迷子と、赤茶の瞳
ギャラントルート スタートです!
入学式の朝。私は早くも迷子になっていた。
「うそでしょ、講堂ってどっち……!」
カイゼルとは男子寮の手前で別れてしまった。
石造りの廊下はどこも同じ顔をしていて、時計の針だけが容赦なく進んでいく。
角を曲がった瞬間、私は何か大きなものにぶつかった。
「――っ、おい!」
ばさばさっ、と派手な音。積み上げられた椅子の山が危ういバランスで揺れる。
その向こうから、赤茶色の髪の男子がぎろりと私を睨んだ。
「どこ見て歩いてんだ、新入生」
「あなたこそ、そんなに荷物持って前が見えてないでしょう!」
「あぁ?」
「あ、あの、講堂は……」
「……あっちだ、バカ」
顎で示された方向を見て、私は目を丸くした。
「バカって言った!? 案内してくれたのはありがたいけど、初対面の人にバカって!」
「うるせえ、遅刻したくなきゃ走れ」
背を向けた彼の、椅子を抱える腕は、ちゃんと私の通り道を空けていた。
――なんなのあの人。
*
壇上で新入生代表の挨拶をしているとき、講堂の一番後ろの壁に腕を組んで立つ赤茶色の頭が見えた。
(あの人、さっきの……上級生だったんだ)
不機嫌そうな顔でじっとこっちを見ている。目が合うとふん、と鼻を鳴らして顔をそむけた。
次の壇上に上がったのは生徒会長のユリオス・グローリア。金髪碧眼の第三王子は柔らかな笑顔で講堂中をあたたかい空気に包んでいく。
けれど私の意識はなぜか、あの不機嫌な赤茶の瞳の方に引っ張られていた。
*
その夜、寮の自室。
荷解きをしていた私の手を止めたのはつま先の違和感だった。
(……あ)
感覚がすうっと消えていく。冷たいのではなく、「何もない」。
覚悟はしていた。それでも、心臓は跳ねる。手首の銀のバングルの青い石を指で強く押した。
(お願い、早く)
つま先から足首へ白い陶器のような色が這い上がってくる。曲げようとした膝がこつん、と硬い音を立てた。
私にかけられたのは、人形になる呪い。いつ発動するかはわからない。始まりは必ずつま先から。肌は磁器に、関節は硬く、体温は消えていく。それでも、意識だけは最後まで残る。
全身が人形になったらどうなるのか。それは知らない。ただ、二度と戻れない気がして、それが何より怖かった。
――ガタン!
窓が風に叩かれて開く。
「リリー!」
風の魔法で二階まで飛び上がってきたカイゼルは髪も制服も乱れていた。膝上まで人形になった私を見て、黒い瞳が痛いほど揺れる。
「……ごめん、遅くなった」
「ううん、すごく早かったよ」
彼は震える指で私の前髪をよけ、額に唇を落とした。
――その瞬間。
硬く冷えていた肌にじわりと血が通う。つま先から、ふくらはぎ指先へ。人間に戻っていく感覚はいつも泣きたくなるほど温かい。
「……戻ったか」
「うん。ありがとう、カイゼル」
彼は顔をそむけて「別に」とだけ言った。
「私、頑張って呪いを解く方法を見つけるから。この学園の図書館の奥には古い記録があるって聞いたの」
「……そんなに思い詰めなくていい」
「え?」
「せっかくの学園だろ。どうせなら楽しみなよ。……恋でもしたら?」
冗談めかした声がほんの少し掠れていた。
「恋!? ふふっ、カイゼルがそんな冗談言うなんて珍しい」
思わず笑った私は気づかなかった。目を伏せたカイゼルの横顔が少しも笑っていなかったことに。
*
翌日。生徒会室の扉を開けた私は固まった。
「げ。お前、昨日の迷子か」
赤茶の髪、赤茶の瞳。椅子の山を抱えていた、あの人。
「首席だってな。……ふん、この生意気な女が」
