【BAD END】後悔しても彼女は戻ってこない
―――カイゼル―――
三日間、俺は逃げた。
魔女の言葉が頭の中で何度も鳴っていた。
『あの子が、お前を、どう思っているか、確かめたのかい?』
確かめたことはない。
確かめたら、終わる気がした。
「ただの幼馴染」だと言われたら。「嫌い」だと言われたら。九年分の何もかもがその一言でばらばらに崩れる。
だから、俺は別の道を探した。
リリーの想いを確かめなくても呪いを解く方法を。
愛し合う二人の口づけ。それ以外の何か。
図書館の禁書庫のさらに奥。魔女の書庫の最下層。埃と闇と古い紙の匂いの部屋。
俺はそこにこもった。下校時間になったら貸し出し可能な本を借りて寝る間を惜しんで読んだ。
朝は一番に書庫の最下層に行き、授業はさぼった。
リリーはその三日間、何度か俺を探しに来たらしい。寮の扉を叩く音を聞いた気がした。
居留守を使った。
顔を見たら、全部言ってしまいそうで。
それも確かめるのが怖くて。
――三日目の夜。
最後の一冊をめくり終えた。
何もなかった。
愛し合う二人の口づけ以外にあの呪いを解く方法はどこにも書かれていなかった。
俺は床に座り込んでぼんやりと天井を見上げた。
わかっていた。
答えは最初から、ひとつだった。
リリーに聞くこと。
リリーに言うこと。
――行こう。
立ち上がって、扉に手をかけた。
その、とき。
ふと書棚の隅に目が留まった。
まだ開いていない一冊。
『願いの変質に関する、補遺』
(……念のため)
念のためだ。
これを見て、それでも何もなければ、すぐに行く。
ほんの一ページだけ。
ほんの数分だけ。
ページをめくった。
その手がいつもほんの少しだけ臆病で。
いつもほんの少しだけ遅かった。
一ページが二ページになった。二ページが十ページになった。
*
――ゴォォォォン。
地の底に鈍い音が響いた。
顔を上げる。
鐘の音だった。
「…………ッ!」
全身から血の気が引いた。
慌てて時計を見る。
十一時五十九分。
真夜中を告げる、最初の鐘だ。
十二回鐘が鳴ると、十二時になる。
今のは、その一回目。
「うそだ……」
俺は書庫を飛び出した。
階段を駆け上がる。
『風よ!』
風を巻いて。壁を蹴って。
二回目の鐘。
三回。
図書館の外に出る。
夜空に満月が白く、光っている。
北の端に鐘楼がそびえていた。
四回五回。
「間に合え……間に合え……間に合え……!!」
俺は飛んだ。
風の魔法で空を駆けた。
六回。
七回。
鐘楼の窓が見える。
八回九回。
あと三回。
あと三回。
二回。
一回。
最後の十二回目の鐘が鳴り響いた。
________________________________
―――リリー―――
鐘楼の最上階は吹き抜けの石の広間だった。
巨大な鐘が頭上に吊るされている。満月がその真上でまばゆく、光っていた。
そこにカイゼルは来なかった。
「……来ないね」
ラウリ先輩がぽつりと言った。
彼は私の隣でずっと窓の外の闇を見つめていた。
「僕の目に見えるんだ。君の糸。カイゼルくんに繋がってる、あったかい光の糸」
「……はい」
「その糸がね」
ラウリ先輩は言葉を切った。
「……少しずつ細くなってる」
鐘の最初の音が鳴り響いた。
ゴォォォン。
つま先が消えた。
足首。膝。
白い陶器の色が這い上がってくる。
今までとは違う。速い。止まらない。
なぜだか、もうこのまま戻れない気がした。
「リリー!」
ラウリ先輩が光の魔法で必死に押しとどめる。
「くそっ……!」
ギャラント先輩が床に手を突いた。ユリオス会長が水の膜を私の周りに張る。
でも、どれも届かなかった。
二回目。三回目。
私は床に座り込んだまま、動けなくなっていた。
「リリー、カイゼルを呼べ! バングルを!」
「……押しました」
