07
首都の街並みから外れた小高い丘。草の絨毯が一面に敷かれており、ここからだと綺麗な水平線が見えた。流れる一陣の風が、頬を優しく撫でる。
丘から見下ろす事のできる街の中では多くの人間が行き交っている。
何も知らない人間達を見下ろし、〝歌姫〟は厭らしくほくそ笑んだ。
他人の歌属性を奪う事でやっと取り戻すことのできた自分の声。声さえ取り戻せれば、復讐という目的を果たせる。
「手筈通りにいったか、〝歌姫〟」
現れたのは〝黙示録〟だった。今からだいたい二〇年前に人間の手によって封印されていた。彼は闇の眷属の中核でもあり統率者──そして力の供給源でもあった。
〝歌姫〟のように、元人間だった眷属は〝黙示録〟から力を供給しなければ力は衰え、いずれ消滅する。
二〇年以上という月日は〝歌姫〟を含め、ほとんどの眷属が力を失っていったのだ。
〝黙示録〟の封印を解こうとしても、彼は常に主と共に転々と移動するので特定の場所にはいない方が多い。
どこで封印されたのかわからず、ただ力を失っていく日々を過ごしてきた。
そしてほんの数日前、〝黙示録〟はひょっこりと現れた。封印が解けたのだという。
これで闇の眷属の復活だったのも束の間、すでに眷属の数は片手で数えられる程しか残っていないのだという。
そして二〇年以上の月日では、〝歌姫〟の力も完全に消えて無くなっていたのだ。
闇の眷属の力の特徴は、属性を掛け持ちできる事だ。
〝歌姫〟は元人間である。人間のときの属性は『歌』だった。闇の眷属となって『闇堕ち』し、闇属性と歌属性を同時に持てるようになったが、力を供給してもらわなければ闇属性と一緒に歌属性も消えていくのだ。
復活した〝黙示録〟から力を供給してもらったものの、取り戻したのは闇属性だけで歌属性は戻ってこなかった。
あの『術式』を完成させるためには、歌属性はどうしても必要だというのに。
そこで〝歌姫〟は他人の歌属性を奪取する事に決めたのだった。
標的となったのは確実に歌属性を所有している『Shout』というバンドグループのミヤという名の少女だった。
そして現在、歌属性は〝歌姫〟の元にある。
取り戻せたのはある人間の組織があったからこそなんだが。
「それにしても、貴方が人間と協力しているのは意外ね」
「……仕方なかった。我が同胞を獲得するためだからな」
二〇年以上も前に二人の人間の女性に植えつけた因子は、その女性から産まれた子供に憑依し産まれながらの闇の眷属を誕生させる。
そしてその因子が憑依された子供はきちんと二人存在する。
その内の一人があの人間の組織にいるという。同胞の獲得のために一時的に協定を組んだ。
「〝歌姫〟、次の任務だ」
「あの『術式』を組めばいいんでしょ?」
「それもそうだが、あれは時間がかかる。邪魔が入られては困るから戦力を拡大しなければならない」
「なるほど」
「〝狂炎〟の獲得はまだ難しい。それに人間から同胞に変えることも一回しかできないようだ。俺は『適性者』を探す。お前は〝堕天使〟を探せ」
「わかりました」
「それと──」
〝黙示録〟の声色が少し変わった。憤慨が滲み出ているような声だった。
「あの人間達から依頼を受けた」
「……しょうがないんじゃない? こっちの協力をさせてしまった訳だし」
「……コルウスなる人物を抹殺せよとの事だ」
そう言って〝黙示録〟は一枚の写真見せてきた。写っていたのは仏頂面の武人の少年だった。〝歌姫〟はこの少年に見覚えがあった。歌属性の魔力を奪ったときに、急にこの少年が現れたのを覚えている。
確か『夕凪』を放ってきたはずだ。しかしあれは〝黙示録〟や〝歌姫〟のような眷属だけの魔術のはずだ。
だとするなら──、
「この子、もしかして〝堕天使〟じゃないの?」
「……なぜだ?」
「だって『夕凪』を使えるし……」
「このコルウスというガキが『夕凪』を使えるのはその刀のせいだ」
「刀……?」
