【BAD END】光の忘れもの
※本編とは別の世界線です。ラウリ編・第六章、地下室で倒れたラウリが眠り続ける場面の続きから始まります。
彼が眠っていたのは三日と半日だった。
医者は魔力の消耗と極度の疲労だと言った。命に別状はないと。
オスカー先生と仲間たちは警備隊に引き渡された。会長がすべてを手配してくれた。
私は医務室のベッドの脇にずっと座っていた。
ときどきカイゼルが来て、黙って温かい飲み物を置いていってくれた。ギャラント先輩もぶっきらぼうにパンを差し入れてくれた。
私はほとんど、彼の手を握って離さなかった。
耳元のピアスは冷たいままだった。
三日目の夜。窓の外に月が出ていた。
「…………ん」
握っていた指がかすかに動いた。
「……ラウリ先輩?」
濃い青の瞳がゆっくりと開いた。
「ラウリ先輩!!」
思わず身を乗り出した。
「よかった……よかった、目が覚めた……! 本当によかった……っ」
涙がぽろぽろとこぼれた。
ラウリ先輩はしばらく、ぼんやりと天井を見つめて。
それからゆっくりとこちらを向いた。
「……あれ」
小さく首を傾げて。
「ええと……ごめんね。君、誰だっけ?」
――時間が止まった。
「……え?」
「あれ、僕、生徒会の後輩の顔、全員覚えてたつもりだったんだけどな。新入生の子? お見舞いに来てくれたの? ありがとう」
いつもの太陽みたいな笑顔で。
私の知っている笑顔で。
なのにその濃い青の瞳は私をまるで初めて会った人みたいに見ていた。
「……せんぱい」
「うん?」
「私……」
喉が詰まった。
何を言えばいいのか、わからなかった。
ラウリ先輩は私の顔を覗き込んでそれから慌てた。
「わ、泣かないで! ごめんね、僕、何か悪いこと言ったかな!? どうして泣いてるの?」
「……いえ。ごめんなさい。……嬉しくて」
やっとのことでそう言った。
「起きてくださって嬉しくて」
「そっか! 優しい子だなあ。……あ、そのピアス素敵だね」
彼の視線が私の耳元に留まる。
「濃い青の魔石だ。僕の魔力になんだか似てる。……偶然かな?」
首を傾げる、その顔には。
なんの迷いもなかった。
*
廊下に出た途端、膝から力が抜けた。
「リリーさん!」
セシリア先輩が駆け寄って、私を抱き止めてくれた。
「しっかりなさい。……何も言わなくていいわ」
いつものつんとした声が震えていた。
医務室の外にはみんなが集まっていた。
ギャラント先輩は壁に額を押しつけて、拳を握りしめている。
エルンスト先輩は俯いたまま、眼鏡を外して、目頭を押さえていた。
ユリオス会長は静かに目を伏せていた。
「魔力を極限まで使い果たすと」
白衣の医者が低い声で言った。
「ごく稀に、その魔力を最も強く注いだ相手に関する記憶を、燃料として焼いてしまうことがあります。……彼の場合、あのピアスが彼の魔力を長時間、吸い続けていた」
「……それって」
「彼はあなたに関する記憶をすべて、失っています。……ほかのことは覚えています。生徒会のことも、魔道具研究部のことも、先生のことも」
私だけが。
私にまつわるものだけが抜け落ちている。
「戻る可能性は」
会長が静かに尋ねた。
「……正直に申し上げます」
医者は首を横に振った。
「焼けた記憶は戻らないことの方が多い。……無理に思い出させようとすれば、逆に彼を傷つけることになりかねません」
私は唇を噛んだ。
「リリー」
会長が私を見た。
「君が望むなら。僕たちから、彼にすべてを伝えることもできる」
「……いえ」
考える前に答えていた。
「言わないでください」
「リリー……」
「先輩は優しい人です。……もし、私のことを忘れてしまったと知ったら。きっと自分を責めます。何も悪くないのに」
ラウリ先輩が地下室で笑って言った。
『僕は、なんだってするよ』
あの言葉を私は知っている。
だから、彼にあの人自身を責めさせたくなかった。
「……私が我慢します」
誰も、何も言わなかった。
ギャラント先輩が壁を拳でどんと叩いた。
「ふざけんな……ふざけんなよ、こんなの……っ」
その声が涙で掠れていた。
*
一週間後、ラウリ先輩は生徒会室に戻ってきた。
「たっだいまー! みんなごめんね、心配かけたー!」
いつもの声。いつもの笑顔。
みんなが笑って迎えた。
少しだけ無理をして。
「あ、そうだ! 君、名前、教えてもらってなかったよね?」
彼が私の前にぴょんと飛んできた。
「僕は会計のラウリ・リンゼル! 君は?」
「……リリー・カラティアと申します。一年生です」
「リリー! 素敵な名前だね! 首席の子なんでしょ? 会長から聞いたよ! これからよろしくね!」
差し出された手を握った。
あたたかい。
あの日、地下室で私の縄を解いてくれた、手と同じ。
「……はい。よろしくお願いします、ラウリ先輩」
「うん! 困ったことがあったら、なんでも聞いてね!」
――それは。
それはあの日、私が最初に聞いた、言葉だった。
入学式の朝。
リボンを直してくれた、あの人が言った言葉。
私は笑った。
笑えていた、と、思う。
彼は少しだけ、首を傾げた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「ううん。……なんでもない」
