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人形姫と四つの口付け  作者: かん
人形姫の呪いと、水の王子の嘘(ユリオス ルート)

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11/54

水路の倉庫と、月下の対決

 準備は、あと一晩。


 翌朝には、大法院に令状の申請をする。セシリア先輩が実家に頭を下げに行った。


 その夜、私は書類の最終確認のため、図書館に残っていた。


 本物の帳簿の写しと、条約第九条の三の翻訳。


(副本はエルンスト先輩がもう一部持っている。……大丈夫)


 そう思って図書館を出たときには、あたりはすっかり暗くなっていた。


 中庭を横切る、その途中。

 背後で、砂利を踏む音がした。


「……?」


 振り向こうとした、その瞬間。

 頭からばさりと、袋を被せられた。みぞおちに、鈍い衝撃。


(しまった......!)


 薄れていく意識の中で、私は必死に指先を動かした。


『……灯れ』


 ほんの、針の先ほどの、火の粉。

 馬車の、車輪の泥除けに、ぽつりと、灯して。


(気づいて……)


 誰に宛てた願いなのかも、わからないまま。

 私の意識は、闇に落ちた。


     *


 冷たい水の匂いで、目が覚めた。


 暗い。天井が高い。積み上げられた木箱と、樽。奥のほうで、青白い魔石の光が、ちかちかと瞬いている。


 手首は、縄で縛られて、太い柱に括りつけられていた。


 足元から、ひたひたと、水音。水路のすぐそばだ。


「お目覚めかな、お嬢さん」


 穏やかな声。

 樽の陰から、銀髪の、上品な紳士が、ゆっくりと現れた。

 整った顔立ちに、柔らかな微笑み。金縁の外套。……一瞬、誰かに似ている、と思った。


 ユリオス会長の、あの「絵みたいな笑顔」に。


 でも、違う。あの人の笑顔の奥には、傷や、迷いや、あたたかさがあった。この人の笑顔は、ただ、空っぽだ。


「ボルグ、伯爵」

「おや、名前を覚えてくれていたのか。光栄だね」


 彼は、私の前の椅子に、優雅に腰を下ろした。


「そんなに怯えなくていい。あなたを殺すつもりは、今のところ、ないよ」

「今のところ、って」

「あなたは、大切な客人だからね」


 伯爵は、私から取り上げた書類を、ぱらぱらとめくった。


「よくも、読み解いてくれたものだ。あの古語の条文を。……あれさえなければ、私の封印は、あと十年は、通用したのに」

「あの封印は、偽物です」

「ええ、偽物だとも。でも、本物より、ずっと儲かる」


 悪びれもなく、彼は笑った。


「ところで、お嬢さん。私はね、王家から、あるものを頂戴していることを、知っている。……白い封筒だ」


 心臓が、どくん、と鳴った。


「新月の夜に、私の名前が書かれた紙が届いた。そして、王家の『影』が動こうとしている。その『影』が誰なのか、実は、私は、突き止めているのだよ」

「…………」

「金色の髪の、美しい第三王子殿下、だ」


 息が、止まった。


 伯爵は、私の顔を見て、愉快そうに目を細めた。


「ああ、やはり、ご存じか。あの子は、あなたに話したのだね。よほど、信頼されているらしい」

「……何が、目的なんですか」

「簡単な取引さ」


 伯爵が、懐から、一通の封書を取り出した。


「これは、私の保険でね。王家の『影』の記録が、すべて書かれている。日付、名前、場所。私が、もし死んだなら、この封書の写しが、翌朝、王都のすべての新聞社に届くよう、手配してある」


