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人形姫と四つの口付け  作者: かん
人形姫の呪いと、風の願い(カイゼル ルート)

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46/54

唇の約束

 ―――カイゼル―――


 鐘楼の最上階は、吹き抜けの石の広間だった。


 巨大な鐘が、頭上に吊るされている。満月が、その真上でまばゆく光っていた。


「来たね、坊や」


 魔女が、月明かりの中に立っていた。


「決心はついたかい?」


「……ああ」


 俺は、拳を握りしめた。


「願いを取り消してくれ」


 魔女の金色の瞳が、細くなる。


「リリーの中から、俺を消していい。だから、あいつを、自由にしてくれ」

「本当にいいんだね?」

「……ああ」


 嘘だ。


 本当は、震えるほど怖かった。


 でも、それが、俺にできるたったひとつの贖罪だ。


 九年間、俺は、あいつを縛り続けた。


 その終わりが、忘れられることなら――


「カイゼル!!」


 階段の方から、声が響いた。


 振り返る。


 俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


 ギャラントに背負われた、リリーがいた。


 その体は、胸まで真っ白に固まっていた。


「リリー!!」


 駆け寄る。ギャラントが、リリーをそっと石の床に下ろした。


「早く、お前がなんとかしろ。こいつ、もうすぐ声も出なくなる」

「ラウリの光が、まだ効いてる。でも、もう限界だ」


 ラウリが、汗だくで両手を突き出している。


 俺は、リリーを抱き起こした。


「リリー、しっかりしろ!」


 額に、キスを落とす。


 ――ぬくもりは。


 来なかった。


「……なんで」


 もう一度。二度。三度。


 唇を押し当てても、白い色は微動だにしない。


「戻れ……戻れよ、リリー!」


 声が裏返った。


「くくく。無駄だよ、坊や」


 魔女が、静かに言った。


「願いは満ちた。額の口づけでは、もう戻らない。……お前の願いのままに、あの子はお前のそばで永遠の人形になる」

「違う!!」


 俺は、叫んだ。


「俺が望んだのはこんなのじゃない!」


 涙が、溢れた。


「俺はリリーに、笑っていてほしかった! 幸せになって、ほしかった! 人形になんかしなくていい、そばにいなくていい、ただ、あいつが幸せなら、それで――」


「カイゼル」


 小さな、けれどはっきりとした声が、俺の名前を呼んだ。


 リリーだった。


 白く固まりかけた顔で、それでも目を開けて俺を見ていた。


「リリー……!」


「……消さないで」


 唇が、かすかに動く。


「え?」


「願いを取り消すのは、やめて。……私、カイゼルを、忘れたくない」


 涙が、彼女の頬を伝った。


「さっき、聞こえてたよ。ずっと、階段の途中から。……カイゼルが、私を自由にするために、私の記憶から消えようとしてるって」


「……!」


「そんなの、いや」


 彼女は、震える声で続けた。


「あのね、カイゼル。私、九年前の冬、引っ越しがなくなって、よかったって、ずっと思ってた」


 息が、止まった。


「呪いがあったからじゃない。カイゼルと、離れたくなかったから。……行きたくなかったの、本当は。カイゼルと、離れたくなかった」


「リリー……」


「呪いなんか、なくても私は離れたくなかった。ずっと、カイゼルの隣にいたかった」


 彼女は笑った。涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでも世界で一番きれいな笑顔で。




「好きだよ、カイゼル。ずっと、ずっと好き」



 世界が、止まった。


 風の音も、鐘の響きも、遠くで誰かが息を呑む気配も。


 全部が、消えて。


 ただ、リリーのその言葉だけが、胸の奥で何度も何度もこだました。


 ――好き?