〝歌姫〟は写真に写っている少年が持っている刀に注目する。
何の変哲のないただの刀にしか見えないが、この刀には魔力を吸収して記憶し、記憶した魔力の属性を無限に精製し続ける事ができる眷属の力と極めて近い能力を持つ。違いは『魔泉』そのものを奪うかどうかいったところだ。
「それにこのガキ、昔俺を封印したガキらの一人にとてもよく似ている。あのガキも刀を持っていたし、おそらくこのコルウスが持っている刀は、昔俺が戦った奴が使っていたのと同一の物だ。息子なんだろうな」
〝黙示録〟は過去に魔力を奪われている。あの刀に眷属の魔力が蓄積されているなら、『夕凪』を撃ててもおかしくはない。
「なら、〝堕天使〟はどこに居るのかしら?」
「知らんな。何度か意識をシンクロさせたが、どこの誰かは特定できなかったな。奴はガードが固いらしい。地道に探すしかない」
「そう」
「それでは俺は行く」
〝黙示録〟の姿が見えなくなった。
同時にこちらに近づいてくる人の気配。
振り返ってみれば、そこには先程写真で見た少年──コルウスがいた。
写真で見たような仏頂面な顔立ち、常に不機嫌そうな雰囲気を振り撒いていそうだった。
実は〝歌姫〟にはもう一つの属性を持っている。『闇』と『歌』とは別ので──人の身では絶対に抗えない力を。
●
脳に鉄の棒を突き入れられ、直接ぐちゃぐちゃにかき回されているような頭痛がコルウスを襲っていた。思わず廊下の壁に寄りかかって回復するのを待っていた。手の甲を額に当てれば熱く、噴き出る汗が止まらない。
休んでいる暇は無い。ミヤを救うために今ここで倒れる訳にはいかないのだ。
再び荒くなっていた呼吸を整える。
──約束は……守るから。
あの日自分自身の迷いのせいで、無駄にたくさんの命が失われた。その中には自分を仲間と認めてくれたグレンとフブキがいる。その他は今もなお眠っている少女の大切な人達のものだ。
あの日の迷いが多くの血を流す事となり、結果多くの人を死なせてしまった挙げ句、あの少女は昏睡状態となった。
あの日はあまりにも失ったものが多すぎた。
過去の過ちがあるから、またあの悲劇を繰り返さないように迷わないと決意したのだ。
体の状態がだいぶ良くなってきた。意識がようやくはっきりしてくる。
立ち上がった直後、足音が聞こえてきた。女性の声も聞こえてくる。
──この声……、まさか……。
現れたのは見覚えのある三人組だった。リリアとメルに、最近編入してきたセシルだった。
何というか、お姉ちゃんとその妹二人という感じだ。学園の生徒会長職である金髪ツインテールのメルと編入生の藤色のストレートに伸びた長い髪のセシルは小柄で背丈が同じくらいだし、リリアはただこの二人組に同伴しているお姉ちゃんそのものにしか見えない。
勘違いしてならないのは、この三人は全員同い歳だという事だ。
「何でテメェがここに居るんだよ? 似合わねえスーツなんか着ちゃってさ」
リリアが喧嘩腰で訊ねてくる。今にも魔術をぶっ放してきそうな勢いだ。
「何だっていいだろうが、お前に説明している暇はねえよ。退け」
そういえばアルスが言っていた、客が集まってきていると。それにこの道は『Shout』のいる楽屋──楽屋までの道のりは立入禁止──に続いているし、トイレもある。つまりこの三人は用を足しに来たという事だろう。
「この人が……コルウス……」
メルが呟く。この姿を生で見るのは初めてだったはずだ。急に正体がバレないか内心ヒヤヒヤしている。
「あなたが……う、噂のコルウスさんですか?」
「あ?」
「ひゃぅ」
短い悲鳴を上げたセシルはすぐにリリアの後ろに隠れる。初めて会ったときも思ったが、ものすごく小動物みたいだ。
リリアがものすごい鬼な顔をしている。
「泣かせたら殺す泣かせたら殺す泣かせたら殺す泣かせたら殺す──」
呪詛のように呟くリリア。正直今のリリアとは関わりたくないとさえ思ってしまう。
「だから今はお前らに構ってる暇はねえって言ってんだろ」
