前日譚 ――四人の、リリーと出会う前の物語――
―――ユリオス―――
白い封筒が届いたのは入学式の五日前だった。
『子爵家、次男。次の新月の夜』
短い文面。読み終えて、僕はいつものようにそれを暖炉の火にくべた。
燃え上がる、紙の端を見つめながら、僕は何も感じないように自分の心に蓋をした。
十三の時から、これは僕の仕事だった。王家の闇の部分を一手に引き受ける役目。表向きは誰にでも優しい第三王子。裏では王家の不都合な存在を静かに処理する影。
水の魔法は便利だった。跡が残らない。証拠も残らない。溺死あるいは事故。誰も疑わない完璧な死。
(何人殺したか、数えるのもやめた)
最初は数えていた。一人、二人、三人……。けれど、ある時から数えることをやめた。数えれば、自分が何をしてきたのか直視することになるから。
鏡の前で僕はいつもの笑顔の練習をする。
口角を上げる。目を少し細める。優しく、けれど隙のない完璧な笑顔。
誰もこの笑顔の裏側を知らない。
知られてはいけない。
「……殿下。そろそろお時間です」
侍従の声に、僕は鏡から視線を外した。
「わかった。今、行く」
王立グローリア魔法学園。この春から、僕は生徒会長として、新入生を迎える。
新入生代表。学年首席。名前は確か――リリー・カラティア。
(田舎町の出身らしいね)
書類で目にした、その名前を僕は特に気にも留めなかった。
どうせまた、いつも通りの日常が続く。生徒会の仕事をこなし、貴族たちと無難に付き合い、そして夜になれば、また新月の夜が巡ってくる。
この繰り返しの中に何か、変化が起きるなんて。
その時の僕は想像すら、していなかった。
*
新月の前夜。
最後の「仕事」を、終えて僕は水路のほとりで一人、立っていた。
水面に映る、自分の顔を見つめる。
完璧な笑顔。それなのに、その目の奥はひどく空虚だった。
(……いつまで続くんだろう)
誰かに聞いてほしかった。誰かに「もう、やめていい」と言ってほしかった。
でも、そんな相手はどこにもいなかった。
「……行かなきゃ」
僕は水面の自分にいつもの笑顔を貼り付けて。
踵を返し寮への道を歩き出した。
入学式は明日。
新しい季節が始まる。
それが自分にとって、何か意味のあるものになるなんて。
その夜の僕はまだ、知らなかった。
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―――ギャラント―――
ミナが死んでから、三年が過ぎていた。
あの村にはもう、いられなかった。両親は俺の変わりように戸惑いながらも王都の魔法学園への編入を許してくれた。
「新しい場所でやり直せ」
父のその言葉に俺は何も答えられなかった。
やり直すなんて、できるはずがなかった。
あの日、俺の手からすり抜けていった細い指の感触を、忘れられるはずがなかった。
*
学園に編入して最初の年。
俺は誰とも関わらないようにしていた。特に女子には極力、近づかなかった。
近づけばまた失う。守れなかった過去を繰り返す。
それが怖くて、たまらなかった。
「あ、君、転入生?」
初めて話しかけてきたのは、水色の髪のやけに明るい男だった。
「……ラウリ、だっけ」
「そう! よろしくね! 一緒に、生徒会入らない?」
「興味ねえ」
素っ気なく返しても、あいつはめげなかった。
「まあまあ堅いこと言わないで!」
結局、押し切られる形で俺は庶務として生徒会に入ることになった。
*
生徒会には他にも面倒な連中がいた。
水の魔法を使う王子。いつもにこやかで、何を考えているかわからない。
「よろしくね、ギャラント」
「……ああ」
最低限の付き合いしか、しないつもりだった。
それでも、日々の業務をこなす中で、少しずつ居心地は悪くなくなっていった。
この二人は俺の過去を詮索してこなかった。無理に笑わせようともしなかった。ただ、そこに普通にいてくれた。
それが思いのほか楽だった。
*
入学式の前日。
「明日、新入生が来るね。首席の子、優秀らしいよ」
ラウリがそう言って、書類をめくっていた。
「……興味ねえ」
「またそれ? ギャラントはいつもそう言うね」
「事実だからな」
俺の中では決めていた。
誰にも近づかない。誰も好きにならない。それがあの日、失った命へのせめてもの償いだと。
もう二度と誰かの手を掴み損ねたくはなかった。
だから、明日、入ってくる、新入生にも。
興味なんか、あるはずがなかった。
――そのはずだった。
窓の外夕焼けが校舎を赤く染めている。
俺はその光を見ながら、知らず翌日のことを少しだけ考えていた。
新しい季節に何かが変わるとも思わないまま。
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―――ラウリ―――
