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人形姫と四つの口付け  作者: かん
人形姫の呪いと、大地の約束(ギャラント ルート)

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雨の日の子猫

 魔法祭から、二か月。


 その日は、朝からしとしとと冷たい雨が降っていた。


「にゃあ」


 放課後、生徒会室へ向かう渡り廊下で、私はかすかな鳴き声を聞いた。


「……にゃあ」


 雨樋の下。排水溝の鉄格子の隙間に、灰色の毛玉が挟まっていた。


「わ、子猫!」


 ずぶ濡れで、ぶるぶる震えている。小さな足が格子に引っかかって、抜け出せないらしい。


「ちょっと待って、今、助けるから……!」


 手を伸ばしたけれど、隙間が細くて私の指では届かない。


 そのとき、後ろから、大きな影が差した。


「どけ」

「ギャラント」

「見せろ」


 ギャラントが、雨に濡れるのも構わずしゃがみ込んだ。格子の前の地面に、手をつく。


『大地よ、少し、退け』


 格子の周りの土と石が、ずずっと静かに動いた。鉄格子が、緩む。


 彼は、そっと両手を差し入れて濡れた子猫を掬い上げた。


「にゃあ……」


「……小せえな」


 大きな手のひらの中で、子猫はすっぽりと収まってしまった。


 ギャラントはそのまま、固まっていた。


「ギャラント?」

「…………軽い」


 小さな声だった。


「こんなに軽いのか。……落としそうだ」


 彼の指が、ほんの少し震えている。

 あの日、書棚の下で青ざめていた顔が、頭をよぎった。


「大丈夫だよ」


 私は、彼の手の上からそっと自分の手を添えた。


「落とさないよ。ギャラントは、ちゃんと掴めてる」


「…………」


 赤茶の瞳が、私を見た。


 それから、ぎゅっと子猫を胸に引き寄せた。


「……ああ」


     *


 生徒会室に連れて行くと、大騒ぎになった。


「わあ、猫だ! かわいい!」

「かわいいけど……校則では、学園内への動物の持ち込みは禁止されているね」


 ユリオス会長が顎に指を当てて言った。


「会長。持ち込み禁止は、校則第十二条です」


 書類の山の向こうから、副会長のエルンスト先輩が、眼鏡を押し上げて言った。


「例外規定は、存在しません。即刻、元の場所に戻すべきです」

「ええっ、この雨の中に?」

「……規則です」


 そう言いながら、彼の視線は、ギャラントの手の中の毛玉にちらちらと吸い寄せられている。


「規則はね、エルンスト」


 ユリオス会長がにっこりと笑った。


「守るためにあるけれど、必要なときは作るためにもあるんだ。『学習用魔獣の一時保護は、生徒会の承認により、これを認める』。今、追加しよう」

「……会長、職権乱用では?」

「いい規則だと思わない?」

「……手続き上、生徒会の議決が必要です」

「では、議決しよう。賛成の人?」


 全員の手が、ぱっと上がった。


 最後に、エルンスト先輩が深いため息をついておずおずと手を挙げた。


「……賛成多数です。書記、議事録を」

「ええ。『可愛かったので、可決』と」

「それは書かないでください!」


 書記のセシリア先輩が羽ペンを走らせながら、澄ました顔で答える。


「事実でしょう? ……ああ、それと」


 彼女は、こほんと咳払いをした。


「動物は、不衛生だから私は近寄らないわ。ええ、絶対に」


 そう言いながら、彼女がギャラントの手の中の子猫を、こっそり指でつつこうとしているのを、私は見逃さなかった。


「この子は、今日から『学習用魔獣(仮)』だ」


 ラウリ先輩がぱちぱちと拍手した。


「さすが会長、抜け道が黒いっ!」

「褒め言葉として、受け取っておくよ」


 私は、タオルで子猫を拭いた。ラウリ先輩が、光の魔法でぽかぽかと体を温めてくれる。


「にゃあ」


 子猫がちいさく鳴いた。


「ミルク、ミルク! 買ってきた方がいいよね?」


「僕が行こう。ちょうど、購買が開いている時間だ」


 会長が外套を羽織って出ていく。


 会長が戻ってきた後。ギャラントは、ミルクを含ませた布を子猫の口元に、そっと当てていた。


 ちゅっ、ちゅっ、と、必死に吸いつく子猫。


 その様子を、後ろから覗き込んでいたセシリア先輩がぽつりと言った。


「……冷めているわ。ミルクは、人肌の温度でなければ」

「三十八度です。先ほど、計りました」


 エルンスト先輩がすかさず、小さな温度計を差し出す。


「……あなた、なぜそんなものを持ち歩いているの」

「……備えあれば憂いなし、です」


 二人は、ぎこちなく顔を見合わせて同時にそっぽを向いた。


「……ふ」


 思わずといった風に、ギャラントが笑みをこぼした。


「名前、つけないの?」


 私が聞くと、彼はぴくりと肩を揺らした。


「……名前なんかつけたら、情が移るだろうが」

「もう、十分移ってる気がするけど」

「うるせえ」


「じゃあ、僕たちがつけちゃおうか! ふわふわだから、『ポポ』とかどうだろ」

「いや、灰色だから『ハイ』」

「安直! 私は、『ルナ』とか」

「……ミルフィーユ、は、どうかしら」


 ぼそりと、セシリア先輩。


「長い」

「呼びにくいだろ」

「な、なによ、二人とも!」

「……私は悪くないと思いますが。ミルフィーユ」


 エルンスト先輩が眼鏡を押し上げて、真面目な顔で言った。


 セシリア先輩はぴたりと固まって、みるみる耳まで赤くなった。



「……パフェ」


 ぽそっと、誰かが呟いた。


 みんなが、一斉に声の主を見る。


「…………」


 ギャラントが真っ赤な顔で固まっていた。


「ぱ、パフェ……?」


「ぷっ、あははははは!!」


 ラウリ先輩がお腹を抱えて、笑い転げた。


「パフェって! ギャラント、この子、灰色だよ!? 白いクリームの要素、どこにもないよ!?」

「うるせえ! その、小さくて、あったかくて、ふわふわして、なんか、そういう感じだ!」

「なにそれ、理由になってない!」


 私も笑いが止まらなかった。


 パフェ。この、ぶっきらぼうな人の精一杯の優しさの名前。


「……わかった。パフェで、決定ね」


「はあ!? 勝手に決めんな!」

「だって、ギャラントが名付け親でしょう?」

「…………ちっ」


 ギャラントは、舌打ちしつつ指の腹で子猫の頭をそっと撫でた。


 その手つきは、この学園の誰よりも慎重で優しかった。


     *


 子猫の引き取り手は、意外なほどあっさり決まった。


 中庭の庭師のおじいさんが「ちょうどネズミ対策に猫が欲しかったんだ」と、喜んで連れて帰ってくれた。

 庭師小屋の窓辺で、灰色の毛玉が日向ぼっこをしている。


「毎日、様子を見に行ってるんだって」


 ラウリ先輩が、こっそり私に耳打ちした。


「ギャラント。昼休みに、こっそり」

「へえ」


「僕、この前見ちゃった。パフェを膝に乗せて、ものすごく真剣な顔で『落とさねえぞ』って話しかけてた」

「ふふ」


 思い出して、私は笑った。


 でも、同時に、胸の奥が少しだけきゅっとなった。


 この人は、小さなものをものすごく怖がりながら、それでも絶対に手放さない人だ。


 いつか、その理由を聞かせてもらえる日が来るだろうか。


 窓の外の雨は、いつの間にかあがっていた。

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