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私が死ぬたびに、あなたは生き返る。そして私を忘れる  作者: ヲワ・おわり


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第9話 あと、何回

 あの夜は、いつもより早く牙をむいた。

 教会の影を追って、リーゼはこの周、多くの時を探索に費やしていた。糸を手繰るほど、敵の顔は見えてくる。けれど、その代わりに、アルヴィスを守るための段取りは、いつもより手薄になっていた。何かを得れば、何かを手放す。時は、二人分に足りない。

 晩秋の冷えが、公爵邸の石壁に染みる夜だった。

 異変の報せが届いたとき、リーゼの背筋は凍った。今夜の凶行を、彼女はまだ、半分も潰せていない。刺客の潜伏先も、給仕の買収も、いつもの周なら先回りで塞いでいた穴が、今夜はいくつも開いたままだった。探索に割いた時間の、その付けが、最も悪い形で回ってきた。

 燭台もとらず、リーゼは駆けた。裸足の裏を、石の冷たさが刺す。廊下の角を曲がるたび、これまで積み上げてきた手が、片端から敵に読まれ、封じられていたことを思い知る。見回りは別命で遠ざけられ、頼みの従騎士は偽の急報で邸の外へ出されていた。まるで、この夜のために、こちらの守りを一つずつ、丁寧に剥がされていたかのように。探索に踏み込んだことを、敵は察していたのだ。こちらが真因へ近づいた、そのぶんだけ、彼の守りは薄くなった。


 東の棟に踏み込んだとき、アルヴィスは、すでに追い詰められていた。

 黒装束の刺客が、今夜は五人。剣を取る間もなく寝込みを襲われたのだろう、彼は片腕から血を流し、燭台を杖代わりに、それでも立っていた。守るべき者を守ろうとする姿勢だけは、どんな夜も崩さない。けれど、多勢に無勢だった。

 「リーゼロッテ、来るな。下がっていろ!」

 彼女に気づいたアルヴィスが、掠れた声を絞り出す。来るなと言いながら、その目は、彼女を庇う位置へ動こうとしている。この期に及んで、彼はまだ、初めて会ったはずの令嬢を、守ろうとしていた。血に濡れた腕で剣を構え直すその姿に、リーゼの胸が引き裂かれる。あなたは、いつもそうだ。自分のことなど、後回しにして。

 だが、そうはさせない。守られるのは、彼のほうだ。

 刺客の一人が、床を蹴った。刃が、アルヴィスの胸へ、一直線に伸びる。リーゼの体は、もう動いていた。彼の前へ滑り込み、その刃を、自分の身で受け止める。

 今夜の刃は、急所を外れていた。

 それが、地獄の始まりだった。一突きで終われば、まだ楽だった。浅く腹を裂かれ、脇を貫かれ、それでもリーゼは倒れなかった。倒れれば、その後ろのアルヴィスに、次の刃が届く。だから、崩れる膝を叱咤し、両腕を広げ、彼の盾であり続けた。刺客の刃が、幾度も、彼女の体を浅く深く抉っていく。血が、床に広がる。鉄と、自分の血の匂いに、噎せた。

 「やめろ。彼女に手を出すな! 私が相手だ!」

 アルヴィスの絶叫が、遠く聞こえた。剣を振るい、彼女に群がる刃を払おうとする。けれど、その足はもつれ、傷ついた体は思うように動かない。彼の腕が、崩れかけたリーゼを、後ろから抱きとめた。

 その温もりの中で、リーゼは、意識が薄れゆくのを、長い時間をかけて味わわされた。今夜の死は、優しくない。いつまでも、終わってくれない。腹の裂け目から流れ出るものが、床に温かい溜まりを作っていく。指の先が、冷えて、感覚を失っていく。それでも、意識だけが、なかなか手放せない。早く終われば、それだけ早く、彼は助かるのに。この痛みは、彼を生かすための、最後の代償だった。だから、耐える。声も上げず、ただ、彼の盾であり続ける。

 早く。早く、終わって。そうすれば、あなたは助かる。

 朦朧とする視界の隅で、刺客たちが引いていくのが見えた。目的の公爵を、庇う女ごと仕留めそこねた。そう判断したのだろう。彼らが去っても、リーゼの体からは、もう力が抜けていくばかりだった。

 「名を、頼む……君の名を、聞かせてくれ」

 震える彼の声に、リーゼは、答える息すら、残っていなかった。名なら、幾度も告げた。そのたびに、あなたは忘れた。だから、もういい。あなたが生きてくれるなら、それでいい。ただ、彼の腕の中で、白くなっていく世界を、最後まで見ていた。滲んでいく視界の中で、彼の灰色の瞳だけが、いつまでも彼女を映していた。


 亜麻の匂い。庭師の鋏の音。婚約の儀の、朝。

 目を開けた瞬間、リーゼは、寝台の上で身を折った。息が、うまく吸えない。体には傷ひとつないのに、あの長い痛みの記憶が、皮膚の下でまだ疼いている。

 震える手で、寝間着の襟をくつろげ、左胸を見た。

 そして、動けなくなった。

 黒い茨が、広がっていた。前に見たときより、はっきりと。心臓へ向かって伸びた枝の先が、もう、その手前まで達している。あと、指一本ぶんも、ない。

 この痣が、心臓に届いたら。

 考えたことのなかった問いが、初めて、氷のように胸を刺した。この繰り返しには、終わりがある。無限に死ねるわけではない。死ぬたびに、この黒は伸びる。ならば、いつか、次の死で、もう戻れなくなる日が来る。

 それが、すぐそこまで来ている。

 リーゼの指先が、震えた。ずっと、取り乱すまいと張ってきた糸が、初めて、ぷつりと音を立てて緩む。何十回と、淡々と死んできた。彼を救うためなら、いくらでも死ねると思っていた。その「いくらでも」が、嘘だったと、今、この痣が告げている。

 これまで、死は怖くなかった。死ねば、また朝に戻れる。彼が生き返る。だから、いくらでも差し出せた。けれど、この黒が心臓に届いたとき、差し出せるものは、もう尽きる。次に彼を庇って死ねば、そのときは、二度と戻らない。彼を失った世界に、たった一人、取り残される。あるいは、庇いきれずに、彼の死を、永遠のものにしてしまう。

 どちらの終わりも、あってはならなかった。

 残された死が有限だと知った途端、一度一度の重さが、鉛のように肩へのしかかった。もう、無駄には死ねない。焦って死ねば、その一度が、永遠の別れを引き寄せる。かといって、迷っている間にも、あの夜は必ず来る。

 まだ、真因の顔も見ていない。彼を救う道も、見つけていない。なのに、残された死は、もう。

 喉の奥から、掠れた声が、ひとりでに漏れた。

 「あと、何回……?」

 誰も答えない、朝の光の中で。

ここまでお読みくださりありがとうございます。明日からも毎日更新します。続きが気になりましたら、ブックマークで追っていただけると嬉しいです。

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