灯された光と、濃い青
生徒会の仕事は、想像していたよりずっと大変だった。
「リリーはラウリに教わるといい」
ユリオス会長が、書類の山を私の前に置きながらにこりと言った。
「彼は面倒見がいい。会計は、覚えることが多いからね」
「任せて! 僕が手取り足取り教えてあげるね」
ラウリ先輩は、本当に面倒見がよかった。
難しい帳簿の書き方を、可愛い落書きを添えて説明してくれる。
「この桁をひとつ間違えるとね、魔法祭のランタンが二万個になっちゃうんだ」なんて、真顔で言うから私は吹き出してしまった。
私が疲れた顔をすると、どこからともなく焼き菓子が出てくる。私の好きな、レモンのクッキー。「昨日、君がおいしいって言ってたから」と、さらりと。
この人は、よく人を見ている。
そんなふうに感じるようになった、ある日の夕方。
生徒会室には、私とラウリ先輩の二人だけだった。他のみんなは、先生に呼ばれて出払っている。
「ここの数字、合ってる?」
「はい、確認しまし、……っ!」
言いかけて、私は息を止めた。
つま先の感覚が、ない。
(……こんな、ときに)
背筋が凍りつく。人前で発動したのは、初めてだった。
手首のバングルに震える指を伸ばす。
「リリー」
いつもの明るい声が、静かに私の名前を呼んだ。
顔を上げると、ラウリ先輩が真剣な顔でこちらを見ていた。濃い青の瞳が、私の足元に一瞬だけ落ちる。
「……それ、押す前に少しだけ僕に見せて」
「え……」
「大丈夫。すぐ終わるから」
彼は、椅子から立ち上がって私の前に膝をついた。そっと、私の両手を包み込む。
そして、目を閉じて囁くように唱えた。
『日ざしよ、彼女の時を、とどめて』
――光。
手のひらから、朝日みたいなやわらかい金色があふれ出した。それが、私の足元へゆっくりと流れ落ちていく。
白く硬くなりかけていた脚が、ぴたりと止まった。
じわじわと迫っていた冷たさが、光に押し戻されるように引いていく。
「……止まった?」
自分の声が、信じられないくらい震えていた。
カイゼルの額へのキスと、同じ。呪いを、一時的に押さえ込んでくれる力。
どうして。この人が、どうして。
「……うん。間に合ったみたいだね」
ラウリ先輩は、額の汗を拭ってふわっと笑った。
「びっくりさせてごめん。でも、君が苦しそうな顔してたから放っておけなくて」
ぽろりと、涙がこぼれた。
「……気持ち悪く、ないんですか。私、人形に……」
「気持ち悪い? どうして?」
彼は、心の底から不思議そうに首を傾げた。
「君は、ずっと一人でこんなに怖いものと戦ってきたんでしょう? それって、すごいことだよ」
その一言が、胸の奥の固く閉ざされていた場所に、そっと触れた。
私は、すべてを話した。呪いのこと。つま先から人形になること。幼馴染のカイゼルの口づけが、一時的にそれを解くこと。
ラウリ先輩は、うんうんと頷きながら最後まで聞いてくれた。
「実はね」
話し終えると、彼は少しだけためらってから言った。
「僕、見えるんだ。君の中の呪いが」
「え?」
「靄みたいなものとして。黒くて、ぼんやりしたもやもや。初めて会った日から、ずっと気になってた」
あの日の「曇って見える」。あれは、気のせいなんかじゃなかったんだ。
「さっきの光は、その靄を一時的に押さえ込んだだけなんだ。……まだ君の中にいる」
彼の視線が、私の胸のあたりをそっとなぞる。
「だから、根本的には何も解決してない。ごめんね、期待させるようなことを」
「そんな! ありがとうございます、本当に……!」
「でもね、リリー」
ラウリ先輩は、私の手をぎゅっと握った。
「僕には、それが見える。だったら、一緒に探せるよね」
「探す……?」
「呪いの解き方。君ひとりで、図書館にこもらなくてもいいんだ。僕でよければ、一緒に探させてほしい」
どうして、と、声にならなかった。
「どうして、そこまで……」
「だって、君が困ってるから」
ラウリ先輩は、当たり前みたいに言った。
「それ以外に、理由、いる?」
まっすぐな笑顔が、まぶしくて。
私はまた泣いてしまった。
*
