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人形姫と四つの口付け  作者: かん
人形姫の呪いと、大地の約束(ギャラント ルート)

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23/54

温室の薬と、焦がれる心

 文化祭の朝は、憎らしいほどの快晴だった。


 中庭には屋台が並び、あちこちで音楽が鳴っている。焼き菓子の甘い匂い、子どもたちの笑い声、色とりどりの旗。二百個のランタンは、昼でもほのかに光っていた。


 警備隊員が、要所要所に立っている。土の見張り台が、あちこちにそびえている。


 これだけ厳重なら、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせて、私は、午後の巡回の時間を迎えた。


「行くぞ」


 ギャラントが私の前を歩き出す。


 私たちの間には、一メートルの見えない壁があった。


 言葉のない道を、二人で歩く。楽しそうな人ごみの中で、私たちだけが別の世界にいるみたいだった。


「……あの通路、詰まってる」

「うん。人が多いね」


 それだけ。


 それだけの会話が、こんなにも胸に重い。


 そのときだった。


「あははははは!」


 甲高い笑い声が、通路の奥から響いた。


 振り向くと、一年生の女の子が噴水の縁でげらげら笑っていた。目が、据わっている。瞳孔が、不自然に大きく開いている。


 彼女の指先から、ばちばちと水しぶきが弾けた。勝手に。


「え……?」

「おい、あっちも」


 ギャラントが顎で示す。別の男子生徒が、ふらふらと歩きながら指先から火花を散らしている。自分の魔法を、まるで制御できていない。


 一人二人三人。


 いつの間にか、様子のおかしい生徒が、あちこちに増えていた。


 どぉん、と音を立てて噴水が爆ぜた。水柱が、空に跳ねる。


「危ない!」


 ギャラントが、瞬時に地面に手をついた。


『大地よ、盾となれ』


 土の壁が、せり上がって降り注ぐ水を受け止める。その陰で、女の子がへなへなと座り込んだ。


 彼は、迷いなく駆け寄ってその子の肩を支えた。


「おい、しっかりしろ。何を飲んだ」

「……あ、あっちの……ふるい、おんしつ……フードのひと……」

「……ドラッグか」


 ギャラントの声が、低く沈んだ。


「噂は、本当だった。しかも、この人数……もう、ばらまかれてる」


 私は、拳を握りしめた。


「会長に報告を。それから、元を止めなきゃ」

「ああ。……リリー」


 ギャラントが私を見た。


 この数日で、初めて、まっすぐに。


「お前は、部屋に戻れ」

「嫌」

「頼む。これは、警備と俺たちでやる。お前を、危ない目には――」

「嫌」


 私は、はっきりと首を横に振った。


「意地でも、帰らない。私は、私のできることをやる」

「お前、まだ怒って――」

「怒ってるよ、すごく」


 胸を張って、言い返す。


「でも、それとこれは別。目の前で、みんなが苦しんでるのに隠れてなんかいられない」


 ギャラントの赤茶の瞳が、揺れた。


「背中は預けるって言ったのは、あなたでしょ」

「……覚えてんのかよ」

「忘れるわけないでしょう」


 彼は天を仰いだ。長い息を、ひとつ吐く。


「……勝手にしろ。ただし、俺の視界から出るな」

「うん」


 私たちは並んで走り出した。


 一メートルの壁は、いつの間にか消えていた。


     *


 旧温室は、訓練場の裏手にあった。


 ひび割れたガラスの壁。絡まる蔦。今は使われていない、その建物の入口に、生徒たちがふらふらと吸い込まれていく。


「ここだ」

「うん」


 目配せして、そっと扉を押す。


 薄暗い温室の奥。木箱の前に、黒いフードの男が立っていた。手には、小さな包み。周りには、目を輝かせた生徒たちが列を作っている。


「さあさあ、無料だよ。文化祭の特別な贈り物だ」


「そこまでだ!」


 ギャラントが叫ぶ。


 男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。フードの奥で、細い目が細められる。


「おや。生徒会の、お嬢さんと坊やか」

「その薬を置け」

「それはできない相談だなあ」


 男は、にやりと笑った。


 次の瞬間。


 視界の端で、何かが動いた。