彼は自分の胸をそっと押さえた。
「変だな。君を見てると胸がちょっと痛いんだ。……理由はわからないんだけど」
濃い青の瞳が揺れた。
「初めて会った、はずなのにね」
*
秋の夕暮れだった。
生徒会室に私とラウリ先輩の二人だけが残っていた。
帳簿の整理。彼はずっと明るく、私に教えてくれた。
あの日と同じように。
「ここの桁を一つ間違えると魔法祭のランタンが二万個になっちゃうんだ」
「ふふ。……はい」
その、瞬間だった。
つま先の感覚が消えた。
(……こんなときに)
覚悟はしていたはずなのに。
指先が冷たくなる。
「……リリー?」
彼の声が変わった。
「顔色が悪い。……足、が」
白く硬くなっていく脚を彼の瞳が捉えた。
「これは……」
私は震える声で言った。
「大丈夫です。バングルを押せば」
「待って」
ラウリ先輩が私の前に膝をついた。
「見える。……靄が。黒い靄が君の中に」
「先輩……?」
彼は私の両手を包んで目を閉じた。
唇が勝手に動いた。
『日ざしよ、彼女の時を、とどめて』
――光。
朝日みたいな、やわらかい金色が彼の手のひらから、あふれ出した。
白く硬くなりかけていた脚がぴたりと止まった。
冷たさが引いていく。
けれど。
その光はあの日よりもずっと弱かった。頼りなく揺れている。
「……止まっ、た」
ラウリ先輩が目を見開いた。
「なんでだろう……僕、この詠唱初めて使うのに、なんだか初めての気がしないや」
「…………」
彼は自分の手をじっと見つめた。
それから私を見た。
「君の呪いだよね? ずっとこんな怖い思いをしてたの?」
「……はい」
「一人で?」
「……幼馴染と二人で」
「そっか」
彼は私の手をぎゅっと握った。
「僕、君のこと覚えてないけど。……でも、放っておけないや」
濃い青の瞳がまっすぐに私を見ていた。
「力にならせて。呪いの解き方、一緒に探させてほしい。……変だよね。出会って間もないのにこんなこと」
「……どうして」
声が震えた。
「どうして、そこまでしてくださるんですか」
「うーん」
彼は少し考えて。
それからいつもの太陽みたいな笑顔で言った。
「だって、君が困ってるから」
心臓が止まりかけた。
「それ以外に、理由、いる?」
――ああ。
ああ、この人は。
何も覚えていないのに。
記憶がなくなっても、ラウリ先輩はラウリ先輩なんだ。
涙が溢れて、止まらなくなった。
「え!? 泣かないで! 僕、また何か変なこと言った!?」
「……いいえ」
私は泣きながら笑った。
「いいえ、先輩。……ありがとう、ございます。お願い、します」
「うん、任せて!」
彼は無邪気に胸を叩いた。
私は彼の手を握りしめた。
これが私の最後のわがままだった。
この人の隣にもう一度、立つための。
*
それから私たちはまた、魔道具研究部で呪いの解き方を探した。
光の護符。封印の陣。古い解呪の香。
結果はあの日と同じ。靄はびくともしなかった。
「ダメなら次! 失敗はね、発見の数を増やすだけなんだ!」
彼はあの日と同じことを言った。
優しい、頼れる、先輩として。
彼は私を大事にしてくれた。呪いのことを誰よりも真剣に考えてくれた。
けれど、それは。
誰にでも向けられる、優しさだった。
彼の光は以前のような、私だけをまっすぐ照らす光ではなくなっていた。
*
春。
ラウリ先輩の卒業式の日だった。
中庭の桜の下で私たちは二人で並んで立っていた。
「卒業してもちゃんと会いに来るからね! 君の呪いの研究、続けたいし!」
「……はい。お待ちしています」
「リリーは大事な後輩だからね! 最初はなんだか、不思議な気持ちだったけど。今は君と一緒にいるとあったかくて、落ち着くんだ」
彼は屈託なく笑った。
大事な後輩。
私は笑顔を崩さなかった。
「……ありがとうございます、先輩」
「あ、そういえば」
ラウリ先輩がふと私の耳元を覗き込んだ。
「そのピアス、ずっとつけてるよね。気になってたんだ。……すごく大事なものなんでしょ? 誰かにもらったの?」
風が吹いた。
桜の花びらが舞い散る。
「…………はい」
私は微笑んだ。
「もらったんです。……大切な人に」
「そっか」
ラウリ先輩はうんうんと頷いた。
「素敵だね。大事にしなよ」
その、瞬間。
――ぴし。
小さな音がした。
耳元で何かがひび割れる音。
私はそっとピアスに触れた。
濃い青の石に細い、細い亀裂が一本、走っていた。
あの日から、少しずつ冷えて、光を失っていた石が。
今、最後のぬくもりを手放した。
「……リリー?」
「いいえ。……なんでもありません」
私は首を振った。
涙がひとすじ、頬を伝った。
「ラウリ先輩」
「うん?」
私は彼をまっすぐに見つめて。
精一杯の笑顔で言った。
「――はじめまして。リリー・カラティアです」
「え?」
彼はきょとんと首を傾げた。
「あはは、どうしたの急に。もう知ってるよー!」
「……はい」
私は頷いた。
「そう、ですよね」
濃い青の亀裂の入った石はもう、二度と光らなかった。
それでも。
彼が太陽みたいに笑っていてくれるなら。
それだけでいいと思うことにした。
思うことにして。
私は桜の下でいつまでも笑っていた。
お読み頂きありがとうございます。
次からカイゼルルートです!




