春の光は、笑顔から
ラウリ編、スタートです!
グローリア王国の春は、魔法の匂いがする。
石畳の坂を上りきった先で、白亜の尖塔が朝の光を弾いていた。王立グローリア魔法学園。私が、どうしても来なければならなかった場所。
「……本当に来ちゃったんだ」
「今さら何言ってんだ。首席で受かったやつが」
隣でカイゼルが、眠たげに息を吐く。故郷は、地図の端にある小さな町。この学園に、知り合いは彼しかいない。
正門をくぐると、新入生の胸元にリボンを留めて回っている水色の髪の先輩が目に入った。
「はーい、新入生さんいらっしゃい! あ、そこの君、リボン曲がってるよ!」
私の胸元に、ひょいと手が伸びる。濃いめの青の瞳が、太陽みたいに笑っていた。
「はい、直った。君、首席の子だよね? 顔が緊張でカチコチだ」
「わ、わかりますか」
「わかるわかる! 深呼吸、三回してごらん。ほら、いっち、にー、さん!」
言われるままに、息を吸って吐いて。不思議と、肩の力が抜けていく。
「僕はラウリ。生徒会の会計をやってるよ。困ったことがあったら、何でも聞いてね!」
「ありがとうございます、ラウリ先輩」
「うん、いい返事! あ、そっちは幼馴染くん? はじめまして! 好きな食べ物は?」
「……ケーキ」
「気が合う! あとで、いいお店教えてあげるね!」
「…………」
カイゼルが、口を半開きにして固まっている。
押しの強い人に慣れていないのだ。でも、ほんの少しだけ口の端が上がっていたのを、私は見逃さなかった。
*
入学式の講堂は、ステンドグラスの光で満ちていた。
新入生代表として壇上に上がった私は、膝が震えるのを笑顔で隠す。頭が真っ白になりかけた、そのとき。
私の肩に、蛍みたいな小さな光の粒がふわりと乗った。
あたたかい。
はっとして客席を見ると、最前列の脇で水色の髪の先輩がこっそりと手を振っていた。ぱくぱくと、口の動きだけで「だいじょうぶ」。
――ふ、と笑いが漏れた。
挨拶は、驚くほどすらすらと言えた。
続いて壇に立った生徒会長のユリオス・グローリアは、金髪碧眼の第三王子。穏やかな笑顔で、講堂中を包んでいく。
けれど、私の目はなぜか、あの光の粒をくれた人の方へ何度も引き寄せられていた。
*
その夜。寮の自室で、荷解きをしていた私の手を止めたのは、つま先の違和感だった。
(……あ)
感覚が、すうっと消えていく。冷たいのではなく、「何もない」。
覚悟はしていた。それでも、心臓は跳ね上がる。手首の銀のバングルの青い石を、指で強く押した。
つま先から足首へ、白い陶器のような色が這い上がってくる。曲げようとした膝が、こつんと硬い音を立てた。
私にかけられているのは、人形になる呪い。いつ発動するかはわからない。始まりは必ずつま先から。肌は磁器に、関節は硬く、体温は消えていく。それでも、意識だけは最後まで残る。
全身が人形になったらどうなるのか。それは知らない。ただ、二度と戻れない気がして、それが何より怖かった。
――ガタン!
風の魔法で二階の窓まで飛び上がってきたカイゼルが、息を切らして私の前に膝をつく。
「……ごめん、遅くなった」
「ううん、すごく早かったよ」
彼は、震える指で私の前髪をよけ、額に唇を落とした。
硬く冷えていた肌に、じわりと血が通う。人間に戻っていく感覚は、いつも泣きたくなるほど温かい。
「……戻ったか」
「うん。ありがとう、カイゼル」
彼は顔をそむけて「別に」とだけ言った。耳が赤いのは、見なかったことにする。
「私、頑張って呪いを解く方法を見つけるから。この学園の図書館の奥には古い記録があるって聞いたの」
「……そんなに思い詰めなくていい」
「え?」
「せっかくの学園だろ。どうせなら楽しみなよ。……恋でもしたら?」
冗談めかした声が、ほんの少し掠れていた。
「恋!? ふふっ、カイゼルがそんな冗談言うなんて珍しい」
思わず笑った私は、気づかなかった。目を伏せたカイゼルの横顔が、少しも笑っていなかったことに。
*
翌日。学年首席として、私は生徒会室に呼ばれた。
「わあ、来た来た! 待ってたよ、首席さん!」
扉を開けるなり、ラウリ先輩がぱあっと笑って手を振る。
「改めて、生徒会会計のラウリ・リンゼル! よろしくね、リリー!」
「……女かよ」
奥から、赤茶の髪の男子が不機嫌そうに睨んでくる。庶務の、ギャラント・セネガル。
「初対面で、なんですかその言い方は」
「事実だろ」
「はいはい、そこまで! ギャラント、新入りをいじめないの!」
ラウリ先輩が、二人の間にひょいと割って入る。それだけで、ぴりついた空気がふっと丸くなった。
「ようこそリリー・カラティアさん」
窓際の席から、ユリオス会長が穏やかに微笑む。
「生徒会は、君を歓迎するよ」
そこへ、扉がコンコンときっちり二回ノックされた。
「失礼します。議事録の清書が終わりました」
入ってきたのは、栗色の髪を結い上げた背筋の伸びた女生徒。その後ろから、銀縁眼鏡の男子が書類を抱えてついてくる。
「あら、あなたが首席の子ね。書記のセシリア・ローゼンバーグ、三年よ」
「リリー・カラティアです。よろしくお願いします」
「ええ。……ふうん」
彼女は、私を頭のてっぺんから爪先までじっくりと眺めた。
「制服のリボンが、少しほどけているわ。じっとして」
きゅっと、あっという間に結び直された。
「よろしい。ラウリの帳簿の落書きは、真に受けないこと。あの子、数字より絵が増えていくから。困ったら、私に言いなさい。……副会長は、頼りにならないから」
「聞き捨てなりませんね」
眼鏡の男子がため息をついた。
「副会長のエルンスト・ハイゼン、二年です。以後、お見知りおきを。……ローゼンバーグ書記、頼りにならない、とは」
「言葉どおりよ」
「……そうですか。では、次の議事録であなたの誤字の一覧をお渡しします」
「なっ……! あなたは、いつもそうやって!」
ぎゃあぎゃあ言い合う二人に、私は目を丸くした。
そのとき。
ラウリ先輩が、私の顔をじっと見つめていることに気づいた。首を傾げて、瞬きをして。
「……あれ」
「どうしました?」
「ううん。君の周りがちょっとだけ、曇って見えた気がして」
「えっ」
「あはは、気のせいだね! 僕、目がいいからさ、時々、変なものが見えちゃうんだ!」
からりと笑って、彼は話題を変えた。
けれど、私の胸には、小さな棘のような何かが刺さったままだった。
(曇って、見えた……?)
この人は、何を見ているのだろう。
そう思ったことを、私はまだ知らなかった。この棘が、やがて私を救う光になることを。




