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人形姫と四つの口付け  作者: かん
人形姫の呪いと、水の王子の嘘(ユリオス ルート)

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14/54

水の王子と、炎の花嫁① (ユリオス後日談)

8:30にも更新することにします(*_ _)

 卒業パーティから、最初の冬が来た。

 卒業しても、私は、彼を「会長」と呼び続けていた。名前で呼ぶのは、結婚式の日まで、取っておくと決めたから。


 王宮の客間は広くて、天井が高くて、朝の空気が刃物みたいに冷たい。


 目が覚めた瞬間、私は凍りついた。


 ――つま先の感覚が、ない。


(うそ。だって、もう、二度と……)


 心臓が、耳の奥で暴れ出す。指を動かそうとして、動いているのかどうか、わからなくなる。あの白い陶器の色が這い上がってくる光景が、まぶたの裏に焼きついて離れない。


 バングルはもう、外してしまった。呪いは解けたのだから、いらないはずだった。


 空っぽの手首を、必死に掴む。


「リリー」


 隣で、ぼんやりとした声がした。次の瞬間、大きな手が、毛布の中の私の足をすっぽりと包む。


「……冷たいね。冬だから」


 ユリオス会長は半分眠ったまま、私の足を両手でこすった。水の魔法使いのくせに、その手は驚くほどあたたかい。


「大丈夫。ただの寒さだよ。ほら、ちゃんと動く」


 言われて、私はおそるおそる、つま先を曲げた。


 ――動いた。


 指の一本一本に、じんわりと血が通う。それだけのことで、視界がぼやけて、涙が枕に落ちた。


「……すみません。もう、平気なはずなのに」

「平気じゃなくていいよ」


 彼は眠そうな目を開けて、私を引き寄せる。


「何度でも確かめればいい。僕はその度に、君の足を温めるから」

「……会長に、足をこすらせるなんて、恐れ多いです」

「光栄だな。王族の手は、国民の足を温めるためにあるんだ」

「そんな役目、聞いたことがありません」

「今、作った」


 くすくすと笑ううちに、涙は、笑い涙に変わっていった。


 この人は、私の怖さを「大げさだ」と言わない。「もう終わったことだ」とも言わない。ただ、隣にいて、手を貸してくれる。


 それが、どれほど救いなのか。


 窓の外で、初雪が降り始めていた。


*



 春になって、私は初めて宮廷の夜会に出た。


 ユリオス会長は、暗殺の役目を降りた代わりに、通商と外交の仕事を一手に任されるようになっていた。


その隣に立つ私は、貴族たちの目にどう映っているのか。

 答えは、ホールに足を踏み入れた瞬間にわかった。


「あれが、第三王子のお相手?」

「田舎町の出身だとか。魔法の腕はあるそうだけれど」

「王家の血に釣り合うかしら」


 扇の陰の囁きは、聞こえないふりをするには、あまりに大きかった。


 ぎゅっと、ドレスの裾を握る。

 その手を、ユリオス会長が、そっと包んだ。


「リリー。少し、待っていて」

「え?」


 彼は私の手を離すと、優雅な足取りで、囁き声の輪に近づいていった。にこやかな、いつもの――「よくできた絵」のような笑顔で。


「皆さん、楽しそうですね。何のお話でしょう」

「で、殿下……いえ、その、ご婚約者様のお噂を」

「ああ、リリーの。嬉しいな。僕も、その話をするのが大好きなんです」


 ユリオス会長の碧い瞳が、にっこりと細められる。


「ちなみに彼女は、学園の入学以来、一度も首席の座を譲っていない。隣国ラグナとの条約の古語文書を、一晩で読み解いたのも彼女です。あの条約で潤った領地は、いくつありましたっけ。ええと、ヴァレン侯爵の領地も、確か」


 扇が、ぴたりと止まった。


「……お、お噂は、根も葉もないものでございました」

「そうですか。それはよかった」


 笑顔のまま、声だけが、氷のように静かだ。


「僕は、彼女を侮辱する人を、決して忘れませんから」


 その背中を見ながら、私は思った。


(あ、腹黒いって、こういうことか)


 思わず吹き出しそうになって、口元を押さえる。戻ってきた彼が、悪びれもせず首を傾げた。


「どうして笑ってるの?」

「いいえ。ただ、すごく頼もしいな、と思いまして」

「計算だよ」

「はい、存じています」

 私は、彼の腕にそっと手を添えた。

「でも、その計算が、私のためだということも、知っています」


 ユリオス会長の耳が、ほんのり赤くなった。


     *


 けれど、守られてばかりでは、いられなかった。

 ダンスの前、老貴族の一人が、意地悪く言ったのだ。


「魔法の腕がおありなら、ぜひ拝見したいものですな。この夜会の余興に」


 ホールがしんと静まる。試されている。

 私は、一歩前に出た。


「喜んで」


 息を吸って、詠唱する。


『小さき炎よ、灯れ――ひとつ、またひとつ』


 空中に、無数の火の粉が生まれた。それは蝶のように舞い上がって、ホールの天井の燭台へ、ひとつひとつ、迷いなく飛んでいく。


 ぽ、ぽ、ぽ。


 消えかけていた百本のろうそくに、一斉に、やわらかな光が灯った。

 ホールが、金色の海になる。

 一瞬の静寂のあと、拍手が、さざ波のように広がった。あの老貴族が、悔しそうに、けれど確かに、頭を下げるのが見えた。


「……見事だ」


 ユリオス会長が、私にだけ聞こえる声で囁いた。


「今夜の主役は、間違いなく君だよ」


 彼が差し出した手を、取る。


 踊り出す私たちを、揺れる灯りが、やさしく包んでいた。



*


 その秋、ユリオス会長は王に呼ばれた。私も、一緒に。


 玉座の間は、広くて、冷たくて、あの日、彼が一人で立ち向かった場所。


 王は、長いこと私たちを眺めてから、口を開いた。


「ユリオス。お前が『やりたくない』と言った日のことを、覚えているか」

「はい、父上」


 ユリオス会長の背筋が、まっすぐに伸びる。


「あの日から、私は考えていた。国を守るために、子どもに手を汚させ続けることが、本当に王の務めなのかと」


「だがあの法廷で確信した。お前は、手を汚さずとも、国を守れる者だと」


 王の視線が、私に向く。


「娘。お前が、あれの背中を押したそうだな」

「……私は、ただ、思ったことを言っただけです」

「その『ただ』を、この城の誰も言えなかった」


 王は、深く息を吐いた。


「礼を言う。この国の王として、そして……父として」


 驚いて、言葉が出なかった。隣で、ユリオス会長が、息を呑む気配がした。


「結婚を許す。ただし、苦労はするぞ」

「覚悟しています」


 私が答えるより早く、ユリオス会長が言った。


「彼女が隣にいるなら、どんな苦労も、苦労じゃありません」


 王が、ほんの少しだけ、笑った気がした。

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