01
七月に入り、太陽がいよいよ本格的な夏の到来を告げるかのように燦々と熱苦しく輝いている。
「暑い、溶ける」
そんな太陽が照らす下では、ユウが苦しそうにギルドの寮の自室で唸っていた。
相変わらず隣では使い魔である黒髪美少女──もとい黒竜の亜人であるユナが寝息を立てて眠っていた。
ユナは熱苦しくないのだろうか?
少なくともユウは熱苦しかった。お蔭で寝不足である。
ユウは立ち上がってベッドの向かい側にある小さいタンスへと向かっていく。五段あるうちの四段目。私服が綺麗に畳まれて、所狭しと敷き詰められたその場所に手を突っ込んでいく。その手は奥へ奥へと潜っていき、指先に何か硬い物が当たった。それをそっと抜き出す。
銀色の円錐形のような形の物体だった。触ればひんやりとした冷たい感触がする。ユウはそれを軽く握りしめた。
ほどなくしてピッ、と軽快な音が鳴った。その直後、円錐形の尖った先端から飛び出るようにモニターが展開する。そのモニターには文字が投影されており、それを読み取っていく。
これはレイヴンから譲り受けた、未来の『機械魔術』の技術で作られた携帯用の『魔力測定器』だった。レイヴンが最初に時間跳躍した際に一緒に持ってきた未来の道具である。
本来の魔力測定器はこんな小型ではなく、人一人が優に入れる位の巨大な銀色で立方体の箱のような物なのだ。その中に入り込んで潜在魔力量を解析して数値化するのが今の魔力測定器である。
──八七か……。
ユウの本来の魔力数値は三〇だった。それがクラス分け直前の魔力測定では五〇になり、今では八七だ。
ユウは今は平民のような身なりをしているが、武人であるには変わりないのだ。武人はその身で大量の魔力を持てない。魔力量が増えないように無意識のうちにセーブしているのだ。
だがユウがこうして魔力量が増え続けているのは『コルウス』に原因があった。悪魔化のウィルスを取り除くため、魔力に寄生しているウィルスを吸収して回ってる。吸収した魔力は段々とユウの中に蓄積していきある程度は発散できるが、できなかったものはユウの魔力として溶け込んでいき結果としてユウの魔力がかさ増しされているのだ。
武人が持てる魔力量のリミットは数値にして一〇〇前後らしい。着実に魔力がユウの体を蝕んできている。
「ユナ、起きろ、朝だぞ」
魔力測定器を再びタンスの奥に押し込んでユナの方に向き直り声をかける。それでもユナは少しもぞもぞと動いて起きる素振りを見せたかと思えば、再び大人しくなって覆い被さっていた掛け布団が規則正しく上下する。耳を済ませば僅かに寝息が聞こえる。二度寝か。
ユウは嘆息すると、ユナに近づいていって右手を翳す。するとユナの体が赤黒く発光し、光に包まれたユナの体は小さくなっていき球体を形作る。赤黒い球体はユウの手のひらで展開された魔方陣へと吸い込まれて溶け込んでいく。
ユウは黒竜と正式に契約を交わしていた。今までは魔力が足りないがために正当な方法で契約をしていなかったので、ユナは自由に外を闊歩できていた。
しかし魔力量が少ない武人でも使い魔を召喚し、契約して自由に使役できるだけの魔力を持っているのだ。武人の平均の魔力数値は七五。その平均値を上回っていたユウはすでに正式に使い魔と契約できるようになっていた。
それでも就寝時にユナを外に出しているのは、契約を交わした際に押しつけられた『約束事』を律儀に守っているせいだ。その約束事というのが、困った事に就寝時に抱き枕になる事だった。ユナと一緒になってからあるとき以外はいつもその状態だったので、何ともない……はずだ。最初抱き枕状態になったときは照れくさかったせいでろくに眠れなかったが、今では普通に眠っていられる。慣れって怖い。
ただ今みたいな暑い日は止めてほしい。夏場に毛布を被るようなものだから。
ただ最低限は使い魔の我儘は叶えてやるのは、主の責務でもある。使い魔との信頼関係が薄い魔術師ほど、脆く弱いのだから。
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「暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い──」
どこかぶっ壊れたのか、呪詛のように『暑い』と連呼するユウが教室の机で突っ伏していた。
「お前って暑がりだよな」
「アツいの苦手なんです、僕」
「急に口調変えるな」
項垂れているユウに銀髪少女のアイリが声をかけた。
実際ユウが暑さに弱いのはリリアが原因だったりする。ケンカすればリリアは火の魔術をぶつけてくるし、闇属性の魔力を解放せずに魔術攻撃の耐性が低すぎるユウが受け続ければ、段々と火に対する防御力が低下していく一方だ。