僕には、他の人には見えないものが見える。
人の心の奥にある、感情の色。
嬉しい時は金色。悲しい時は灰色。怒っている時は赤黒く、燃えるように揺れる。
小さい頃、それに気づいた時は、正直しんどかった。
誰かと話すたびにその人の本当の気持ちが見えてしまう。
笑っているのに灰色の靄をまとっている人。怒っていないのに、真っ赤な炎を隠している人。
みんなそれぞれ、表と裏を抱えていた。
「……疲れるなあ」
子どもの頃、そうこぼしたことがある。両親にはあまり心配をかけたくなかったから、それ以上は言わなかった。
その代わりに僕は決めた。
自分自身はいつも明るくいようと。
僕の周りに暗い色を増やしたくないから。せめて僕だけは金色でいようと。
*
王立グローリア魔法学園に入学したのは二年前。
最初は光の魔法の才能を見込まれて、会計として、生徒会に誘われた。
「数字、苦手じゃないなら頼むよ」
金髪の王子――ユリオスにそう言われて、僕は二つ返事で引き受けた。
彼の周りには、いつも複雑な色が渦巻いていた。表向きは、金色の完璧な笑顔。でも、その奥に、深い青灰色の疲労のようなものが常に沈んでいた。
(この人大変そうだな)
直感的にそう思った。でも、あえて踏み込まなかった。
彼が自分から、話したい時が来るまで待とうと決めていた。
その代わり、僕はいつも通り、明るく振る舞った。それが自分にできる、唯一の支え方だと思っていたから。
*
途中で加わったギャラントは、真っ黒な色をまとっていた。
深い悲しみと罪悪感の色。
最初は近づくのも大変だった。でも、根気よく話しかけているうちに、少しずつその黒は和らいでいった。
(完全には消えないんだな)
人の傷はそう簡単には癒えない。それでも、寄り添うことはできる。
僕はそう信じて、彼にもいつも通り、明るく接し続けた。
*
入学式の前夜。
新入生の名簿を眺めながら、僕はふと呟いた。
「新入生代表挨拶の子、リリー・カラティアさんか」
「知ってるの?」
「ううん、名前だけ。……なんとなく気になって」
名前を目にしただけなのに。
なぜかその文字の並びに視線が吸い寄せられた。
(不思議な感じ)
理由はわからなかった。
でも、明日会えるのが、少しだけ楽しみだと思った。
窓の外、星が瞬いている。
僕は、その光をしばらく見つめていた。
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―――カイゼル―――
あの、雪の夜から、九年が経っていた。
俺は毎晩、リリーの家の窓が見える丘の上で、空を見上げるのが習慣になっていた。
九年間、ずっとあいつの隣にいた。呪いが発動するたびに駆けつけて、額に唇を寄せて。
それが当然のように日常になっていた。
けれど、日常の中でずっと消えない、疑問があった。
(この呪いを解く方法は本当にないのか)
村の老魔法使いに聞いても答えはなかった。町の図書館をあさっても、手がかりすら掴めなかった。
そんなある日、村を訪れた旅商人から、噂を聞いた。
「王都の魔法学園にはね。世に出ない、古い記録が眠っているそうだよ。願いと呪いに関する、魔女の記録が」
その一言が、俺の中で火種になった。
*
「学園に行くのか?」
母にそう聞かれた時、俺は迷わず頷いた。
「リリーが行くから。俺も行く」
「……お前が決めたならいいけど」
母は少し心配そうな顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。
俺の家族は、リリーの呪いのことを薄々知っていた。だから、俺がなぜそこまで必死になるのか深くは聞かなかった。
*
出発の前夜。
俺は荷物をまとめながら、ずっと考えていた。
この学園で呪いの解き方を見つけられるかもしれない。
あの魔女を、探し出せるかもしれない。
見つけたら、俺は何をするべきなのか。
(願いを取り消してもらう。リリーの呪いを俺に移す)
それが俺の決めていた、答えだった。
あいつを自由にする。自分が代わりに縛られる。
それが、俺にできる唯一の償いだと思っていたから。
窓の外月が静かに輝いていた。
九年前の、あの雪の夜と同じ色をした月。
俺はその光を見ながら、拳を握りしめた。
(絶対見つける)
誰にも言わない、決意だった。
*
翌朝。
出発の支度をする俺の元に、リリーが駆けてきた。
「カイゼル! 一緒に行くんだよね!?」
「……ああ」
「よかった! 一人だと不安だったから!」
無邪気に笑う、その顔を見て。
俺は改めて思った。
この笑顔を守るためなら。
自分が、何を犠牲にしても構わないと。
馬車に乗り込む、リリーの後ろ姿を見つめながら。
俺は静かに決意を固めていた。
この学園で必ず、答えを見つけ出す。
たとえ、その先にどんな結末が待っていようとも。