声が軋んでいた。
「ずっと押してます。でも……返事が」
「あのバカ……どこで何を……!」
四回目。五回目。
腰まで。
私は震える手で制服の胸ポケットを探った。
手紙。
三日間、寝ないで書いた。何度も書き直した。
カイゼルに言いたくて、言えなかったこと。
「ラウリ先輩」
「なに? 何でも言って」
「これを……カイゼルに渡してください」
白い封筒を差し出した。
「……自分で渡しなよ」
ラウリ先輩の声が震えていた。
「間に合うから。あいつ、きっと間に合うから」
「……はい」
私は笑った。
「間に合うといいな」
六回目の鐘。
胸まで冷たくなった。
「私ね、ラウリ先輩」
「うん」
「ずっと言えなかったんです。呪いのせいでそばにいてくれるんだって思ってた。迷惑なのかなって。……でも、本当は違うのに」
声が途切れ途切れになった。
「ずっと好きでした。カイゼルのことが。小さい頃からずっと。呪いがなくても」
「リリー……」
「伝えてください。もし……間に合わなかったら」
七回目。
八回目。
視界が白く、霞んでいく。
(カイゼル)
窓の向こうに風が吹く。
いつも駆けつけてくれたあの風。
来て。
お願い。
九回。
十回。
声が出なくなった。
唇が動かなくなる。
指先が冷たくなっていく。
でも、心はちゃんとここにある。
十一回目の鐘が鳴った。
窓の外が一瞬、ざわりと風に揺れた気がした。
(……来てくれた?)
最後の十二回目の鐘が鳴り響いた。
私の意識はそこで静かに途切れた。
最後に思い出したのは。
雪の日の小さな、黒髪の男の子の泣き顔だった。
________________________________
―――カイゼル―――
鐘楼の窓から、飛び込んだ。
最上階の石の広間。
巨大な鐘がまだ、余韻を震わせている。
その、窓辺に。
リリーが座っていた。
銀色の髪。青い瞳。白い陶器のような頬。
唇にほんの少しだけ、笑みを浮かべて。
微動だにせず。
「…………リリー」
声が震えた。
「……おそかったね」
ラウリの声だった。
彼は床に座り込んで両手で顔を覆っていた。
その隣でギャラントが壁に額をつけて動かない。ユリオスが静かに目を閉じていた。
「うそだ」
俺はリリーの前に膝をついた。
「うそだ、リリー。冗談だろ。なあ」
頬に触れた。
冷たかった。
硬かった。
陶器の感触だった。
「リリー……!」
額に唇を押し当てた。
いつもそうしてきた。九年間、数え切れないほど。
その度にぬくもりが戻ってきた。あの子の笑顔が。
――何も起きなかった。
「戻れ」
もう一度。
「戻れ、リリー」
もう一度。
何度も、何度も額に口づけた。
冷たい。
冷たい、冷たい、冷たい。
「……カイゼル、くん」
ラウリのかすれた声がした。
「……渡してって、頼まれたんだ。手紙と伝言」
差し出された白い封筒。
震える手で受け取った。
「伝言はね」
ラウリはぼろぼろと涙を流しながら言った。
「『ずっと、好きでした。カイゼルのことが。小さい頃から。呪いが、なくても』」
世界が音を失った。
――好きだった。
リリーが。
俺を。
呪いのせいじゃなかった。
あの魔女の言ったことは本当だった。
愛し合う二人は最初からいた。
俺と、リリー。
九年間。
ずっと互いに想い合っていて。
ずっと互いに言えずに。
「あ…………あ、あ…………」
喉から声にならない音が漏れた。
俺は彼女の冷たい唇を見つめた。
あの、笑みの形をした白い唇を。
「ずっと」
声が勝手にこぼれた。
「ずっと唇にしたかったんだ。でも、俺にはその資格はないと……」
震える指で彼女の頬を包んで。
その唇に自分の唇を重ねた。
冷たい。
硬い。
石を噛んでいるみたいだった。
「…………っ」
何も起こらなかった。
愛し合う二人の口づけ。
