炎の少女と、大地の少年
翌朝。空が白み始めた頃、私は中庭に走っていた。
けれど、二百個のランタンの残る木の下に、赤茶色の背中はなかった。
――避けられていた。
その日から、ずっと。
*
文化祭の後片付けが始まって、生徒会室は、人の出入りでごった返していた。
なのに、ギャラントだけがいない。
私が生徒会室に入ると、彼は「見回りに行く」と言って入れ違いに出ていった。
廊下で会えば、「用事がある」と目も合わせずに通り過ぎた。
昼休みは、いつもの席にいない。
放課後は、資材置き場で一人で作業をしている。
寮の部屋の扉を叩いたら、中で、ぎしっとベッドの軋む音がした。それきり、返事はなかった。
(……寝たふり、してる)
「あー……あのね、リリー」
ラウリ先輩が、見かねてそっと声をかけてくれた。
「ギャラントね、『あいつには、近づかねえ』って言ってたんだ。それが、彼なりの優しさだと思うんだけど……」
「優しさ?」
「守れないなら、離れる。それが、あいつのいつものやり方だから」
「……そう」
私は、拳を握りしめた。
守れないなら離れる。
そんなの、ぜんぜん優しさじゃない。ただの、逃げだ。
二日。三日。四日。
その間にも、彼は私を避け続けた。
「セネガル庶務。その態度は、失礼です」
エルンスト先輩が眼鏡を押し上げて、ぴしゃりと言った。
「女性を避けるあまり、業務連絡までラウリを通すのは、副会長として看過できません」
「そうよ。あなた、リリーさんがどんな思いで待っているか、考えたことがあるの?」
セシリア先輩まで、腕を組んで睨んでいる。
「……うるせえ。俺の勝手だろ」
ギャラントはそれだけ言って、また出ていった。
ユリオス会長は、遠くからにこにこと眺めているだけだった。あの人は、何もかもわかっている顔で、けれど口を挟まない。
――待つのは、もうやめよう。
五日目の夜、私は決めた。
*
文化祭の片づけの、最後の作業。中庭の木に吊るした二百個のランタンを外す。
これだけは、ギャラントが自分で引き受けている。誰も来ない時間を、選んで。
私は、木の陰で待っていた。
やがて、赤茶色の髪が月明かりの下に現れた。脚立を、抱えて。
その背中に、私は静かに声をかけた。
「ギャラント」
びくっと、彼の肩が跳ねた。
「……なんで、いる」
「待ってたから」
「今日は、もう遅え。お前は寮に――」
言い終わる前に、私は指を鳴らした。
『灯れ』
ぼっ。
ぼぼぼぼぼっ。
二百個のランタンが、いっせいに金色の光を灯した。そして、私と彼の周りをぐるりと低い炎の輪が取り囲む。
「なっ……!?」
「大丈夫、熱くないよ。私が調整してるから」
「そういう問題じゃねえ! 何してんだ、お前!」
「逃げられないようにしたの」
私は、脚立を取り落としたギャラントの胸倉をぐいっと掴んだ。
「もう、五日も避けられてる。私、本気で腹が立ってるの」
「お、おい……」
「守れないから、離れる? 冗談じゃない」
背伸びをして、彼の顔を引き寄せる。近い。鼻先が、触れそうなくらい。
そのまま、彼を木の幹にぐいっと押しつけた。
ごつん、と背中が幹に当たる。
「リ、リリー!?」
ギャラントの声が裏返った。
「い、痛ぇ……ってか、近ぇ! 離れろ!」
「離れない」
私は、彼の顔を両手で挟んだ。
「目を見て答えて。私のこと、どう思ってるの」
「……っ」
「文化祭の日、好きって、言ったよね」
「あ、あれは、その、忘れてくれって」
「忘れない。一生、忘れない」
ギャラントの顔が、真っ赤に染まっていく。逃げようと顔をそむけるけれど、私の手が、それを許さない。
「あの日の告白は、私の宝物なの。勝手に、取り消さないで」
「…………」
「守れないって、言ったよね。でもね、私が今、一番怖いのは、ギャラントに逃げられることなんだよ」
「……」
「呪いなんかより、ずっと、ずっと、怖い」
声が、震えた。目の縁が、熱くなる。それでも、私は彼の目をまっすぐに見つめた。
「教えてもらったの。私の呪いは、思い合っていれば解けるんだって」
「……あの風のやつが、言ったのか」
「うん。嘘をついたことのない人が教えてくれた」
「…………あいつが言うなら、信じてやる。いけ好かねえ野郎だが、嘘はつかねえ。それは、わかる」
「じゃあ、答えてよ。あなたは私のこと、思ってくれてないの? 私に、何もないの?」
沈黙。
二百個のランタンが、ちりちりと優しく揺れる。炎の輪が、風もないのにそっと揺らめいている。
*
―――ギャラント―――
何が起きてるんだ、これは。
目の前に、リリーの顔がある。銀の髪が、月の光を吸ってきらきらと揺れている。青い瞳が、涙を溜めて俺を睨みつけている。
胸倉を、掴まれた。木に、押しつけられた。周りは、炎の輪。
……こいつ、本当に俺より強えな。
思わず笑いが込み上げそうになって、必死にこらえる。
俺は、ずっと逃げていた。
あの日、人形になった彼女を見て怖くなった。守れない。また、目の前で失うかもしれない。
だから、離れた。近づかなければ、傷つかない。失わない。そう、思っていた。
でも、この五日間、俺は、何を守っていたんだ?
