第19話 あなたの死は、救いなのですよ
最後の確証を得るために、リーゼは、バルトロの庵を訪ねた。
この周のわたしは、もう、多くを知っている。敵の輪郭も、搾取の手口も、あの施療院で見た、慈悲深い聖人の顔も。あとは、その者の名を、確かめるだけだった。
「掴んだようじゃな」リーゼの顔を見て、バルトロは、静かに言った。「その目は、もう、答えを見ておる」
「教えてください」リーゼは、まっすぐに彼を見た。「わたしの死を刈り取り、あの人を殺し続けている者。それは——教皇代理、ユリウス猊下。そうですね」
バルトロは、深く、目を伏せた。それが、答えだった。
「愛による自己犠牲こそ、最も尊い贖い。その教義を、誰よりも深く信じ、体現する者。教会の頂に立ち、王権をも、その足下に置こうとする者」老神父の声は、重かった。「あの御方は、贖罪回帰を掘り起こし、贖罪の巫女の血を利用して、その力を収穫してきた。お前さんの死を、聖なる奉献として、な。そして、その供物を絶やさぬために、公爵を、繰り返し、殺す」
すべてが、繋がった。彼を殺す糸も、わたしを縛る糸も、その一点、ユリウスの手の中で、握られていた。生家の悪意も、王宮を経た討伐命令も、暗殺の刃も。ばらばらに見えた無数の手は、あの慈悲深い聖人の、一本の意志から、伸びていたのだ。
「気をつけなされ」バルトロが、声を潜めた。「あの御方に、悟られてはならぬ。お前さんが真実に近づいたと知れれば、どんな手で、潰されるか」
その確証を胸に、リーゼは、大聖堂の奥へ向かった。
もう一度、この目で、確かめずにはいられなかった。彼女は、婚約者の慰問という名目で、教皇代理の間へ、通された。豪奢ではないが、荘厳な部屋だった。香が焚かれ、硝子窓から差す光が、床に聖人たちの影を落としている。
ユリウスは、一人の従者も置かず、リーゼを迎えた。
「よくぞ、おいでくださいました。アーレンスの、リーゼロッテ嬢」穏やかな、慈愛に満ちた声だった。「あなたのことは、かねてより、存じ上げておりますよ。とても……とても、尊い御方だ」
その一言に、背筋が、凍りついた。存じ上げている。当然だ。この者は、彼女の死を、幾度も見てきた。刈り取ってきた。それを、慈しむように、口にしている。
「猊下は、わたしの、何をご存じなのですか」
リーゼは、辛うじて、声を保った。ユリウスは、柔らかく微笑んだ。老いた顔に刻まれた皺の一つひとつが、慈悲深く見える。けれど、その奥の目だけが、あの、乾いた光を湛えていた。
「哀れな子」彼は、憐れむように言った。「あなたは、愛する者のために、その身を捧げる定めにある。なんと、尊いことでしょう。人が到達しうる、最も美しい贖い。その定めを生きるあなたを、私は、心から、敬愛しております」
この者は、知っている。すべてを、知りながら。リーゼの繰り返しも、その死の一つひとつも、承知の上で、それを「美しい」と讃えている。
「嘆くことは、ありません」ユリウスは、穏やかに続けた。「あなたの死は、決して、無駄ではない。それは、この世で最も尊い、救いなのですよ。あなたは、愛によって、贖いを果たす。これほどの幸いが、他にありましょうか」
救い。この、繰り返される死を。踏みにじられた献身を。この者は、救いと呼ぶ。悪意からではない。心の底から、そう信じている。だからこそ、その言葉は、どんな罵倒よりも、深く、リーゼの魂を凍らせた。
「あなたは、なぜ、公爵を殺すのですか」
問わずには、いられなかった。声が、震えぬよう、腹に力を込める。ユリウスは、少し驚いたように目を細め、それから、慈悲深く微笑んだ。
「殺す、とは、心外な言葉です。私は、あなたに、贖いの機会を、差し上げているに過ぎません。愛する者を守るために死ぬ。その尊い行いを、あなたが果たせるように。公爵と、あなたと。二人の魂は、その献身によって、限りなく清められていくのですよ」
悪びれる様子は、微塵もなかった。この者の中では、人を殺すことと、魂を救うことが、矛盾なく、同じ一つの慈悲として、繋がっている。狂気だ。けれど、その狂気には、教義という、揺るがぬ理屈が、通っていた。だからこそ、崩せない。
リーゼは、拳を、袖の中で握りしめた。この者を、言葉で説き伏せることは、できない。信仰は、論では折れない。ならば、討つしかない。搾取の根を、断つしかない。
邸へ戻ったリーゼを、バルトロが、密かに待っていた。
「猊下に、会うたか」老神父の顔は、険しかった。「危うい真似を。見せなさい。その、痣を」
リーゼが襟をくつろげると、バルトロは、黒い茨の広がりを見て、息を呑んだ。長い沈黙のあと、彼は、絞り出すように言った。
「これは、もう、心の臓の、すぐ手前じゃ。あと一節、伸びれば、届く。つまり——お前さんに残された死は、あと、一度。多くて、二度じゃ。それを使い果たせば、次はもう、巻き戻らぬ。永久の死じゃ」
あと、一度。多くて、二度。
わかっていたはずの事実が、言葉にされて、改めて、氷のように胸を刺した。手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。この黒が心臓に触れれば、すべてが終わる。次に彼を庇って死ねば、あるいはその次で、もう、朝は来ない。
敵の名は、掴んだ。けれど、その敵は、王権と並ぶ教権の頂に立つ、聖人だ。万民が涙して敬い、王すら容易には手を出せぬ、慈悲の権化。証拠もなく指を差せば、異端として焼かれる。そんな相手を、残された、たった一度か二度の死で、討たねばならない。
あまりにも、分が悪い。これまでのどの周よりも、絶望的な盤面だった。それでも、リーゼは、俯かなかった。ここまで来た。敵の顔は、見えた。もう、闇雲に死ぬだけの繰り返しではない。討つべき的が、はっきりと、目の前にある。
背筋を、絶望と覚悟が、同時に、駆け抜けた。
敵は、聖人。慈悲の面をかぶった、搾取者。そして、わたしには、もう、後がない。
次の一度で、すべてを、終わらせる。それが、できなければ。リーゼは、握った拳の、震えを、じっと抑えつけた。窓の外では、晩秋の風が、枯れ葉を、荒々しく巻き上げていた。その音だけが、静かな部屋に、いつまでも響いていた。
明日も7時から更新します。ここから終盤へ向けて、二人の選択が大きく動きます。