その言葉は間に合った者にだけ、意味があったのだ。
俺は彼女の動かない肩に額を押し当てた。
その耳元で繰り返し、繰り返し呟いた。
「ごめん。ごめん、リリー。ごめん。ごめん……」
彼女は何も答えなかった。
胸倉を掴まれた。
次の瞬間、頬に鈍い衝撃が走った。
ギャラントの拳だった。
俺の体は床に叩きつけられた。
「……なんで、来なかった」
ギャラントの声が震えていた。
「あいつがどんな顔で待ってたか、知ってるのか」
「…………」
「あいつは最後まで笑ってたぞ。お前が来るって信じて。お前を責めないで。……なんで、なんで、来なかったんだよ!!」
もう一発殴られた。
俺は抵抗しなかった。
できなかった。
殴られるたびに思った。
もっと殴ってくれ。
もっとひどく。
そうでなければ俺は。
「やめなさい、ギャラント」
ユリオスが静かに彼の腕を掴んだ。
「……もういい」
「よくねえだろ!」
「彼はもう十分に罰を受けている」
ユリオスの声は冷たいくらい、静かだった。
「君の拳よりもずっと重いものをね」
視界が滲んでいた。
殴られた頬が熱いのか、それとも涙なのか、わからなかった。
この手が悪い。
この口が悪い。
この臆病な、俺が悪い。
呪いをかけたのも俺。
告げなかったのも俺。
確かめなかったのも俺。
書庫で最後の一冊をめくったのも俺。
あの扉を開いたまま、出なかったのも俺。
全部俺がやった。
俺がリリーをこうしたんだ。
俺が殺した。
「……カイゼルくん」
ラウリが俺の肩に手を置こうとして。
やめた。
その手が宙で震えていた。
「僕にも見えなかった。……もっと早く、伝えていれば」
「お前は何も悪くない」
声が掠れた。
「悪いのは全部俺だ」
立ち上がった。
リリーの冷たい体を抱き上げた。
軽かった。
あまりにも軽くて。
石の人形の重さだった。
「……どこへ行く」
「連れて帰る」
「一人で背負うな」
「……触るな」
誰にも渡したくなかった。
もう二度と。
俺は彼女を抱いたまま、鐘楼の階段を降りていった。
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俺は、動けなくなってしまったリリーを寮のベッドに寝かせた。
その隣にずっと座っていたかった。
でも、どうしても確かめたいことがあった。
俺は図書館に向かった。
「……来たね、坊や」
ミルドレッドは、夜中というのに図書館の司書の椅子に座っていた。
俺が来るのを分かっていたように。
老女のようにも若い娘のようにも見える、金色の目の魔女。
「……解け」
「解けない」
彼女は静かに答えた。
「十二の鐘が鳴った。願いは完成した。もう誰の口づけも届かないよ」
「お前……!」
風が渦を巻いた。
刃のように鋭い風が魔女の喉元に迫る。
彼女は動かなかった。
ただ、金色の瞳でじっと俺を見つめていた。
「殺してもいいよ。……でも、その先に何もないよ」
風が止まった。
手が震えていた。
俺は床に膝をついた。
「……なんで、教えたんだ」
声が擦り切れていた。
「あと三日、あった。……お前は俺に三日、くれた。なんで」
「私は嘘をついたことがあるかい?」
魔女は静かに言った。
「私は最初に全部教えたよ。願いには対価があること。呪いは育つこと。解く方法は愛し合う二人の口づけだと。……時間もあげた」
金色の瞳が細められた。
「三日、あった。お前は何をしていた?」
「…………」
「願いを叶えてあげたよ」
魔女の声が耳元に落ちた。
「『ずっと、いっしょに、いれますように』」
――ああ。
「ずっといっしょだ。あの子は二度とお前の元を離れない。……お望みどおりだろう?」
「…………うわあああああああああああッ!!」
絶叫が図書館に響き渡った。
拳で床を殴りつけた。何度も、何度も。