そのせいで熱といった火に関係のあるものにも極端に弱くなっている。
だからこの夏という季節はユウにとっては地獄そのものだし、以前カガリの炎の中に突っ込んだときだって、闇の魔力のコーティングがあったにしろ本当はすごく辛かったのである。あのときはそれどころではなかったし、多少は我慢できる。
だが夏だけは別問題だ。
常に照りつける太陽。例え姿を消しても熱帯夜がユウを襲ってくる。もはや我慢できる程度のものではないのだ。
「だから今の俺には近づくなよ~。すごく、汗臭いぞ」
ユウはそう言いながらも慣れたような手つきで鞄の中に手を突っ込み、制汗剤のスプレーを取り出して自分の体に吹きかけていく。
もう一度鞄の中に手を突っ込んで、大きめのビニール袋を取り出す。中には大量のスポーツドリンクと青色の『魔晶石』が入っている。
魔晶石というのは魔力が籠められた石の事で、それぞれの特性を宿している。ユウが持っているのは水属性の魔力を宿しているため、物を冷やすために用いる。お蔭でいつでもキンキンに冷えたスポーツドリンクを堪能できる訳だ。
「アイリも飲む? 一本ぐらいならあげるけど」
「じゃあ貰おうかな」
「あいよー」
一本渡したところでユウは少し自己嫌悪に陥る。
──ホント、何やってんだか。
そのとき担任の教師であるサラが教室に入ってきた。時間を確認すると、もう朝のショートホームルームが始まる時間となっていた。
淡々と連絡事項を消化していく。ユウはそれを軽く聞き流していると、サラが「そうだ忘れてた」と呟いた。
「そろそろお前達が楽しみにしている『星華祭』だ。という事で、うちのクラスからも何か催し物を出展することになるから考えておけよ」
詳しい事は本日のロングホームルームで決めるらしい。
『星華祭』──所謂学園祭だ。この学園イベントは運動会と同じく初等部から高等部の全ての学年が参加し、更に教師までもが企画運営に携わり三日間という期間の間実施するのだ。
その規模は前回の運動会以上である。
「そういえば去年の『星華祭』、アイリは結局誰と一緒に回ってたんだっけ?」
「誰とも回ってないし、逃げ回るので精一杯だったよ」
「へぇ、そうなのかい」
去年の『星華祭』ではアイリはまだ『男性』として振る舞っており、女子にも人気があったからよく『一緒に星華祭回ろう』という誘いを受けていたのだ。
はてさて、今回は誰からお誘いを受けるのやら。
こうして『女性』と判明した後でもアイリは男女共に人気がある。今回のお誘い合戦は熾烈を極める事になるだろう。ユウは蚊帳の外で見守る事にする。
「何か他人事だな」
「だって他人事だもん」
「ひっでえ言い方だな──けどさ、今年は俺と一緒に……回って、くれねえかな?」
「…………」
本当はずっとその言葉を言いたかったんだろうと、アイリの心中を察する。
以前まではそう言いたくても言えない理由があった。男子生徒であった『サイガ』が男子生徒であるユウを誘えば、あらぬ誤解を招かねざるを得なくなる。
ただユウはこのお誘いを丁重にお断りしなくてはならない。
「ごめん、もうすでに三日も一緒に回る奴いるんだ」
「え? あぁ……そ、そうか。変な事言ってごめん」
そう言うアイリの顔が少し悲しさを覗かせていた。
「や、別にアイリとが嫌だからって訳じゃないんだぜぃ? もうずっと前から予約されてたんだ。悪い」
「ずっと前から……? 誰だよそいつ」
相変わらず事あるごとに嫉妬の籠った目線を投げかけてくる。少しだけ恐れ戦くし、もう少し自重してほしい。
「マリアだよ」
ブライト家の末っ子にして、唯一カイトとリリィの間から産まれた子供である。
ユウにとってみれば義妹にあたり、マリアも自分を兄として──たまにそれ以上のものを垣間見えているが──振る舞ってくれている。
そんな彼女との『星華祭』巡りはもはや通例行事と化していた。これはずっと前から約束していた事だし、今更破る訳にもいかなくなっていた。
それにマリアには酷い事をしでかしてしまった。それの贖罪も兼ねている。
ふと視界の隅でサラの真っ白なポニーテールの髪が揺れていることに気づいた。だがしかし気づくだけではもう遅かった。
猛スピードで迫ってくる二つの白い何か。
それの正体を確認する隙もなく額に衝撃が走る。
それはアイリも同じだったようで、おでこに手を添えて涙目になっていた。
「二人共、私語は慎めよ」
「「はい、すみません」」
二人は床に転がっている白いチョークを眺めながら謝った。
これでも『鉄拳制裁』よりはマシな方だ。