 ――死んだなら。


「殿下は、私を殺せない。殺せば、あの美しい第三王子は、暗殺者として国中に知れ渡る。王家は、失墜する」

「……そんな」

「だから、殿下には、選んでもらう。証拠のすべてを私に返し、告発を取り下げるか。それとも、あなたが水路の底に沈むのを、見ているか」


 背筋を、冷たいものが伝った。

 彼は、私を、罠の餌にしたんだ。ユリオス会長を、動けなくするために。


「殿下は、必ず来る。あの子は、あなたを愛しているから」

「……あなたは、間違っています」


 声が、震えた。それでも、私は言った。


「あの人はもう、あなたの思っているような人ではありません。あなたを殺しになんて、来ません」

「ほう?」

「あの人は来ます。私を助けに。でも、殺しには来ません」


 伯爵は、ふっと笑った。


「威勢のいいお嬢さんだ。……見物だね」


 彼が、樽の陰に下がっていく。


 私はそっと、袖の内側で指を動かした。

 小さな炎。誰にも気づかれない、針の先ほどの火を縄に近づける。

 じりじりと繊維が焦げていく。


(大丈夫。……私はもう守られるだけの私じゃない)


 ユリオス会長に言った。「半分、背負う」って。

 だから私もここで戦う。


     *


 ―――ユリオス―――


 リリーが戻らない、と知らされたのは夜の九時だった。

 図書館に、彼女の姿はなかった。中庭に書類の一枚だけが落ちていた。


「――ッ」


 頭の中が、真っ白になった。

 血の気が、引いていく。指先が、冷たい。初めて人を手にかけた夜と、同じ冷たさだった。


(僕のせいだ。僕が、巻き込んだ)


「会長」


 エルンストが、僕の腕を掴んだ。


「落ち着いてください。まず痕跡を探します」

「そうだよ、会長! リリーは絶対、何か残してる!」


 ラウリが、目を閉じて両手を広げた。


『日ざしよ、彼女の足跡を照らせ』


 中庭の地面に、細い金色の光の筋が浮かび上がった。門の外まで続いている。


「……あった! 火の魔力の残り香だ! 馬車の車輪に、火の粉がついてる!」

「車輪の跡は貨物用だ」


 エルンストがしゃがんで、地面を観察する。


「積載量の多い、二頭立て。門から西へ。その先の轍が、水を含んでいる。……水路沿いです」

「倉庫街か」


 ギャラントが拳を鳴らした。


「ボルグの倉庫。どれかは、わからねえが」

「私が絞れるわ」


 声がした。

 振り返るとセシリアが息を切らして立っていた。手には分厚い封筒。


「大法院の捜索令状と、逮捕状。父の副署入りよ。……三時間、粘って書かせたの」

「ローゼンバーグ書記……」

「別に。ついでよ」


 言いながら、彼女は震える手で書類をエルンストに押しつけた。


「ボルグ家の倉庫は、水路沿いに三か所。図面に載っているわ。可能性が高いのは、第七倉庫。積荷の出入りが、一番、夜間に集中してる」


 エルンストが、令状と図面を受け取った。目が彼女をまっすぐに見ている。


「……ありがとう、セシリア」


 初めて名前を呼んだ。

 セシリアが、ぱっと顔を上げた。頬が真っ赤だった。


「な、なによ、急に……。それより、早く行きなさい!」

「はい」


 僕は、誰よりも早く走り出していた。


「会長、一人じゃ危ねえ!」

「先に行く!全員運ぶことはできない!」


 それだけ伝え、水路に出る。夜の水面が、黒く光っている。

 僕は、その上に飛び乗った。


『水よ、僕を、運べ』


 水面が波打って、足元を持ち上げる。水の道が闇の中を一直線に走り出した。


 リリー。

 待っていて。

 絶対、行く。


     *


 第七倉庫の大扉の前で、僕は水の道を止めた。


 扉に手をかけ、深呼吸をする。


(殺さない。殺さない。殺さない)