 ――しまった。


 背後にもう一人。


 太い腕が、私の首にぐいっと回された。


「リリー!!」


 喉元に、冷たいひんやりとしたものが押し当てられる。割れたガラスの破片だった。


「動くな、土の坊主!」


 耳元で、荒い息と酒の匂い。


「詠唱したら、この娘の喉を掻き切る。わかったか」

「く……!」


 ギャラントが動きを止めた。


 その顔から、みるみる血の気が引いていくのが、見えた。


 目を、見開いて。唇が、わなないて。


 あの顔だ。書棚の日と、同じ。いいえ、それ以上に真っ白な。


「リリー……」


 掠れた声が、こぼれる。


 彼には見えているのだろう。崖の縁と、すり抜けていく細い指が。


 土の魔法は、詠唱が長い。今から唱えても、間に合わない。


(このままじゃ、ギャラントが)


 私の心臓が、どくんと大きく鳴った。


 ――違う。


 私は、もう守られるだけのあの子じゃない。


「ギャラント」


 喉に刃を突きつけられたまま、私は、声を出した。


「目を離さないで」


 ギャラントの瞳が、こちらを捉えた。


 次の瞬間、私は息を吸った。


『灯れ』


 たった一言。私の最速の詠唱。


 男の腕に、小さな炎がぱっと灯った。


「ぎゃあああっ!?」


 悲鳴。腕の力が、緩む。ガラスの破片が地面に落ちて、澄んだ音を立てた。


 その隙を、逃さない。


 私は、踵で男の脛を思い切り蹴りつけた。肘を、鳩尾に叩き込む。体を捻って、腕の中から、するりと抜け出す。


 距離が開いた。


 振り向きざまに、私は両手を突き出した。


『火よ、爆ぜよ!』


 どんっ!


 炎の塊が、男の胸元で炸裂した。熱風が、温室のガラスをびりびりと震わせる。男の体が宙を飛んで、蔦の絡まる壁に叩きつけられた。


 ガラスが、砕ける。破片が、きらきらと舞い散る。


 男は、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


「な……この、アマ……ッ!」


 もう一人の、フードの男が逆上して飛びかかってくる。


 その前に、ギャラントが動いた。


 手を、地面に叩きつける。


『大地よ、縛れ!』


 床石が、蛇のようにうねって男の足首に絡みついた。ぐんと、引きずり倒す。続けて、土が男の両腕をがっちりと固めた。


 一瞬の静寂。


 舞い上がったガラスの粉が、光の中でゆっくりと降ってくる。


 息を切らして、私は、ギャラントを見た。


 彼は、自分の手を見つめていた。


 ――間に合った。


 声にならない声が、その唇の形から聞こえた気がした。


     *


 駆けつけたユリオス会長と警備隊に、二人の男が引き渡された。会長は、砕けたガラスと焦げた壁を眺めて目を細める。


「見事だ、二人とも。警備を強化した甲斐があったよ」


 それから、私にだけ聞こえる声でこっそり付け加えた。


「特に、君のおかげで。ありがとう、リリー」


 そのざわめきの向こう。割れた温室のガラスの外にひとりの男の人が立っていた。


 眼鏡をかけた、穏やかそうな横顔。着古した外套。手には文化祭の焼き菓子の小さな紙袋。


 目が合った気がした。


 男の人はほんの少しだけ口の端を上げて――そのまま、人ごみに紛れて、見えなくなった。


(……あの人、どこかで)


 見覚えがある。でも、どこで? 廊下ですれ違った、先生の誰かだろうか。


「リリー?」


 ギャラントの声で、我に返った。


「どうした」

「ううん。……なんでもない」


 胸の奥に、小さな棘のようなものが引っかかったまま。


 夕暮れが、学園を赤く染めていた。


 騒ぎが収まった中庭の隅で、私とギャラントは二人きりで並んでいた。


 彼は、しばらく黙っていた。


 それから突然、ぷっと吹き出した。


「……ははっ」

「え?」

「はははは! すげえなお前!」


 腹を抱えて、彼は笑う。あの、初めて見る屈託のない笑顔。


「人質になったと思ったら、自分で炎で燃やして、蹴って、殴って、吹っ飛ばしやがった! 俺の出る幕、ねえじゃねえか!」

「そ、そんなことない。最後にあの人を縛ってくれたのは――」

「あんなの、おまけだ」


 彼は、笑いすぎて滲んだ涙を指で拭った。


 そして、ふっと笑いを収めて。


「すげえな、お前。やっぱ俺、お前のこと好きだな」


 ――え?


