熱に浮かされた告白
その休日は、まだ夜が明けきらない時間に目が覚めた。
眠れないまま、朝一番の焼き立てパンを買いに街へ出ると、静まり返った石畳の路地に、人影があった。
噴水の縁に、誰かが座り込んでいる。頭を垂れ、動かない。
――金色の、髪。
「会長!?」
駆け寄って、肩に触れた。ひどく熱い。顔が真っ赤で、呼吸が浅い。フードの下から、かすかな鉄の匂いがした。
「……リリー……? どうして……ここに」
「それはこっちのセリフです! すごい熱……!」
額に触れる。火の魔法使いの私でさえ、驚くほどの熱。
「歩けますか。医務室に――」
「だめだ」
腕を掴まれた。弱々しいのに、必死な力で。
「知られたく、ない……誰にも」
その目に浮かんだ怯えに、胸が締めつけられた。
「……わかりました。私の部屋に行きましょう」
男子禁制の女子寮。私は彼の腕を肩に回し、フードを深くかぶせて、裏階段から必死に運び上げた。
「重い……会長、思ったより重いです……」
「ひどいな……王子に向かって……」
うっすら笑った声に、泣きそうになった。
*
ベッドに横たえて、濡らしたタオルを額に載せる。震える彼のために、私は自分の炎を最小限に灯して、部屋を暖めた。
「……あったかい」
「会長、少し眠ってください」
「眠ると……見るんだ。夢を」
熱に潤んだ碧い瞳が、天井を見ている。焦点が、合っていない。
「聞いて、くれるかな……リリー。汚い話だ」
「聞きます」
迷わず答えると、彼は掠れた声で、話し始めた。
「王家にはね……しきたりがある。第三王子以降は……国の弊害となる人間に、手を下す」
――え。
「表には出ない。僕の……仕事なんだ。十三の時が、最初だった」
私の指先から、血の気が引いた。
「名前も知らない男だった。命乞いをされた。……それでも、僕は、水を」
言葉が、途切れる。荒い呼吸。
「みんな、国のためだと言った。父も、兄たちも。『お前にしかできない』って。だから僕は、昼は優しい第三王子の顔をして、夜に、人を……」
握りしめたシーツが、白く軋んだ。
「本当は、やりたくない。ずっと、やりたくなかった。でも、もう何人も……僕の手は、もう」
彼の頬を、一筋の涙が伝った。
「君に優しくしたのも、最初は計算だった。首席の子と親しくしておけば、都合がいいって……そう思ってた。最低だろう?」
私は、何も言えなかった。
驚いていた。怖くない、と言えば嘘になる。心臓が、痛いほど鳴っていた。
「でも……君の隣に、いるときだけ」
彼の指が、すがるように私の袖を掴んだ。
「計算が、止まるんだ。ただの、ユリオスでいられる。……気持ち悪いよな。こんな僕なんて」
目を閉じた彼の睫毛が、涙で濡れている。
私は、その手を両手で包んだ。
「……驚きました。すごく」
彼の肩が、びくりと震える。
「怖くないって言ったら、嘘になります。でも」
息を吸う。ちゃんと伝えなければ。
「会長は、会長のままです。夜の噴水で、汗だくになって練習していた人も。私が人形になっても『君は君だ』と言ってくださった人も。全部、会長です」
「……リリー」
「嫌なことは、嫌だと、言ってみてもいいと思います」
碧い瞳が、ゆっくりと開いて、私を見た。
「そんな、簡単なことじゃ……ない。相手は、王で、国で……」
「はい。簡単では、ありません。でも」
私の視界が、滲んだ。
「言わなければ、誰も知らないままです。会長が、ずっと、泣いていたことを」
その言葉を聞いた瞬間、彼の顔が、くしゃりと歪んだ。
王子様の顔も、生徒会長の顔も、どこにもなかった。ただ、子どもみたいに声を殺して泣く、ひとりの少年だった。
私は、彼が泣き止むまで、ずっと手を握っていた。
*
―――ユリオス―――
熱が下がって目を覚ましたとき、窓の外は夕焼けだった。
椅子に座ったまま、リリーが眠っていた。僕の手を握ったまま、寝息を立てて。
僕は、その銀色の髪を、しばらく見つめていた。
あんなことを話して、軽蔑されると思っていた。逃げられて当然だと。
それなのに、この子は「全部、あなたです」と言った。
胸の奥で、凍りついていた何かが、ゆっくりと溶けていく。
――嫌なことは、嫌だって、言ってみたらいい。
簡単じゃない。わかっている。父上に逆らえば、廃嫡もありうる。それでも。
(僕は、この子に、恥ずかしくない人間でいたい)
その日から、僕は変わった。
*
彼が選んだのは、暗殺の代わりに、王族として国に利益をもたらすことだった。
十年以上も難航している、隣国ラグナとの通商条約。魔力を宿した結晶と、穀物の取引。誰もが諦めていたその交渉に、彼は正面から挑んだ。
私は、彼を手伝った。ラグナの古い契約文書は、古語で書かれていたから。夜遅くまで、二人で机を並べて辞書をめくった。
「リリー、ここの言い回しは?」
「『互いの水を分かつ』……直訳すると、そうなります。でも、たぶん、『対等な同盟』の意味だと思います」
「対等、か。いいな。……その言葉、使おう」
眠い目をこすりながら笑い合う、静かな夜。
もう、彼の笑顔に扉の音はしなかった。
数か月後。ラグナとの通商条約は、締結された。
新聞は大きく報じた。『第三王子の快挙、十年の停滞を破る』。街中が、その話題で沸いていた。
「やりましたね!」
「……うん。やったよ、リリー」
新聞を握りしめる彼の手は、少しだけ震えていた。
けれど、この成功が、新たな影を呼び寄せることを、私たちは、まだ、知らなかった。