ラウリ先輩が所属しているのは、魔道具研究部。
旧校舎の三階、日当たりのいい部室には、大小さまざまな魔道具が所狭しと並んでいた。光る羅針盤、歌う砂時計、宙に浮かぶ小さな傘。
「ようこそ我が魔道具研究部へ」
顧問のオスカー先生は、眼鏡をかけた温和な中年の男性だった。紅茶と焼き菓子を出してくれる。
「話は聞いたよ。呪いの研究なら、この部が一番向いている。遠慮なく、好きなだけ使いなさい」
「ありがとうございます、先生」
私は、そのまま入部した。
それからの日々は、試行錯誤の連続だった。
光の護符。魔石に炎と光を封じた首飾り。床に描いた封印の陣。古い解呪の香。
「……だめだね」
ラウリ先輩が、私の周りの空気を見つめて首を振る。
「靄は、そこにいる。どれも、びくともしない」
「そう、ですか……」
肩を落とす私に、彼はからりと笑った。
「ダメなら次! 失敗はね、発見の数を増やすだけなんだ!」
ラウリ先輩はいつもと同じ笑顔で言ってくれる。けれど、時々見てしまう。
遅くまで実験を続けたあと、目の疲れをこらえるように目頭を押さえている彼の横顔。
いつも明るい人の、そういう顔を見るのは、なんだか胸が痛かった。
*
ある夕方のこと。
「リリー、ちょっといい?」
ラウリ先輩が、小さな箱を私の前に差し出した。
「これ、受け取ってほしいんだ」
蓋を開けると、中には小さなピアスがあった。
濃い青。夜の海みたいに深くて、覗き込むと、奥のほうで小さな光が瞬いている。
「……きれい、ラウリ先輩の瞳の色みたい」
「えっ、そうかな?」
彼は照れくさそうに頬をかいた。
「これ、魔石なんだ。僕の魔力をたっぷり込めてある。君がどこにいても、僕には場所がわかる。それから、何かあったときは……」
彼は私の目をまっすぐに見た。
「光が君を守る」
胸が、じんと熱くなった。
「カイゼルくんのバングルとは別に、もうひとつ保険。ね、いいでしょ?」
「……ありがとうございます。大切にします」
耳に穴を開けたことのない私は、ためらってしまう。
すると彼は、「痛くないおまじない」と言って光でそっと耳たぶを包んでくれた。
見た目は暖かい光なのに、不思議と冷たい。
耳の感覚が薄れたところで、ラウリ先輩は私の耳たぶに穴を開けた。痛みはなかった。
耳元で濃い青が揺れる。
「うん、似合ってる。僕とおそろい」
ラウリ先輩が、いつもの笑顔で頷いた。
彼の耳元には私とおそろいのピアス。
(ペアアクセサリーみたい……)
ラウリ先輩が開けてくれた耳たぶの穴から、なんだか熱くて。
顔のほてりがバレないように、私は彼から目を逸らした。
*
その夜、寮の自室で、カイゼルにすべてを話した。
ラウリ先輩が光で呪いを止められること。呪いの研究を一緒にしてくれること。
カイゼルは、黙って聞いていた。そして、私の耳に光る濃い青をしばらく見つめた。
「……あいつなら、俺のキスがなくても、お前を守れるんだな」
「カイゼル」
「そんな顔するな。悪い話じゃない」
彼は、ふっと少しだけ寂しそうに笑った。
「ただ、バングルは外すなよ。あの人の光が届かない場所もある。……そのときは、俺を呼べ」
「うん。ありがとう」
風が、窓辺のカーテンを揺らす。
守ってくれる人が、二人になった。
それなのに、胸の奥ではあたたかいのと、少しだけ切ないのとが混ざり合っていた。
*
―――カイゼル―――
窓の下の暗がりで、俺は二階の灯りを見上げていた。
光の魔法で、呪いを止められる男。
それを聞いた瞬間、ほんの一瞬だけ思ってしまった。――俺の役目が、なくなるのかと。
自分を、殴りたくなった。
役目なんて、大層なものじゃない。俺が、あいつの呪いのそばにいるのは、そんなきれいな理由じゃない。
だから、喜ぶべきなんだ。あいつが、呪いに怯える時間が減るなら。俺以外の誰かが、あいつを守れるなら。
……それなのに。
あの光は、呪いを止めるだけだ。解くわけじゃない。解けるのは、想い合う二人の口づけだけ。
あいつが、あの男を選ぶなら。それが、いちばんいい。
そう思って、目を閉じた。
胸の痛みには、もう慣れたはずだったのに。