指の骨が軋んでも止められなかった。
魔女はその姿を憐れむように見下ろして。
朝の光が差し込むと同時に影に溶けるように消えていった。
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それから季節がいくつか過ぎた。
学園の医務棟の一番奥の日当たりのいい部屋。
白いベッドにリリーが座っている。
窓辺に置かれた、ひとつの椅子。
銀色の髪。青い瞳。少しだけ微笑んで。
彼女はあの夜と少しも変わらない。
時々ラウリが来る。
彼は毎回明るい声で彼女に話しかける。今日のこと、学園のこと、街の新しい菓子屋のこと。
そのたびに帰り際に目を赤くしている。
ギャラントは何も言わずに花を置いていく。ユリオスは月に一度、静かに訪れる。
誰も俺を責めなかった。
それが一番こたえた。
俺は毎日、その部屋に通った。
朝、窓を開ける。
風を入れる。
……でも、風は吹かなかった。
あの夜から、俺の風は吹かなくなった。
どれだけ詠唱を唱えてもそよ風ひとつ起きない。
あの子の頬に触れるあの風は。
もうどこにもない。
*
夜、俺は椅子に座って、あの手紙を開く。
もう何度読んだか、わからない。
『カイゼルへ。
この手紙を読んでいるということは私は間に合わなかったのかもしれません。
ごめんなさい。
三日間、いろいろ考えました。カイゼルに避けられていること。呪いのことを何も話してくれないこと。私をほうっておけない理由。
全部私のせいであなたに迷惑をかけているんだと思っていました。
でもね。
本当はずっと知りたかったんです。
カイゼルがどうして、私のそばにいてくれるのか。
もし、それが呪いのせいでもいいと思いました。
だって、私はそのおかげで九年間、あなたの隣にいられたから。
雪だるまを作った冬も。 一緒に食べたお菓子も。 夜中に窓から飛び込んできた風の音も。
全部、全部大好きでした。
呪いがあってもなくても私はカイゼルが好きです。
いつかこの気持ちをちゃんと言えたなら。
そのとき、あなたが笑ってくれたらいいな。
リリーより』
何度読んでも最後の行で目の前がぐにゃりと歪む。
俺は便箋を胸に抱いた。
あの雪の夜の自分に言いたかった。
願うなと。
何も願うなと。
あいつが遠くへ行ってしまうなら、それでも、手を振って、見送れと。
でも、遅い。
何もかも遅い。
俺はベッドの縁に腰を下ろした。
彼女の冷たい手をそっと両手で包んだ。
「……なあ、リリー」
答えは返ってこない。
「ずっといっしょだな」
声がひび割れた。
「お前のそばにいるよ。……ずっと」
九年前の雪の日。
あの子に離れないでほしくて。
俺は願った。
その願いは叶った。
あの子は二度と俺から、離れられない。
冷たい、白い、動かない体で。
俺の隣にずっと。
「……違う」
声が漏れた。
「違う。……こんなのを望んだんじゃない」
窓の外に雪が降り始めていた。
あの日と同じ静かな雪。
風は吹かない。
誰にも届かない声で俺は彼女の名前を呼び続けた。
「リリー。……リリー」
返事はない。
ただ、彼女の唇があの夜と同じ、優しい笑みの形で凍りついていた。
これにて本編終了です!お読みいただきありがとうございます。
バッドエンドまで書ききり満足です。
誰かのルートを選ぶと、誰かが幸せになれない。
作者はそれがとても好きです。
ユリオスは彼以外のルートだと諦めて裏の仕事を続けるでしょうし
ギャラントは恋ができません。
ラウリだけはリリーがいなくても幸せにはなれるでしょうがリリーといるともっと幸せになれます。
カイゼルは……言わずもがなですね。
趣味全開の話を読んでいただき本当に感謝しております。
この後番外編数話のあと完結となります。
最後までお楽しみいただけたら嬉しいです。




