大地の約束(ギャラント後日談①)
卒業して、最初の夏。
ギャラントは、私を山あいの小さな村へ連れていった。
崖沿いの道を、二人で歩く。緑の匂いのする風。遠くで、鳥が鳴いている。
彼は、いつもよりずっと口数が少なかった。
村の外れの、小さな丘の上に小さな石の墓があった。
名前は、ミナ。刻まれた文字が、ところどころ風雨に削れている。
ギャラントは、持ってきた花束をそっと供えた。それから、その前に立ち尽くした。
「……久しぶりだな、ミナ」
風が、彼の赤茶の髪を揺らす。
「お前に、言われたよな。泣かないでって。……俺、あれから何回も泣いた。ここには来られなかった。来たら、また泣いちまうから」
彼の背中が、少し震えていた。
私は、そっと隣に並んだ。
「今日は、紹介したいやつがいて来た」
彼が私の手を握る。
「リリーだ。俺の、大事なやつ」
その言葉に、胸が熱くなる。
「口が達者で、生意気で、火の魔法が滅法強い。俺なんかより、よっぽど強え。……でも、笑うと、すげえいい顔をするんだ。お前に似てるとこもある」
彼は、深く息を吸った。
「俺、あれから、土の魔法をずっと磨いてきた。今度、山あいの村の崖の補強工事の仕事を任されることになった。もう、誰もあんな目に遭わせねえ。……お前みたいな子を、出さねえ」
墓石に、朝の光がゆっくりと降りてくる。
「だから、見ててくれ。俺、ちゃんと、生きてるからさ」
ぽたりと。
涙が一粒、彼の頬を伝った。
でも、彼は笑っていた。
「……今日、初めて泣かずに来れたと思ったんだけどな。だめだな、俺」
「泣いていいよ」
「うるせえ」
「ギャラント」
私は、彼の手を両手で包んだ。
「ありがとう、ミナさん。ギャラントを、優しい人にしてくれて」
風が、ふわりと私たちを撫でた。
あの子が、笑ってくれたような気がした。
*
その帰り道。
街に戻った私たちは、あのカフェ『月のしずく』に入った。
「特大フルーツパフェ、ひとつ」
ギャラントはもう、恥ずかしがらなかった。
運ばれてきた、器からはみ出しそうな巨大なパフェ。彼は、幸せそうにぱくぱくと食べ始める。
その姿を眺めながら、私は、頬杖をついて微笑んだ。
「……何笑ってんだ」
「ううん。かわいいなって」
「かわ……っ、男に、かわいいって言うな」
「事実だもん」
「お前なあ!」
真っ赤になった彼が、いつものようにさくらんぼを私の皿にのせた。
「……ほら」
「ありがとう」
甘酸っぱい味が、口の中に広がる。あの日と、同じ味。
「なあ、リリー」
「なに?」
「今日は、その記念日だからな」
「え? なんの?」
「俺が、お前の頬に初めてキスした日から、ちょうど一年だ」
「数えてたの!?」
「あ、当たり前だろ!」
私は吹き出した。笑って、笑って、涙が出た。
お店を出て、夕暮れの石畳を、二人で歩く。
人通りの少ない、細い路地の途中で、ギャラントが足を止めた。
「……リリー」
「うん?」
「その、な」
彼の耳が、夕日よりも赤い。
「頬は、もう慣れた。だから、その……今日は、唇を」
心臓が、どくんと鳴った。
「……宣言するんだ」
「う、うるせえ! 心の準備が、いるんだよ!」
「はいはい」
「……いくぞ」
「だから、宣言しないで」
「いくぞ、いくからな!?」
「ふふっ、うん」
私は目を閉じた。
ぎこちなく震える手が、私の頬を包む。
息が、近づいて。
一瞬。
やわらかくて、あたたかくて、少しだけ、いちごと生クリームの甘い香りのする唇が。
そっと触れた。
世界が、金色に染まった気がした。
「……ど、どうだ」
目を開けると、彼は顔を真っ赤にして恐る恐るこちらを覗き込んでいた。
「……甘かった」
「……パフェのせいだ」
「うん。パフェの味の、キス」
「もう、忘れろ!」
「忘れないよ。一生」
笑いながら、私は、彼の胸に頭をこてんと預けた。
*
その冬。
王立学園の、あの中庭に私たちは戻ってきた。
二百個のランタンが、なくなった木の下。あの日、彼が一人でランタンを外していた場所。
「リリー」
ギャラントが、緊張した顔で私を呼ぶ。
「なに?」
「これ」
差し出された手のひらに、小さな石があった。
赤茶色の、透き通った石。土の魔法で何日もかけて、少しずつ結晶させたのだろう。まるで、夕焼けを閉じ込めたみたいに温かく光っている。
銀の指輪に、その石が嵌め込まれていた。
「俺は、口が悪くて、不器用で、気が利かねえ」
彼の声は震えていた。
「お前に、なんて言えばいいか、ずっと考えた。でも、いい言葉が、思いつかなかった」
彼は、私の手を取ってその指輪を見せる。
「背中を預ける、って言ったろ。あれ、間違ってた」
「え?」
「背中じゃ、足りねえ。隣を、歩いてくれ。これから先、ずっと」
赤茶の瞳が、まっすぐに私を見つめる。
初めて会った日、私を睨んでいた、あの瞳が。
今は、世界でいちばん優しかった。
「俺と結婚してくれ、リリー」
涙があふれた。
「はい」
声が震える。
「はい。喜んで」
指輪が、私の指にそっと通される。ぴたりと、収まった。
彼は、ほっと息を吐いてそれから思い切り私を抱きしめた。
「……よかった……断られたら、どうしようかと」
「断るわけないでしょ」
「わかんねえだろ、 お前、生意気だから」
「生意気なのは、ギャラントでしょ」
二人で笑い合う。
ふと、足元で、小さな鳴き声がした。
「……パフェ?」
灰色の毛玉が、とてとてと歩いてきて、ギャラントの足に、すり寄った。庭師のおじいさんのところから、いつの間にか抜け出してきたらしい。
「お前、こんな時間に、何してんだ」
ぶっきらぼうに言いながらも、彼は、しゃがんで猫を抱き上げた。
「見てろ、パフェ。俺たち、結婚するんだと」
猫は、にゃあ、と気の抜けた声で鳴いて、ギャラントの腕の中で丸くなった。
「わかってるのかな、パフェ」
「わかってねえだろ、絶対」
二人で、声を立てて笑った。
星空の下、私たちは、しばらくその場に座り込んで、猫を間に挟んで、たわいもない話を続けた。今日の出来事、これからのこと、何でもないこと。
笑い声が、ランタンのない木の下に、あたたかく満ちる。
遠くで、学園の鐘がゆっくりと鳴った。
あの日、震えながら門をくぐった新入生は、もういない。
呪いは、解けた。孤独も、消えた。
私の隣には、赤茶色の髪の、不器用で優しい人がいる。
大地のように、ずっと。