 リリーが。俺を。



「……嘘、だろ」


「嘘じゃないよ」


「だって、お前、キスのたびに俺が震えてるのが、迷惑だって」


「迷惑なんて、言ってない。……嫌なのを、我慢してるのかなって思っただけ」


「違う」


 声が、かすれた。



「違う、リリー。嫌なわけあるか」



 目の奥が、熱くて熱くてたまらなかった。



「震えるのは、お前に触れられるのが嬉しくて、怖かったからだ。俺には、その資格がないってずっと思ってたから」



 白く固まった彼女の頬に、俺はそっと手を添えた。


 冷たかった。それでも、確かにそこに、彼女がいた。


 口をついたのは、九年分の想いだった。



「ずっと唇にしたかったんだ。でも、俺にはその資格はないと……。俺は、お前が他の誰かと幸せになるのを見守ることしかできないと思っていたんだ」



 言い終えた瞬間、九年分の重石が、胸の奥でごとりと動いた。


 リリーの目が、大きく見開かれる。



「……カイゼル」


「でも、もう見守るだけはやめる」



 俺は、彼女の冷たくなった顔に顔を近づけた。



「愛してる、リリー。ずっと、ずっと愛してた」


「……うん」


「俺の初めての願いだった。……お前と、ずっといっしょにいたい。今度は、魔女の力なんか借りない。俺の、自分の意思で」


「うん。……私も」



 涙が、彼女の睫毛から零れ落ちる。



「私もカイゼルとずっといっしょにいたい」



 月の光が、二人の影を重ねた。


 俺は、目を閉じて。


 彼女の唇に。


 唇を、重ねた。


     *


 ――光。


 最初に感じたのは、あたたかさだった。


 額に落とされた、あの、ひとときのぬくもりとは、まるで違う。


 唇から、体の奥へ。奥の奥の凍りついていた場所へ、金色の光が流れ込んでくる。


 九年間、ずっと溶けなかった氷。


 それが、ぱりんと砕ける音がした。


 リリーの体を覆っていた白い陶器がひび割れて、きらきらと光の粒になって舞い上がった。


 鐘が、鳴り響く。


 真夜中を告げる、十二の音。


 その一音一音が、まるで祝福みたいに夜空に響き渡っていく。


 唇を離すと、リリーがゆっくりと目を開けた。


 青い瞳が、涙で潤んでいる。


「……あったかい」


 彼女が、俺の頬に手を伸ばした。


 その指は、柔らかくて温かくて、確かに人間の体温をしていた。


「戻った……のか」

「うん。……戻ったよ」

「呪いは」

「わからない。でも、もう、どこにも冷たいところがない」


 二人で、顔を見合わせて。


 同時に、涙がこぼれた。


「……よかった」

「よかった……!」


 俺は、思い切り彼女を抱きしめた。


 彼女も、俺の背中に両腕を回した。


     *


「……靄が」


 ラウリが、呆然と呟いた。


「消えた。全部、消えたよ。……あの、細い糸だけ残ってる」

「糸?」

「うん。二人を繋いでる、あったかい光の糸。……もう、呪いじゃないね。これは、ただの絆だ」


 ラウリの目から、ぽろぽろと涙が溢れた。


「よかった、よかったよぉ……!」

「泣くな、うるせえ」


 ギャラントが、そっぽを向いて鼻をごしごしとこすっている。


「……ったく、手間ばっかかけさせやがって」

「素敵な結末だったね」


 ユリオスが、穏やかに微笑んだ。


「僕の出番は、ほとんどなかったけれど」

「十分助かりました」


 リリーが、涙を拭いながら言った。


「みなさん、本当にありがとうございました」


 そのとき。


 パチ、パチ、パチ。


 乾いた拍手の音が、響いた。


 魔女が、月明かりの中で拍手をしていた。


「見事だったよ。私も、少し感動した」

「……お前」


 俺は、リリーを背に庇うように立った。


「そう、怖い顔をするな、坊や。もう何もしないさ」


 魔女は、肩を竦めた。


「私はね、願いを叶えただけだ。『ずっと、いっしょに』。その願いが呪いになるか、祝福になるかは、お前たち次第だった」

「…………」

「九年間、お前たちは想いを隠して、すれ違った。それが、呪いを育てた。でも、想いを伝えた瞬間、呪いは、ただの願いに戻った」


 金色の瞳が、ふっとやわらかくなった。


「『ずっと、いっしょに』は、お前たちのこれからで叶えるものだ。……私の役目は、もうおしまい」

「待て。ひとつだけ聞かせろ」


 俺は、一歩前に出た。


「どうして、九年間も待っていた。最初から、俺たちを殺しもせず、ただ」


 魔女は、遠くを見るように月を見上げた。


「昔ね。私も、願ったことがあったのさ。……誰かと、ずっといっしょにいたいと」


 その声は、どこか寂しそうだった。


「叶わなかったよ。私は、想いを伝えなかったから。……だから、確かめてみたくなった。想いを伝えた者たちは、どうなるのかをね」


 魔女は、くるりと背を向けた。


 その姿が、月の光に透けていく。


「幸せにおなり、願いの子たち」


 風が、吹いた。


 魔女の姿は、金色の羽のような光になって夜空に舞い上がっていった。


 あとには、一枚の白紙のページだけがひらりと床に落ちた。


     *


 夜が、明けようとしていた。


 東の空が、うっすらと紫色に染まり始める。


 鐘楼の窓辺に、リリーと二人並んで座った。


 ユリオスたちは、気を利かせて先に下りてしまった。


「……ねえ、カイゼル」


「なんだ」


「さっき、『ずっと唇にしたかった』って言ったよね」


「…………」


「九年分なんでしょう?」


「……忘れろ」


「やだ。もう一回言って」


「言わねえ」


「けち」


 くすくすと、リリーが笑う。


 その笑顔を見て、俺は、ようやく思った。


 ――ああ、これが。


 九年間、ずっと、俺が見たかったものだ。


「リリー」


「なあに?」


「……好きだ」


「うん。知ってる」


「お前は」


「私も、カイゼルが好き」


 朝日が、地平線から顔を出した。


 黄金色の光が、二人を包み込む。


 俺は、彼女の手をそっと握った。


 もう、冷たくない。


 あたたかくて、柔らかくて、離したくない手。


 風が、そっと吹いた。


 それは、九年前の雪の夜の風とはまるで違う、あたたかい春の風だった。

これにてカイゼルルート完結です!

このあと後日談2話+バッドエンド1話の後、番外編を更新します。

お読み頂き本当にありがとうございます。

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