 時が止まった。


 風の音も、遠くの音楽も、全部、消えた。


 今、なんて言った?


 好き、って。


 顔が、一気に熱くなる。心臓が、胸を破りそうなくらい暴れ出す。


 嬉しい。どうしようもなく、嬉しい。


 私も、と言おうとした、その口を――


「でも」


 ギャラントの声が、遮った。


 笑顔が、消えていた。


「でも、俺じゃお前は守れない」


 凍りついた。


「あの日、お前が人形になるのを見た。俺は、何もできなかった。あいつが来なきゃ、お前を戻せなかった」


 赤茶の瞳が、私から目を逸らす。


「守られなくていいって、お前は言ったけどな。あんな目に遭うお前を、俺は助けられねえ。……だから、さっきのは忘れてくれ」

「ギャラント、待っ――」

「悪い」


 彼は背を向けた。


 夕焼けの中に、小さくなっていく赤茶色の背中。


 私は、追いかけられなかった。


 足が、動かなかった。


 ――呪いで固まったときと、同じように。


     *


 どうやって、部屋に戻ったのか、覚えていない。


 気がつくと、私はベッドの上で膝を抱えていた。


 窓の外はもう暗い。


 こんこんと窓ガラスが叩かれた。


「……リリー」


 風と共にカイゼルがそこにいた。


「文化祭で騒ぎがあったって聞いて、様子を見に来た。……お前、大丈夫か」


 顔を見た瞬間、こらえていたものが、あふれた。


「カイゼル……っ」


 涙が、ぼろぼろとこぼれる。


「私、ね。ギャラントのことが好きなの」

「……ああ」

「今日、ギャラントに、好きだって言われたの。嬉しかった。すごく、すごく嬉しかったのに」


 しゃくり上げながら、言葉を吐き出す。


「俺じゃ、お前は守れないって言われて。……そうだよね。私、呪いがあるもの。いつ人形になるか、わからない。こんな私が、誰かと一緒にいられるわけない」

「リリー」

「この呪いがある限り、ギャラントとは、一緒にいられないんだ……!」


 カイゼルは、何も言わずに私の隣に座った。


 それから、そっと私の頭に手を置いた。


 大きくて、あたたかい手。幼い頃から変わらない。


「大丈夫」


 優しい声だった。


 顔を上げると、黒い瞳が悲しそうに笑っていた。


「二人が思い合っていれば、呪いは解ける」

「……え?」


「そういう呪いなんだ」


 私は目を見開いた。


「どうして、そんなこと……」

「お前のことなら、たいていわかるんだよ。幼馴染だからな」


 はぐらかすように言って、彼は、ゆっくりと私の頭を撫でた。


 その手つきが、いつもよりずっと優しくて。


 ずっと、切なかった。


     *


 ―――カイゼル―――


 窓の外の夜風に、俺はひとりで当たっていた。


 知っていた。あいつの呪いが、どうすれば解けるのかを。


 『想い合う二人の、口づけ』。……あいつが誰かを想う日を、俺は誰よりも待ちながら、誰よりも怖がっていた。


 言えなかった。言えば、あいつはその日へ向かって歩き出してしまうから。


 あいつのそばにいる理由を、俺はほかに持っていなかったから。


 最低だ。自分でも、わかってる。


 でも、今日。


 あいつは泣いた。あの日、「恋でもしたら」と言った俺を笑ったあいつが、涙を流しながら別の男が好きだと言った。


 胸が、裂けそうだった。……それなのに思った。


 ああ、あいつは、誰かを心から好きになれたんだと。


 俺が欲しかったのは、あいつの隣の席じゃない。あいつの笑顔だ。あいつが、あいつ自身の足で幸せに向かって歩いていく姿だ。


「……行けよ、バカ」


 ひとり、呟く。


「泣かせたら、ただじゃおかねえ」


 そして、俺は少しだけ笑った。


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