会計の意地と、徹夜の夜
文化祭の予算会議の前夜。
生徒会室の明かりは、日付が変わっても消えなかった。
「……あと二十件」
「多すぎだろ!」
「各部の追加申請が、全部今日に集中したからね」
「差し入れよ」
扉が開いて、書記のセシリア先輩が大きなバスケットを抱えて入ってきた。
「サンドイッチと、温かいスープ。……別に、あなたたちのためじゃないわ。あななたたちが倒れたら、書類が止まって困るからよ」
「ありがとうございます、ローゼンバーグ書記」
部屋の奥で、通知文を書いていたエルンスト先輩が顔を上げた。目の下に、うっすらと隈がある。
「……ずっと、何も食べていないでしょう。ほら」
「後でいただきます」
「今、食べなさい」
有無を言わせず、彼のペンの横に、サンドイッチの皿が置かれた。
しばらくの沈黙のあと、エルンスト先輩はそれを黙って一口かじった。
「……おいしい」
「当たり前でしょう」
そう言って、彼女はふいっと背中を向けた。けれど、その背中は、ちょっと嬉しそうだった。
机の上には、書類の塔が三つ。その真ん中で、ラウリ先輩がものすごい速さで数字を打ち込んでいた。
「大丈夫、大丈夫! 数字は、僕の得意分野だから!」
「その『大丈夫』は、信用ならねえ」
「ひどい!」
いつもの軽口。
でも、私は気づいていた。
今日の彼の笑顔は、いつもよりほんの少し薄い。目の下の、うっすらとした隈。書類をめくる手の、かすかな遅れ。
「ラウリ先輩、ここ、桁が違ってます」
「え? あ、ほんとだ。ありがとう、リリー!」
彼は、すぐに直した。
でも、その後、同じ間違いを、もう一度した。
「……ラウリ」
ユリオス会長が、静かにペンを置いた。
「今日はもうやめよう」
「え、でも、明日の会議までに」
「会計が倒れたら、生徒会が止まる」
会長の声は、穏やかだった。でも、有無を言わせない強さがあった。
「だから、倒れる前に僕たちを使ってくれ。一人で、抱えるな。生徒会は、そのためにあるんだ」
「……会長」
ラウリ先輩は、しばらく黙っていた。
それから、へにゃっと笑った。
「……ずるいなあ、会長」
「ずるいのはいつものことだよ」
「じゃあ、お言葉に甘えます。ギャラント、この束、部活ごとに仕分けしてくれる?」
「任せろ。重いもん運ぶのは得意だ」
「リリーはこの計算書の検算を」
「はい!」
「エルンスト先輩は、各部長さんへの通知文を」
「承知した。文面は私に任せてくれ」
「セシリア先輩は、議事録の清書を」
「もう始めているわ」
「会長は、全体の最終確認を」
「お安い御用だ」
みんなで作業を分担したら、書類の塔は、みるみる低くなっていった。
途中、私は、火の魔法で紅茶を温め直した。
「わあ、あったかい……ありがとう」
「いえ。先輩、少し、休んでください」
「うん。ちょっとだけ……」
ソファに腰を下ろしたラウリ先輩は。
――三秒で眠った。
「早っ」
「よほど疲れていたんだね」
「無理してやがったなこいつ」
ギャラントが、乱暴に自分の上着を脱いでラウリ先輩の肩にばさっとかけた。
私は、そっと彼の寝顔を覗き込んだ。
いつもの太陽みたいな顔が、今は眉間に小さな皺を寄せている。
「……せんせ……」
眠ったまま、ラウリ先輩が小さく呟いた。
「先生……ちがい、ますよね……」
「え?」
「そんなはず……ないって……」
寝言。
部活の展示のことで、悩んでいるのかな。それにしては、ずいぶん苦しそうな声だった。
ユリオス会長が、眠る彼をじっと見つめていた。
「……この頃、彼は、一人で何か抱えているね」
「会長も、気づいてたんですか」
「僕たちは生徒会だよ。仲間の変化に、気づかないわけがない」
会長は、優しい目をしてラウリ先輩の前髪をそっとかき上げた。
「でも、無理に聞き出したりはしない。彼が、話したいと思ったときに聞けばいい」
「……はい」
「そのときは、リリー。君が、いちばんの聞き役になってあげて」
「わ、私ですか?」
「彼は、君の前だといちばんうまく笑えなくなるからね」
そう言って、会長は、意味ありげに微笑んだ。
頬が熱くなるのを感じながら、私は、眠る先輩の肩に毛布をそっとかけ直した。
窓の外は、うっすらと白み始めている。
耳元のピアスが、ほんのりあたたかかった。
――あなたが話してくれるまで、私は待ちます。
そう、思っていたのに。
待つだけでは足りない日が、すぐに来ることを私はまだ知らなかった。




