえてくる。
「どうせ、男どもなんてお酒すらなくたって騒げるじゃない」
沈黙に消しゴムをかけるように、店長はさっきと同じような自己完結の言葉を並べ始める。
「騒げばぐっすり眠れる、明日も元気に働ける、一日の疲れを騒いで飛ばして次の日へ。このループに沿って金をたんまり稼ぐことだけが、あんたら出稼ぎの目的なんだろ?」
背中を向けたままこすって消して、でも店長が止まると、沈黙はまたすぐ侵すように酒場を黒ずませていく。店長の焦りが背中から覗いている。
「もしそうなら、店長を襲う理由もないな」
お父さんはやっと答える。
「そうあたしは言いたかったの。あんたも、なにもかも、面白くないねまったく」
セリフとは対照的に、店長はとても嬉しそうに言う。迷うように棚のあちこちをさまよっていた指がすっかり止まっている。
「面白がりたいなら上に来ればいいだろ」
店長の口にする一々に、お父さんは形だけでも合わせようとする。
「嫌だね」
店長はそんなお父さんをきっぱり拒絶する。
「そうか」
もう勝手にしてくれ、そんなトーンでお父さんはこぼす。
「あんたがそんなに早く、上に行きたいなら好きにすればいいけど」
店長はそんなお父さんの不機嫌な口ぶりを、いいから晩飯を食わせてくれ、と読み間違える。
「その代わりって言ったらなんだけど、明日にでも、あんたの土産話を聞かせてよ。『知っていた人間がどう変わったか』そういう話のほうが、新米どもの、どこかを定かじゃないような故郷の思い出話なんかよりずっと、あたしは聞いていて楽しいんだから」
「別になにもなかったぜ」
お父さんはそっけなくごまかそうとする。戻れない場所でのことをわざわざ思い出したいとは誰も思わない。
「子連れで来ておいてよく言う。『なにやらかしたらそこまで行き詰まるの?』さっきからそう聞きたくてしょうがないのに」
全然話が通じない人だな、オレは思う。
「たとえ聞かれたって答えねえよ」
お父さんも同じことを思ったらしく、きつく言い返す。過去を探ろうとする店長の手を鋭く切りつける。
「じゃあ、あともうひとつだけ。教えてちょうだい?」
店長はそれでも、笑顔のまままだ話を続けようとする。お父さんも「なんだよ」と一応尋ね返す。
「あんた、自分の子どもになに教え込んだの?」
突然、感情の消えた平坦な声が響く。
オレのことを聞いているはずなのに、質問の意図がまったく見えない。
ただ、嘘やごまかしは少しだって効きそうにないオーラが一度に展開される。
「別に、ただの死なないコツだよ」
お父さんは、店長の圧力にも冷静に答える。その姿に、『お父さんだけを信じていればいい。だってオレはそうしたい』そんな気持ちがまた、どこからかあふれてくる。
「自分の子どもをお父さん大好きっ子に仕立て上げてどうするつもり?」
「それはガキの元々の性格だろ」
お父さんは鼻で笑う。これは洗脳なのだろうか。オレには店長とお父さん、どっちが正しいのか判断がつかないけど、別に、どうでもいいなと思う。
なにをどう言葉で説明したって、これはオレだけの気持ちだ。
店長は、見定めるように、お父さんの目の奥に目をこらす。
「そういう狙いはないのね、じゃあいいけど」
ようやく、最初の余裕ぶったしゃべり方に戻る。
三人だけの酒場はそうして落ち着きを取り戻す。誰もしゃべろうとしない、こういうふとした瞬間がオレは好きだ。店長との話が途切れ、またお父さんと二人になれる。
お父さんの冷えた目が、オレを見る。オレはにやけないように、唇を噛みながら手を伸ばす。一緒に。
「やだね」
お父さんはその瞬間、顔面を気色悪さにひきつらせ、唾でも吐き捨てるように乱暴にオレに背を向ける。
からんっ。
オレは一人、置いて行かれる。ストーブの音が誰かの息遣いみたいに耳をくすぐる。なにを失敗したのかも分からないオレを、そうやってひっそり笑っている。ドアチャイムが『君のお父さんはここから出て行った』そう言いたげに小刻みに揺れる。
そのうち、酒場の外壁を這うアルミ製の階段がきしみ始める。
「ごめんね、あたしのせいだね」
優しそうな声で、店長が話しかけてくる。哀れまれていることがなにより恥ずかしく、心にのしかかってくる。
「カウンターの奥でなにか、秘密にしないといけないことをしているの?」
オレは、話を変える。目をそらす。お父さんとの会話で取りこぼされた話題を、お父さんの代わりに拾い上げる。
「なにかしていたら面白い?」
店長はさっきお父さんにしたように話をはぐらかす。
「そうじゃなくて、ただ気になったから」
「そういう子なんだよね、あんたは」
問い詰めると、なぜか意味深なため息交じりに言われる。オレを浅いヤツだと見透かし、見下しているような口調に、なんでもいいから突っかかろうと喉を鳴らすと、
「別になにもしていないよ。ただ線引きを徹底したいだけだって、そんな目で見ないで」
店長は唐突に語り始める。
「あたしは男どもの領域を侵さないし、鉱場にだって寄りつかない。その代わり、男どもをあたしの領域には近付けさせない。あたしたちは最低限しか関わっていない。そう見せておきたいからだよ」
『誰に?』オレの頭の中に、そんな言葉が浮上する。『なんのために?』すぐに次の疑問。聞きたいことは瞬く間に膨れ上がって、声に出そうとする前に会話ごと流れていく。
「それより、あたしのことより、あんたは早く父親を追いかけないと。テコ入れをしないとそのままの速度で心の距離は開いていくからね。時間を置いてよくなることなんてひとつだってない」
現にオレはすっかりなにに疑問を持ったのかさえ忘れてしまっている。
店長がなにか言っている。オレにまでは響いてこない。
だって別にお父さんは、オレが嫌いになったわけじゃない。ただ、オレのいる世界が、店長という女の人が自分の好むものではなくなって、一足先にと脱出しただけのことだ。
だから、オレは難しいことを考えずただ自分の気持ちに正直に、お父さんの背中を追いかければそれでいい。店長の言葉に揺さぶられずに答えを見つける。
「それに、上ではきっとあんたの父親の歓迎会だ。主役なんだから行かないと損だろ?」
「そうなの?」
店長の言葉に、オレは目を輝かせる。恥ずかしげもなく、高い椅子から勢いよく飛び降りる。歓迎会。主役。魔法の掛かったワード。オレが、お父さんと一緒に主役。初めてのことだ。
「ああ、ちょっと待った」
早く上へとはやる気持ちで、ドアの方へ一目散、数歩駆けると、店長の声が追いかけてくる。舌打ちしたい気持ちで振り向くと、酒瓶で両手を埋めた店長が、息を軽く切らせつつ背後に近くいる。
「これ、持って行ってやれ。あんたの父親にはああ言ったけどさ、実際怒鳴りこまれたらたまったもんじゃないからね」
店長の細い指が、瓶の首に複雑に絡んでいる。胸の奥で泡がはじけたような音がして、なんだかドキッとするけど、オレはただ黙って受け取る。