こいつの笑顔か。……違う。
こいつを避けるたびに、こいつの顔から笑顔が消えていった。俺が、消していた。
守るどころか、傷つけていた。
『私が今、一番怖いのは、ギャラントに、逃げられること』
その言葉が、胸に深く刺さった。
ミナは、笑って落ちていった。『泣かないで』って、言い残して。
でも、リリーは今、泣きながら俺に『逃げないで』と言っている。
……全然、違うじゃねえか。
こいつは、俺に守られるためじゃなく隣に立つために、ここにいる。
喉が、からからに乾いていた。
俺は、大きく息を吐いた。
「……降参だ」
*
―――リリー―――
「え?」
「降参だ、リリー」
ギャラントの肩から、力が抜けた。
私の手の中で、彼の熱い頬がふっと緩んだ。
「お前には、敵わねえ。……本当に、敵わねえよ」
苦笑い。それから、彼はゆっくりと私の手首を掴んだ。
「思ってねえわけ、ねえだろ」
絞り出すような声だった。
「好きだ。ずっと、好きだった。……初めて、一緒に買い出しに行った日から」
「……っ」
「怖かったんだ。お前を、失うのが。あの日のミナみたいに、手からすり抜けていくのが。……でも、逃げてお前を泣かせるほうが、もっと怖えって今わかった」
赤茶の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「悪かった。避けてて、悪かった。……勝手に決めつけて、悪かった」
「ギャラント……」
「お前は、守られるだけの女じゃねえ。俺が、一番わかってたはずなのに」
彼の手が、私の背中に回された。
ぎゅう、と強く。骨が軋むほど強く、抱きしめられた。
「……もう逃げねえ」
耳元で震える声が響く。
「守れるかどうかは、わからねえ。でも、隣にはいる。お前が動けなくなっても、ずっと手を握ってる。離さねえ」
涙が止まらなかった。
私も、彼の背中に腕を回した。大きくて、あたたかい土の魔法使いの背中。
「うん……うん……!」
「泣くなよ」
「ギャラントだって、泣いてる」
「うるせえ」
二人で泣いて、笑って。
炎の輪が、そっとほどけるように消えていった。
やがて、彼は少し体を離して真っ赤な顔で私を覗き込んだ。
「あー……その、だな」
「うん?」
「本当は、その口にするもんなんだろうが」
「うん」
「……無理だ」
「無理?」
「心臓が、もたねえ」
ぷっと、吹き出しそうになる。
「今、笑ったな!」
「笑ってない」
「笑っただろ!」
「笑ってな――」
ちゅ。
頬に、やわらかくてあたたかいものが触れた。
一瞬で離れる。
目の前で、ギャラントが首まで真っ赤になってそっぽを向いていた。
「……こ、これで、今は勘弁しろ」
頬が、ふわりと熱を持つ。
じん、と。
その熱は、頬から首筋へ、胸へ、そしてつま先まで。体の隅々に、あたたかく染み渡っていく。
ずっと、体の奥にあった氷のようなものが。
音もなく、溶けていく感覚。
「……リリー?」
「うん。……大丈夫」
私は笑った。涙を流しながら、心の底から。
「ありがとう、ギャラント」
その日を境に、私の呪いが発動することは二度となかった。
ギャラントルート、本編完結です!
お読み頂きありがとうございます!
この後後日談2話+BADEND1話ののち、ラウリルートを更新いたします。