 何度も心の中で繰り返した。


 扉を押し開ける。


 薄暗い広い倉庫。その奥に、柱に縛りつけられたリリーがいた。


「――リリー!」

「会長!」


 彼女の目が、僕を捉える。


「おや、殿下。ようこそ」


 樽の陰からボルグが現れた。その後ろに、剣を持った男が三人。


「……ボルグ伯爵」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


「その人を、放せ」

「それは、できませんな。取引が、成立するまでは」


 伯爵は封書をひらひらと振ってみせた。


「さあ、殿下。選んでください。いつもの『お仕事』をなさいますか? そうなれば、明日の朝刊が楽しみですなあ」


 水が、ざわ、と僕の周りで揺れた。


 ――殺せる。


 一瞬で、殺せる。この男の喉元に水の刃を突き立てるだけで。


 リリーの命がかかっている。この男が死ねば、この子は助かる。

 ……新聞が、何だ。王家が、何だ。この子が無事なら。


 指先に水が集まっていく。

 昔の僕が囁く。


 簡単だよ。いつも通りに、やればいい。



「――会長!!」


 リリーの声が、倉庫に響いた。


「だめです! 殺しては、だめです!」


 僕ははっとして、彼女を見た。

 縛られたままリリーが、必死にこちらを見つめている。その目に、涙が溜まっている。それなのに彼女が恐れているのは、自分の命じゃなかった。


「ここで殺したら、会長は、あの夜に戻ってしまいます!」


 声が、震えている。


「私は、大丈夫ですから! 私を理由にしないでください! 私のために、会長が会長でなくなるなんて、そんなの、絶対に嫌です!」


 ――ああ。

 この子は。

 自分が殺されるかもしれない、その瞬間に、僕の心を、守ろうとしている。


 指先の水が、ゆっくり、ほどけていく。


「……ありがとう、リリー」


 僕は、笑った。たぶん、今までで一番、へたくそな笑顔で。


「僕は、殺さない」

「ほう」


 ボルグの目が、細くなる。


「では、この娘は?」


 剣を持った男が、リリーに、近づいた。刃が、彼女の首元に、迫る。


「――ッ!」


 その瞬間だった。

 リリーの手首から、縄が、ぷつんと、切れた。


『火よ、爆ぜよ!』


 どんっ!

 炎の塊が、男の足元で炸裂した。男が悲鳴を上げて後ろに吹き飛ぶ。


「縄、ずっと、焦がしていたんです!」


 リリーが、柱から、飛び退いた。


「半分、背負うって、言ったじゃないですか!」


 ――やっぱり、この子は最強だ。

 僕は両手を振り抜いた。


『水よ、縛れ!』


 水の鎖が、残りの二人に絡みつく。リリーの炎が水を熱して、白い蒸気が倉庫に充満した。


 視界が、真っ白になる。


「くそっ、何をしている!」


 ボルグの上ずった声。


 蒸気の中を、僕は駆けた。

あの男の胸倉を掴む。


 水の刃を、出しかけて――止めた。


 代わりに、水の鎖を彼の両手首に絡ませる。冷たい、透明な手錠。


「あなたを、殺しはしない」


 彼の耳元で囁いた。


「大法院で会いましょう、伯爵」

「な……」


 その瞬間、倉庫の大扉が、轟音を立てて、吹き飛んだ。


「そこまでだ!」


 ギャラントの声。土の壁が、出口を塞ぐ。ラウリの光が、目が眩むほどの閃光になって、剣の男たちを怯ませた。


「大法院の名において! 捜索令状と、逮捕状を、執行します!」


 エルンストの、凛とした声が、響き渡る。その隣に、大法院の執行官たちの制服が、ずらりと並んでいた。


「ボルグ伯爵。貴殿を密輸、偽造、殺人教唆、及び誘拐の容疑で、逮捕します」


 伯爵の顔から、笑みがすうっと消えた。


「……馬鹿な。殺さずに、私を捕らえるだと。この、私の保険は……」

「その封書は、大法院が、預かります」


 エルンストが、伯爵の手から、封書を抜き取った。


「あなたが亡くなっていないため、その『発送』は、行われません。……賭けは、あなたの負けです」


 ボルグはがくりと、膝をついた。

 蒸気が晴れていく。

 リリーが、駆け寄ってきた。


「ごめんリリー。怖い思いをさせた」

「いいえ」


 彼女の手が僕の背中に回される。


「会長は、ちゃんと来てくださいました。殺さないで、来てくださいました」


 その言葉に僕は堪えきれず、目を閉じた。


「……ありがとう」


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