街で買った、焼き栗ひとつ
停電の夜から数日後。
生徒会の仕事で街まで買い出しに出ることになった。私一人で。なのに、
「僕も行くよ。荷物持ちが必要だろう」
ユリオス会長がそう言って、当然のようについてきた。
「王子様が荷物持ちだなんて。誰かに見られたら大変です」
「見られて困ることはしていないよ」
からりと笑う。
放課後の街は夕暮れ前の賑やかな時間だった。
露店の呼び込み、子どもたちの笑い声、焼き菓子の匂い。
「これ会計の帳簿用のインク。それから封蝋」
リストを見ながら、順番に店を回る。会長は慣れた様子で荷物を次々と引き受けてくれた。
「会長って街によく来られるんですか?」
「いや。……実はあまり」
少し驚いた。
「そうなんですか? てっきり」
「王族が供もつけずに街を歩くのは普段は許されないんだ。今日は生徒会の仕事だから特別」
「そう、なんですね」
なんでもないふうに言うその言葉の裏に彼の窮屈な日常が透けて見えた気がした。
*
―――ユリオス―――
街を歩くのは思っていたより、ずっと楽しかった。
いつもなら、一歩外に出れば、周囲の視線を計算する。誰が僕を見ているか。どんな噂が立ちうるか。笑顔は崩れていないか。
それなのに今は。
隣を歩くリリーの横顔をなんとなく、眺めているだけで時間が過ぎていく。
「あ、会長、見てくださいあの犬!」
「うん、大きいね」
「あんなに大きいのにリボンが可愛いです」
「……君は犬より、リボンの方に興味があるんだね」
「両方に興味があります!」
くだらない会話。
王宮では誰も僕にこんな話はしない。
もっと意味のある会話を。国のためになる話を。次期国王として、恥ずかしくない振る舞いを。
そう、常に求められてきた。
それが当たり前だと思っていた。
(……でも)
焼き栗の屋台の匂いにリリーがぱっと顔を輝かせた。
「会長、あれ、食べていいですか?」
「もちろん」
二人分買って、歩きながら、殻を剥く。
「あつっ、あつっ」
「気をつけて」
「でも、おいしいです!」
湯気の立つ、小さな栗を頬張って、幸せそうに笑う顔。
その、他愛のない笑顔を見ているだけで。
(……ああ)
僕の中の何かがゆっくりとほどけていくのがわかった。
この子の前でだけ、僕は次の一手を考えなくていい。
この子の前でだけ、僕は「よく見せる」必要がない。
――楽しい。
シンプルすぎて、笑ってしまうくらい、単純な感情。
それなのに僕にはひどく、久しぶりの感覚だった。
*
夕暮れの帰り道。
荷物を両手いっぱいに抱えた僕の隣でリリーがふと聞いた。
「会長、今日、楽しかったですか?」
「え?」
「なんかいつもより、力が抜けてる気がして」
鋭い。
いつものように「もちろん楽しかったよ」と、当たり障りのない答えを返そうとして。
(……いや)
僕は言葉を止めた。
せっかくのこの気持ちをいつもの便利な言葉で片付けたくない。
「……楽だったんだ」
「楽、ですか?」
「うん。君といると何も考えなくていい。……いや、考えなくていいわけじゃ、ないんだけど」
言葉を探しながら続ける。
「計算しなくてもいいというか。……素のままでいられるというか」
自分でもうまく言えている気がしなかった。
それでも、リリーはしばらく、僕の言葉を噛みしめるように聞いていて。
「それって」
少し照れくさそうに笑った。
「一緒にいて、楽な人ってことですよね。嬉しいです」
「うん」
「私も会長といると楽しいです。……計算とかよくわからないですけど。会長が素で笑ってくれるとすごく、嬉しくなります」
素で笑う。
僕はその言葉を心の中で繰り返した。
完璧な笑顔でも優雅な笑顔でもなく。
ただの素の笑顔。
そんなものいつから、忘れていたのだろう。
「……ありがとう、リリー」
「え? 急にどうしたんですか」
「なんでもないよ」
夕陽が彼女の銀色の髪を金色に染めている。
その光景を目に焼き付けながら、僕は思った。
この時間がもう少しだけ、続けばいい。
いつかこの子に全部、話せる日が来たら。
その時僕はどんな顔をするのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら。
僕たちは夕暮れの街を並んで歩いていった。




