尾行と、暗い地下室
熱が下がってからも、ラウリ先輩は変わらなかった。
放課後になると、すぐふらりと姿を消す。目の下には、うっすらと隈。それでも、私の前では、ぴかぴかの笑顔。
もう、見ているだけではいられなかった。
「ラウリ先輩」
ある日の帰り際、私は廊下で彼を呼び止めた。
「私にも手伝わせてください」
「え? 何のこと?」
「ずっと、何かしてますよね。夜も、放課後も」
「あはは、生徒会の仕事だよ! 文化祭の準備で、忙しくてさ、 心配しないで!」
いつもの明るい声。
それが、胸にぎゅっと刺さった。
「その笑顔で誤魔化すの、ずるいです」
ラウリ先輩の笑顔が、ぴたりと止まった。
「私は、ラウリ先輩が無理してるのがわかります。だって、いつも私のことを見てくれる人だから。……私も、見てるんです」
「リリー……」
「呪いのことで、私たくさん助けてもらいました。今度は、私が助ける番です。一人で、抱え込まないで」
しばらく、沈黙が続いた。
夕焼けが、廊下を橙色に染めている。
やがて、ラウリ先輩はゆっくりと息を吐いた。
「……君には敵わないなあ」
困ったように笑って。
「話すよ。でも、聞いても驚かないでね。それから、絶対に怒らないで」
*
部室の誰もいない時間。
ラウリ先輩は、静かに話してくれた。
文化祭の準備の日、オスカー先生の引き出しに、白い粉の入った小袋があったこと。私を部屋から出したあと、こっそり鑑定に出したこと。結果は、違法薬物だったこと。
先生に問い詰めたこと。「私のものじゃない」と、はぐらかされたこと。
私は、息を止めていた。
「調べたんだ。先生のこと。そしたらね」
彼は、机に置いた古い新聞の切り抜きを、そっと私の前に滑らせた。
「先生は、五年前まで王宮の魔道具工房の主任だった。研究費の使い込みを疑われて、職を追われてる。今は、多額の借金を抱えてるって記録もある」
「……そんな」
「それから、週に何度か夜に街の西外れに出かけてる。誰も近寄らない場所だ」
視界が、ぐらりと揺れた。
「うそ……ですよね」
自分の声が、震えていた。
「先生は、違います。そんなことするはずない」
「リリー……」
「先生は、私が失敗して落ち込んでたとき、紅茶を淹れてくれました。『失敗は、記録すればデータになる』って。あんなに、優しい人が」
涙が、ぽろぽろとこぼれる。
「先生が、そんなことをするわけないです」
「うん。僕も、信じたい。信じたいから調べてるんだ」
ラウリ先輩は、私の背中をそっとさすってくれた。
「先生が無実だっていう証拠が見つかれば、それが一番いい。……でもね、もしそうじゃなかったら」
「……私」
涙を拭って、私は顔を上げた。
「先生の無罪を、証明したいです。だから、私も証拠を集めます」
「え?」
「ラウリ先輩だけに、背負わせたくない。私も先生を信じてる。だから、確かめたいんです」
「リリー、だめだよ。相手は、違法薬物に関わってる。危ないことに、なるかもしれない」
「でも――」
「約束して」
ラウリ先輩が、私の両肩を掴んだ。いつになく真剣な目で。
「一人で、動かないって。何か見つけたら、必ず僕に言うって」
「…………はい」
頷いた私の耳元で、濃い青がちいさく光った。
*
――約束は、守るつもりだった。
でも、その夜、私は見てしまった。
寮の窓から、暗い中庭を黒い外套の人影が横切っていく。街灯に、眼鏡が白く光った。
(……オスカー先生)
心臓が、どくんと跳ねる。
ラウリ先輩に、知らせなきゃ。
でも、今から呼びに行ったら間に合わない。この機会を逃したら、また、何日も待つことになる。
もし、誤解だったら。先生が、ただの散歩や用事で出かけているだけなら。今夜確かめられれば、すべてが解決する。
(少しだけ。行き先を、確認するだけ)
そう、自分に言い聞かせて。
私は、上着を掴んで部屋を飛び出していた。
*
先生は、夜の街を迷いのない足取りで歩いていく。
私は、距離を保って影から影へそっとあとを追った。心臓の音が、うるさいくらい響く。
賑やかな通りを抜けて、暗い路地へ。街の西の外れ。
やがて、先生は古びた一軒家の前で足を止めた。扉を叩く。中から誰かが開けて、先生は、ためらうことなく吸い込まれていった。
(ここが……)
私は、息を殺して家の窓に近づいた。
カーテンの隙間から、明かりが漏れている。中を覗こうとした――
そのとき。
背後で、砂利を踏む小さな音がした。
「――っ」
振り向くより早く、大きな手が、私の口を塞いだ。
鼻をつく、甘ったるい匂い。
視界が、ぐにゃりと歪む。
(ラウリ、先輩……)
約束、破ってごめんなさい。
そう思ったのを最後に、私の意識は暗闇へと沈んでいった。
*
――冷たい。
最初に感じたのは、湿った石の匂いと、背中に染みる冷えだった。
目を開ける。
暗い。天井は低くて、四方を、石の壁に囲まれている。地下室だろうか。
起き上がろうとして、腕が動かないことに気づいた。手首が、太い縄でぐるぐると縛られている。足首もだ。
(ここは……)
部屋の隅の、小さな扉。押しても引いても、びくともしない。鍵が、かかっている。
冷や汗が、背筋を伝った。
落ち着いて。落ち着いて。
私は、縛られた手を胸の前に持ってきた。手首のバングルを押そうとして――
ない。
手首の銀の輪が、なくなっていた。
「……うそ」
攫われたとき、魔石に気づかれたのだ。居場所を知らせる道具だと、見抜かれて外されてしまったのだろう。
呼べない。カイゼルを、呼べない。
全身から、血の気が引いていく。
そのとき、ふと。
耳元に、ひやりと小さな重みを感じた。
髪に隠れて、気づかれなかったのだ。
濃い青のピアスは、まだ私の耳で揺れていた。
――光が君を守る。
あの人の声が、蘇る。
涙が、こぼれた。
(ラウリ先輩……ごめんなさい。約束、破ってごめんなさい)
闇の中で、私は小さな光だけを頼りに膝を抱えた。