「あ、コラ待てよコルウス! 今度こそ──」
リリアが後ろから叫んでいるような気がするが、それを気にしている場合ではないのだ。あまり時間が残されていないのだから。
「あ、コラ待てよコルウス! 今度こそ決着つけて……って、行っちまったよ」
「ダメよリリア。ここで暴れたら追い出されるわよ?」
今日リリア達は『Shout』のライブを観にやって来ていた。
まさかここでコルウスに会えるとは思ってもみなかったが、すぐに逃げられてしまう。
「何だよアイツ……。セシル、もう大丈夫だ」
「……うん」
セシルはリリアにとってかなり気の許せる友人になっていた。見た目は平民だが、学園ではA組に分類されるのでそれなりに地位は高い。ただこのように気が小さいのでいろいろと損しているような気がする。ただ仕草が小動物っぽい感じがして庇護欲をかきたてられる。
「なあメル。そういえばやけに静かだったじゃねえか。いろいろ言ってやりたい事とかあったんじゃねえの?」
「え? ああ、うん……そうね」
少し様子がおかしい気がする。どうしたと訊ねてみると、
「リリア、もしかして気づいてないの?」
と言われた。いったい何の事かさっぱりわからない。
「あっ……普通は気づかないよね……うん。ゴメンね」
「……どういう事? 教えろよ」
「知らない方が良かったって事もあるのよ。だから……ね?」
かなり納得いかないが、これ以上言及してもメルはきっと答えてはくれない。
──そういえば、アイツはここに来てるのか?
たまたま聞いたケータイの着信音が『Shout』の楽曲にしているくらいだし、来ていてもおかしくはないとは思うが……。
──って、何であたしアイツの事……。
●
『Shout』がライブをやる会場を出ると、足に光属性の魔力を集束させて跳んだ。瞬く間に会場があった繁華街を抜けると、闇の波動を追って辿り着いたのは小高い丘だった。
風が優しく吹き抜ける。
ここからだと首都の一角を一望できるようだ。
そんな事より、今は目の前に敵に集中する。
ボサボサに伸び放題になった長い黒髪。眷属特有の黒く染まった白目部分に金色の瞳。
──もう一人居たはずだが……?
ここを感知したときはこの眷属の女性の他にもう一人の眷属がいたはずだ。
──すでにここを離れたか?
それはそれで都合が良い。
「タイミングが良いわね。丁度貴方を殺すように任務を承っていたところだったのよ」
その女性の声は──ミヤの声と全く同じだった。それもそのはずだ。考えるまでもない。
彼女はミヤの歌魔術を奪ってしまったのだから。
女性から魔力の波動を感じた。
──くる……!
コルウスになってるときはなるべく自分の魔力を使わないようにしている。使うとしても光属性の物だ。
ただ闇の魔力を使ってしまえば、眷属の力が展開してしまう。場合によっては自分の正体がバレる可能性だってある。
しかし今はコルウスと眷属の二人きりだ。眷属の力が解放されても、勝った後で口を封じてしまえば良い。
闇の魔力を解き放つ。
背中からは一〇枚の黒い魔力の翼が広がっていく。
左の眼球の奥に突き刺さるような痛みを感じる。鏡で見れば、きっと今の左目は闇の眷属の目と同じになっていることだろう。
魔力でシールドを形成し、空気の振動の波を遮断する。
「貴方……まさか……!」
みるみるうちに女性の口元が笑っていく。
頭がズキリと痛む。
──〝歌姫〟……?
それが彼女の『型』──コルウスに与えられた〝堕天使〟のようなものだ。
その名が頭の中で反響する。
眷属同士の意思の疎通みたいなものだと思う。以前あの眷属の男性が何度もコンタクトをとったものと同じだ。
「抹殺対象がまさか捕獲対象だったなんてね……気が変わったわ。あなたは今ここで捕まえる」
「あ? 女からの誘いなんかもう間に合ってんだよ」
コルウスは抜刀し、刃が漆黒に染まった『無銘』を振り抜いた。




