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私が死ぬたびに、あなたは生き返る。そして私を忘れる  作者: ヲワ・おわり


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第24話 あなたが、思い出す

 それは、何気ない夕べのことだった。

 書斎で、リーゼが差し出した書類を受け取ろうと、アルヴィスの指が、彼女の左手に、触れた。銀の指輪の、その冷たい輪に。

 途端、彼の動きが、止まった。

 瞳が、大きく、見開かれる。喉の奥で、息が、詰まった。手にした書類が、床に、滑り落ちる。彼は、そのまま、机に手をつき、身体を、支えた。

 「アルヴィス様」

 リーゼが、駆け寄る。彼は、片手で、額を、強く押さえていた。指の隙間から覗く目が、宙の一点を、見据えている。ここではない、どこか遠くを。

 これまでの断片が、今、一気に、像を結ぼうとしていた。刻印が臨界に近づいた、この最終の周。積み重なった残響が、聖遺物に触れたことで、堰を切ったように、彼の中へ、なだれ込んでいる。

 「見える」彼は、掠れた声で言った。「血の、匂い。倒れる、君。私の腕の中で、こと切れる、君の顔。一度じゃ、ない。何度も。何度も、何度も」

 リーゼの心臓が、締めつけられた。

 彼が、触れている。何十回と繰り返された、あの死の記憶に。忘却の檻の底に沈められていたものが、今、彼自身の目に、映っている。

 「私は」アルヴィスは、震える声で、絞り出した。「君の死を、知っている気が、する。見た覚えなど、ないはずなのに。この胸が、覚えている。何度も、君を、失った。その痛みを」

 彼の額から、汗が、一滴、机の上に、落ちた。呼吸は、まだ、荒い。押さえた指の下で、瞼が、痙攣するように、震えている。断片は、脈絡なく、順序もなく、彼を襲っているようだった。断頭台の刃の閃き。毒杯の、苦い匂い。崩れ落ちる自分を、必死に抱きとめる、彼自身の腕。そのどれもが、彼にとっては、覚えのない光景のはずだった。けれど、身体は、心の奥は、それらを、はっきりと、知っていた。

 「なぜだ」彼は、呻いた。「なぜ、君が、私のために。何度も、こんな……」


 リーゼの視界が、じわりと、滲んだ。

 初めてだった。何十回、この繰り返しを生きてきて、彼が、自分の死を、思い出したのは。いつも、彼は、忘れていた。目覚めれば、すべてが、白紙に戻っていた。理由もわからず惹かれ、理由もわからず案じ、けれど、その芯にある死の記憶にだけは、決して、届かなかった。

 その彼が、今、思い出している。わたしを。わたしの、死を。

 込み上げるものを、リーゼは、必死に、堪えた。喉が、詰まる。目の奥が、熱い。ずっと、届かないものだと、諦めていた。忘れられ続けることが、この愛の、宿命なのだと。それが、今、覆されようとしている。

 けれど、その歓喜のすぐ裏で、鋭い痛みが、胸を刺した。

 思い出すということは、彼が、あの死の記憶のすべてを、背負うということだ。庇いきれずに失った、その悔恨を。血の匂いを。冷たくなっていく腕の重みを。忘れているうちは、彼は、苦しまずに、済んでいた。その平穏を、今、自分は、奪おうとしている。

 わたしの喜びは、あなたの、苦しみの上に、ある。

 そう思うと、堪えていたものが、一筋、頬を、伝った。リーゼは、慌てて、それを、拭った。泣いている場合では、ない。今、支えるべきは、彼だ。

 それでも、胸の奥で、震えるものが、止まらなかった。何十回、この人に、名前も知らぬ他人のように、扱われてきたか。目覚めた彼が、儀礼的な微笑みを浮かべて、初対面の令嬢に向ける、あの他人行儀な会釈。そのたびに、心の一部が、静かに、死んだ。もう、慣れたと、思い込んでいた。期待しなければ、傷つかないと。けれど、こうして、たった一度、思い出してもらえただけで、堰き止めていたはずの想いが、こんなにも、あふれてくる。慣れてなど、いなかったのだ。ずっと、待っていた。あなたが、わたしを、見つけてくれる、この瞬間を。

 「大丈夫です」リーゼは、彼の背に、そっと手を添えた。「わたしは、ここに、います。ちゃんと、生きて、あなたの、傍に」

 その言葉に、アルヴィスは、ゆっくりと、顔を上げた。彼の瞳が、まっすぐに、彼女を捉える。まるで、初めて、彼女という存在の、本当の姿を、見たかのように。


 「君は」彼は、掠れた声で言った。「ずっと、独りで、これを、抱えてきたのか」

 リーゼの息が、止まった。

 彼が、理解し始めている。断片の向こうにある、彼女の孤独を。何十回と死に、そのたびに忘れられ、たった独りで、すべての死の記憶を、抱え続けてきた、その地獄を。

 「わたしは」言葉が、うまく、出てこなかった。「わたしは、平気です。慣れて、いますから」

 嘘だった。慣れることなど、なかった。忘れられるたびに、心は、削られた。それでも、そう言うしかなかった。彼に、重荷を、背負わせたくなくて。長いあいだ、それが、自分の役目だと、信じてきた。痛みは、独りで抱え、彼には、穏やかな日々だけを。それが、愛する者に、してやれる、せめてものことだと。

 けれど、アルヴィスは、首を、横に振った。彼の手が、彼女の頬に伸び、そこに残る、涙の跡を、そっと、拭った。その指先は、まだ、微かに震えていた。

 「慣れるものか。そんなもの」彼の声は、低く、けれど、確かだった。「どうして、独りで、背負っていた。私は、君の、何を、見ていたんだ」

 悔恨と、優しさの入り混じった、その眼差しに、リーゼは、もう、堪えきれなかった。

 「思い出させてくれ」アルヴィスは、彼女の手を、両手で、包んだ。「君が、何を、背負ってきたのか。何度、私のために、死んできたのか。そのすべてを。もう、君を、独りには、しない」

 その言葉が、胸の奥深くまで、届いた。

 何十回、忘れられても。ずっと、この人は、また同じ場所で、わたしを見つけてくれる。今度こそ、その手を、離さないでいてくれる。忘れても、この人の芯は、変わらなかった。理由もわからず惹かれ、案じ、守ろうとした。その根にあったのは、きっと、この記憶だったのだ。言葉にならぬまま、身体の奥で、彼はずっと、わたしを覚えていた。

 リーゼは、包まれた手の温もりの中で、ついに、堪えていたものを、あふれさせた。忘れられ続けた献身が、初めて、この人に、届いた。長い、長い、片側だけの想いが、今、静かに、交わろうとしていた。

明日も7時から更新します。完結まで残り6話、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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