白い封書と、証を集める日々
条約が締結されて、三日。
その日の夕方、生徒会室には、私とユリオス会長の二人だけが残っていた。
「祝賀関係の書類は、これで最後だね。お疲れさま、リリー」
「会長こそ。この一か月、ほとんど寝ていらっしゃらなかったでしょう」
「君に言われたくないな」
そんなふうに笑い合っていたとき、扉が、こんこん、と叩かれた。
王宮の使いが差し出したのは、白い蝋で封をされた、一通の封筒だった。
ユリオス会長は、いつもの笑顔で受け取って。
封を切って、中身に目を落とした――その瞬間。
窓辺の花瓶の水が、さざ波を立てた。
彼の笑顔は、消えていた。
使いが去って、扉が閉まる。長い沈黙のあと、ユリオス会長は、かすれた声で言った。
「……父上からだ」
「……見せてください」
彼は、ためらってから、その紙を、私に差し出した。
短い文面。名前がひとつと、日付がひとつ。
『ボルグ伯爵。次の新月の夜。』
「これが、いつもの、お便りなんだ」
ユリオス会長は、努めて明るい声を出そうとして、失敗した。
「ボルグ伯爵は、水路の関税を握っている貴族でね。禁制の魔石を密輸して、莫大な利益を得ているらしい。告発しようとした検分吏が、この三年で、三人。全員、『事故』で亡くなってる」
「……それで、殺すように、ということですか?」
「王家は、そう判断した」
彼の手が、小刻みに震えていた。水の魔法使いの、あの精密な手が。
「殺さない。もう、決めた。……でも」
碧い瞳が、揺れる。
「あの男を、野放しにもできない。何をすればいいのか、まだ、わからないんだ」
私は、その紙を、そっと受け取った。
「燃やしても、いいですか?」
「え?」
「この紙。会長が、殺さないと決められたなら、もう、いらないはずです」
彼は、少し驚いた顔をして。
それから、小さく頷いた。
指先に、小さな炎を灯す。紙の端が、黒く縮んで、ゆっくりと、灰になっていく。
「会長。生徒会の決まり、覚えていらっしゃいますか?」
「……誰かが困っていたら、必ず、半分を背負うこと」
「私、まだ、半分も背負っていません。だから、探させてください。殺す以外の方法を、一緒に」
「危険だよ。君を、巻き込みたくない」
「もう、巻き込まれています」
私は、笑った。
「あの条約の古語文書を、読んだのは、私ですから」
灰が、風に舞って、窓の外へ消えていった。
*
翌日から、生徒会は、静かに動き出した。
王家の「影」の話だけは、できない。ユリオス会長は、こう切り出した。
「ボルグ伯爵に、密輸の疑いがある。国の利益に関わる問題だ。……力を、貸してほしい」
四人は、顔を見合わせた。
「聞くまでもねえだろ」
「もちろん! 会長のお願いなら、地の果てまで!」
「事情は、あえて聞かないでおくわ。その代わり、やるからには、徹底的にね」
「法的な手順は、私が担当します」
エルンスト先輩は、眼鏡を押し上げて、分厚い法典を、机に置く。
「貴族の重罪は、大法院で審理されます。起訴には、物証、書証、人証が、揃っていることが望ましい。逮捕状と捜索令状には、大法院の書記官の副署が必要です」
「副署……」
全員の視線が、セシリア先輩に、集まった。
「……何よ」
「ローゼンバーグ書記のお父上は、大法院の、主任書記官でいらっしゃいますよね」
「……ええ。そうよ」
彼女は、つんと、顔を背けた。
「でも、父には、頼りたくないの。あの人、私が生徒会の書記になったときも、『お前に務まるのか』なんて言ったのよ」
「ローゼンバーグ書記」
エルンスト先輩が、静かに、彼女を呼んだ。
「あなたの字が読みやすいことも、議事録に一度も誤りがないことも、私は、知っています。お父上が、何とおっしゃろうと」
セシリア先輩が、ぴたりと固まった。
みるみる、耳まで、赤くなる。
「……そ、そう。あなたが、そう言うのなら。……頼んで、みるわ」
ラウリ先輩が、ものすごい顔で、にやにやしている。ギャラント先輩に、脇腹を小突かれていた。
*
調査は、それぞれの得意分野で、進んだ。
私は、条約の古語文書を、もう一度、読み返した。
そして、見つけた。
「……『第九条の三。水路における荷の封印は、王家の印璽をもって発するものとし、それ以外の封印は、これを認めず』」
「それが、どうかしたの?」
「ボルグ伯爵の税関は、『伯爵家の封印』で、荷を素通りさせてるんです。あれ、条約の上では、無効なんです。偽の封印、ということになります」
「なるほど。つまり、封印の道具そのものが、物証になるわけだ」
エルンスト先輩が、すぐに、書き留める。
「僕は、帳簿だね!」
ラウリ先輩が、税関の公開帳簿を、山のように抱えてきた。
「数字ってね、人間が書くと、必ず、揺らぐんだ。桁のクセ、筆圧、月ごとの端数。……でも、この帳簿、綺麗すぎる。誰かが、あとから、丸ごと作り直したんだよ」
「証拠になるか?」
「一枚だけじゃ、弱い。でも、本物の帳簿が、どこかに残ってれば、突き合わせられる」
「じゃあ、俺が探す」
ギャラント先輩が、腕を組んだ。
「殺された検分吏三人のうち、一人だけ、死体が上がってねえやつがいる。生きてる、かもしれねえ」
*
その人は、ギャラント先輩の粘り強い聞き込みで、水路沿いの小さな町にいることがわかった。
元検分吏の、ハンスさん。
古い水車小屋で、夜番として、ひっそりと暮らしていた。
「帰ってくれ! 私は、何も知らない!」
扉越しに、怯えた声。
「ハンスさん」
私は、扉の前に、しゃがみ込んだ。
「私たちは、あなたを傷つけに来たんじゃないんです。同僚の方々のこと、悔しかったでしょう。ずっと、一人で、怖かったでしょう」
扉の向こうが、しんと静まった。
「あなたの口を封じさせは、しない」
ユリオス会長の声が、静かに続いた。
「身の安全は、僕が、王家の名にかけて守る。だから、力を貸してほしい。……法の下で、あの男を、裁くために」
長い沈黙のあと、扉が、ゆっくりと開いた。
髭だらけの、痩せた男の人が、震える手で、油紙の包みを差し出した。
「……これが、本物の帳簿の、写しだ。死んだあいつらが、命がけで、残したんだ」
ユリオス会長は、両手で、それを受け取った。
「……ありがとう」
物証は、これから押収する。書証は、ここにある。人証は、ハンスさん。
三つが、揃いかけていた。




