停電の夜と、雷の音
その日は、朝から雨だった。
夕方には風も加わって、窓ガラスがびりびりと震えるほどの嵐になった。
「今日は、みんな早めに帰った方がいいかもしれないね」
ユリオス会長はそう言ったけれど、魔法祭の後始末の書類は、まだ山のように残っていた。
結局、七人全員帰れなかった。
――ばちん。
突然、部屋中の魔石灯がいっせいに消えた。
「わっ!?」
「停電……?」
「この嵐で、寮全体の魔力供給が落ちたみたいだね」
真っ暗。窓の外で、稲光が、ときどき白く走る。
「ちょ、ちょっと待って! 今、僕が!」
ラウリ先輩が、掌を広げた。
『小さき光よ、灯れ』
ふわり、と。蛍みたいな光の粒が、いくつも天井近くに浮かび上がる。
「私も」
指先にろうそくくらいの、やわらかいオレンジ色の炎を灯した。
「じゃあ、俺は」
ギャラント先輩が、床に手をついた。ごぼっと、石の燭台が生えてくる。私の炎をそこへ移して。
「……便利ですね、皆さんの魔法」
「僕は水だからね。こういうときは、あまり役に立たないな」
ユリオス会長が苦笑して、紅茶を注ぐ。
「非常用のランプなら、二番目の引き出しにあります」
副会長のエルンスト先輩が、淡々と立ち上がって古い油ランプを取り出した。マッチを擦って、ぽっと、灯りをともす。
「魔法に頼らなくても、灯りの備えは、してあります」
「さすが、副会長!」
「……ふん。準備がいいのね」
書記のセシリア先輩が、腕を組んでつんと言った。
「この程度の停電で、騒ぐ必要はないわ。ええ、まったく」
……そう言う彼女の指が、椅子の肘掛けをぎゅっと握りしめているのを、私は見てしまった。
あたたかい光の中で、七人は机を囲んで座った。
「せっかくだし、怖い話でもしようよ!」
「なんで、この状況でそれなんだよ」
「雰囲気だよ、雰囲気! じゃあ、僕から!」
ラウリ先輩が、声を低くして語り始めた。
「これは、旧校舎に伝わる話……夜な夜な、誰もいないはずの三階から、ぺた、ぺた、と足音がするんだ……」
「ひぃ……」
「その足音は、だんだん、近づいてきて……」
「…………」
「そして扉が、ばーん! と開いて――」
ばーん!!
本当に、窓が、風で開いた。
「ぎゃああああああああ!!」
悲鳴を上げたのは、ラウリ先輩本人だった。
「お前が驚いてどうする!」
「だ、だって! タイミングが、よすぎて!」
ギャラント先輩が、呆れ顔で窓を閉める。
そのすぐ横で、小さく「きゃ……っ」という声がした。
見ると、セシリア先輩が、エルンスト先輩の袖を、ぎゅっと掴んでいた。
「……ローゼンバーグ書記。袖が、伸びます」
「つ、掴んでなどいないわ! 風で、手が、たまたま……!」
「そうですか」
そう言いながら、エルンスト先輩は腕を、ぴくりとも動かさなかった。彼女がそっと手を離すまで、ずっと。
「じゃあ、次は、俺だ」
「先輩、怖い話、できるんですか?」
「馬鹿にするな。……これは、実話だ」
ギャラント先輩は、重々しく、声を落とした。
「ある夜、俺は、寮の食堂で、見たんだ。……でかい、ネズミを」
「…………」
「…………」
「…………それだけ?」
「それだけだ。ものすごく、でかかった」
「怖くない!!」
みんなで、笑い合う。停電の暗闇なのに、部屋の中は、不思議とぽかぽかとあたたかかった。
――そのとき。
ゴロゴロ、と、空が唸って。
窓の外が、真っ白に光った。
――ドォォォォォォン!!
雷鳴が、建物を揺るがした。
私は、思わず肩をすくめて――ふと、隣に座るユリオス会長を見た。
……あれ?
会長の手の中でティーカップが、かたかたと小さく震えていた。
顔は、いつもの穏やかな笑顔のまま。でも、その指先は真っ白で。
「……会長?」
小声で呼ぶと、彼は笑顔を崩さずに答えた。
「なんでもないよ。雷は、少し苦手でね」
「少し、というには」
「本当に、少しだよ」
そう言うのに、また雷が光った瞬間、彼の肩がびくりと跳ねた。
夜の闇。雷の光。
……夜な夜な、寮を抜け出す人が、暗闇と雷をこんなに怖がるなんて。
それが、ひどくちぐはぐで、私の胸に、小さな棘のように引っかかった。
考えるより先に、私は机の下で、そっと彼の手に、自分の手を重ねていた。
会長が、はっとこちらを見る。
火の魔法使いの手はいつも少し熱い。その熱を、ゆっくりと彼の冷たい指に分けていく。
「…………ありがとう」
ほとんど、声にならない声で彼が言った。
「あ、そうだ!」
突然、ラウリ先輩が明るい声を上げた。
「雷ゲームしよう! 光ってから、音が鳴るまでの秒数を数えるの! 一番当てた人が勝ち!」
「なんだそれ」
「雷までの距離が、わかるんだよ! ほら、次に光ったら、みんなで数えよう! ギャラントは罰ゲームつきね!」
「なんで俺だけ罰ゲームなんだ!」
「負けそうだから!」
「んだと!?」
わいわいと騒ぎ出す二人。その声が雷の音を、少しだけ遠くしてくれる。
ラウリ先輩が、こっそりこちらに片目をつぶった。
――この人、気づいてたんだ。
そして、ギャラント先輩も。
「会長、汗すげえぞ。熱い紅茶のせいか?」
「……ああ、そうだね。少し熱すぎたみたいだ」
ぶっきらぼうな言い方。けれどそれは、会長に「そういうことにしていい」と言ってあげる、優しい嘘だった。
やがて雷が遠ざかって、魔石灯がぱっと戻った。
明るい光の中で、ユリオス会長は、いつもの完璧な笑顔に、戻っていた。
けれど机の下で重ねた手は、最後まで離れなかった。
私は、思った。
この人の、絵みたいな笑顔の裏側に。まだ、誰にも見せていない夜があるのだと。
その夜を、いつか半分だけでも、背負わせてもらえたら。
雨上がりの窓を見つめながら、私はそんなことを、ぼんやりと考えていた。