「生意気なのはどっちよ! 初対面の人にバカって言ったの、忘れてないから!」
「事実だろ」
「事実じゃない!」
「まあまあ、二人とも。もう知り合いだったんだね」
穏やかに笑うユリオス会長が間に入る。
「ギャラント・セネガル。庶務だよ。リリーさん、これからよろしく。……ああ、こっちはラウリ」
「よろしくっ! 僕はいつだって君の味方だよ!」
ムードメーカーのラウリのおかげで空気がふっと和らいだ。けれど、ギャラントは最後まで私と目を合わせようとしなかった。
そこへ、ばたんと扉が開いた。
「遅れてしまって、ごめんなさい。議事録の清書が、思いのほか長引いて」
栗色の髪をきっちりと結い上げた女生徒が背筋を伸ばして入ってくる。その後ろから、銀縁眼鏡の男子が書類の束を抱えて続いた。
「書記のセシリア・ローゼンバーグよ。三年。……あなたが噂の首席さんね。廊下まで、ギャラントとの言い争いが聞こえていたわ」
「す、すみません」
「謝らなくて結構。ただし髪が乱れているわ。じっとして」
言うが早いか、彼女の手が私の乱れた髪をきちんと整えてしまった。
「生徒会の人間が、だらしない格好をしていては示しがつきませんもの。……可愛い顔をしているのだから、なおさらよ」
「え?」
「なんでもないわ。困ったことがあれば、私に言いなさい。副会長は融通が利かないから」
「それは聞き捨てなりません」
眼鏡を押し上げた男子が静かに言い返した。
「副会長のエルンスト・ハイゼンだ。二年。騒ぎを起こした場合は始末書を提出してもらう。規則は生徒手帳の第三章だ」
「エルンスト。新入生を怖がらせないで」
「事実を述べただけだ」
言い合っているのに、二人の間の空気は不思議と少しもとげとげしくなかった。
書類を受け渡すとき、指先が触れて。二人は同時にぱっと手を引っ込めた。
「……失礼」
「い、いえ」
エルンスト先輩の耳が、ほんのり赤い。セシリア先輩は、つんとそっぽを向いた。
(あれ……?)
首を傾げる私の後ろで、ユリオス会長がにこにこと、何もかもわかっているような顔で笑っていた。
*
一週間後の放課後。私は、生徒会室の奥にある資料庫で、一番上の棚にある帳簿に手を伸ばしていた。
(もう少し……)
ぎし、と嫌な音がした。
古い書棚が、ゆっくりとこちら側に傾いてくる。
「――っ!」
動けなかった。頭が真っ白で。
「どけっ!」
誰かに突き飛ばされた。床に転がった私の目の前で、床石が盛り上がり、一本の石の柱が生えて、倒れかけた書棚をがっしりと受け止める。
ずずん、と重たい振動。
「……ぼさっとしてんじゃねえ!」
振り向くと、ギャラントが肩で息をしていた。
その顔は真っ白だった。
土の魔法を使った手が、小刻みに震えている。赤茶の瞳が、私を見ているのに私ではない何かを見ているような。
「死にてえのか、お前は!」
「ご、ごめんなさい。助けてくれて、ありが――」
「礼なんかいらねえ!」
怒鳴りつけて、彼は資料庫を出ていった。扉が乱暴に閉まる。
「な、なによ、あれ……」
呆然とする私に、いつの間にか来ていたラウリがそっと言った。
「ギャラントね、怒ってるんじゃないんだ。……怖かったんだと思う」
「怖かった?」
「あいつ、女の子が苦手でね。昔、いろいろあったみたいで。詳しくは本人しか知らないけど」
ラウリはいつもの明るさを少しだけ引っ込めて、困ったように笑った。
「悪いやつじゃないんだ。ほんとだよ」
私は、閉まった扉をしばらく見つめていた。
あの真っ白な顔が、なぜか頭から離れなかった。




