片想いは、笑って隠す
―――リリー―――
カイゼルの唇はいつも震えている。
額にそっと触れるとき。ほんの一瞬なのに、指も唇も小さく震えているのを、私は知っている。
(嫌なんだろうな)
と、思う。
好きでもない幼馴染の額に、何度もキスをするなんて。
私が彼を好きなのは、もうずっと前から。彼にとっては、迷惑なだけかもしれないのに。
だから、あの夜、「恋でもしたら?」と言われたとき、私は、笑うことしかできなかった。
――カイゼルは、私が誰かを好きになっても平気なんだ。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
*
学園生活は、忙しく賑やかだった。
生徒会に入った私は、会長のユリオス先輩、会計のラウリ先輩、庶務のギャラント先輩、書記のセシリア先輩、副会長のエルンスト先輩と、少しずつ打ち解けていった。
特に、セシリア先輩は何かと私を気にかけてくれて、ときどき、こっそりお菓子をくれる。
「リリー、これお願い!」
「はいっ」
「おい、そこ間違ってる」
「……あ、本当だ。ありがとうございます」
みんな、いい人たちだ。呪いのことは、まだ誰にも言えないけれど。
カイゼルは、生徒会には入っていない。
放課後は、たいてい図書館にいる。私と同じで、呪いのことを調べてくれているのだろう。
その背中を、遠くからそっと見ている。
それだけで、私は幸せだったのに。
*
歓迎パーティの夜。
ユリオス会長の手を取って、ホールの中央で踊りながら、私は、視線の端でその姿を探した。
壁際のいちばん目立たない隅っこ。
黒い髪の男子が、皿に山盛りのケーキを載せてひとりで立っていた。
「リリー、足元に集中して。……ふふ、またよそ見だね」
「す、すみません!」
「いいよ。誰を見てるのかは聞かないでおく」
ユリオス会長が、いたずらっぽく笑う。頬が、一気に熱くなった。
ダンスが終わってから、私は、その隅っこにまっすぐ歩いていった。
「カイゼル」
「……お前、踊ってたな」
「見てたの?」
「見えたんだよ。目立ってたから」
彼は、ケーキをぶすりとフォークで刺した。
「楽しそうだった。……それでいいんだよ。楽しめって言ったろ」
「…………」
「恋でもしろ。こういう場所はそのための――」
「カイゼルは」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「私が誰かと踊っても、恋をしても平気なんだね」
カイゼルの手が、ぴたりと止まった。
黒い瞳が、ゆっくりと私を見る。
何かを、言いかけて。唇を、噛んで。
「…………平気だ」
その一言が、氷の刃みたいに胸に刺さった。
「……そっか」
私は笑った。ちゃんと、笑えていたと思う。
「そうだよね。うん、わかった」
「リリー、お前――」
「ケーキ食べすぎないでね」
くるりと、背を向ける。
泣くもんか。ここで、泣いたら負けだ。
ホールを出てバルコニーに出た、そのとき。
つま先に、あの感覚が走った。
(……うそ)
まだ、三日しか経ってないのに。
前の発動から、たった三日。今までは、ひと月に一度あるかないかだったのに。
手首のバングルを、震える指で押す。
膝が、こつんと固くなる。
風が、吹いた。
「リリー!」
慌てた様子のカイゼルが、私の前に膝をついた。
私は目を閉じた。
額に、やわらかいものが触れる。
――あったかい。
白い色が、脚からゆっくりと引いていく。
彼の唇は、やっぱり震えていた。
「……三日ぶりだな」
ぽつりと、彼が呟いた。
「え?」
「いや」
カイゼルは、はっとしたように口を閉じた。
けれど私は彼が言いたかったことが分かってしまう。
「前は、ひと月に一度くらいだったのに。……どんどん、間隔が短く」
「たまたまだ」
被せるように、彼が言った。
「気にするな。たまたまだ」
嘘だと、思った。
だって、彼の顔が、真っ青だったから。
「……ごめんね」
私は、俯いた。
「毎回、毎回。夜中でも、パーティの最中でも飛んできてもらって」
「謝るな」
「でも、私のせいで、カイゼルはいつも自由に動けない。好きなところへ、行けない。……恋人だって、作れない」
「リリー」
「呪いが解けたら、カイゼルは、自由だよね」
言いながら、喉が詰まった。
「だから、私、頑張るね。自分で、呪いを解くから。カイゼルはもう、私に付き合わなくていいよ」
「……何言ってんだ」
「だって、迷惑でしょ? キスするとき、いつも、唇が震えてるもん」
カイゼルの目が、大きく見開かれた。
「あれは……」
「嫌なの、我慢してるんでしょう?」
「違う!」
珍しく、大きな声だった。
私は、驚いて顔を上げた。
彼は、何かを言おうとして。
けれど、その唇は、開いたまま動かなかった。
「……違う、の?」
「…………」
「違うなら、どうして震えるの?」
答えは、なかった。
長い、長い沈黙のあと、カイゼルは顔を背けた。
「……とにかくバングルは外すな」
絞り出すような、声。
「何かあったら、必ず呼べ。……それだけは約束しろ」
「……うん」
頷いた。でも、心の中では、別のことを決めていた。
(もうカイゼルを縛らない)
次からは、なるべく自分でなんとかしよう。
彼が、自由になれるように。
私が、彼を好きになってしまったせいで彼がずっと苦しむのは、もう嫌だから。
*
―――カイゼル―――
バルコニーの手すりに、額を押し当てる。
リリーは、先に会場に戻っていった。
(……迷惑だと)
違う。
震えるのは、迷惑だからじゃない。
お前に触れる、その瞬間がどれだけ愛おしいか。どれだけ、罪深いか。
それを、自分に許していいのかわからないからだ。
でも、それを、言えるわけがなかった。
言えば、リリーは知ってしまう。
この呪いの発端が俺だということを。
小さい時からずっと、俺の隣で笑ってくれていた、この子が、それを知ったとき。
――きっと離れていく。
風が、頬を撫でた。
「……三日、か」
呪いが、育っている。
あの魔女が言った「対価」の意味が、少しずつ見えてきた。
俺には、時間があまり残されていないのかもしれない。




