第17話 あなたの見た、悪夢
搾取の証を掴む。それが、次にリーゼのなすべきことだった。
誰が、彼女の死を刈り取っているのか。バルトロの話で、その心の形は見えた。あとは、証だ。教会中枢が、アルヴィスの暗殺と、リーゼの死の収穫を、どう仕組んでいるのか。その痕跡を、掴まねばならない。
彼女は、これまで集めた断片を、丹念に並べ直した。生家へ流れる金。連絡役の男。大聖堂の高位聖職者へ通じる糸。それらの間を、証が、細い血管のように走っている。リーゼは、婚約者としての伝手と、繰り返しで得た知識を頼りに、その血管を、一本ずつたどっていった。
浮かび上がってきたのは、恐ろしく巧妙な手口だった。
その者は、決して、自らは手を汚さない。継母を、刺客を、王宮の使者を、そして教会の下働きを、駒として動かす。命令は、幾重にも人を介して伝わり、たどっても、たどっても、本人には行き着かない。まるで、慈悲の霧の奥に、身を隠しているかのようだった。
それでも、その霧の中心に、一人の人物の輪郭が、浮かんできた。
万民に敬われ、聖人と讃えられる、慈悲深い高位聖職者。誰もが、その名を口にするとき、頭を垂れる。その人物の周辺でだけ、なぜか、不審な金と、死の匂いが、静かに渦を巻いていた。まさか、と誰もが思う。だからこそ、誰にも、疑えない。完璧な、隠れ蓑だった。
考えれば考えるほど、その手口は、贖罪回帰の性質と、ぴたりと噛み合っていた。愛による自己犠牲を、最も尊いものとして掲げる教義。その教義の頂に立つ者こそ、リーゼの献身を「聖なるもの」と讃え、心から尊びながら、刈り取ることができる。憎しみからではなく、信仰から。だからこそ、その手は、決して止まらない。
バルトロの言葉が、耳の奥で甦る。善を信じきった者は、決して手を止めん。あの言葉が指していたのは、まさに、この輪郭の主のことだったのだ。リーゼは、集めた証の断片を、震える指で、束ねた。もう、疑いようがなかった。
その夜、アルヴィスの異変は、突然に訪れた。
夕餉のあと、二人で書架の間を歩いていたときだった。ふいに、アルヴィスが足を止め、こめかみを押さえた。顔から、血の気が引いている。
「アルヴィス様?」
「……血の、匂いがする」彼は、譫言のように呟いた。「君が、倒れる。私の、腕の中で。一度ではない。何度も、何度も、君が」
リーゼは、凍りついた。
彼の目は、リーゼを見ていながら、リーゼを見ていなかった。もっと遠い、記憶の底の、幾つもの光景を、覗き込んでいる。処刑台。暗殺の夜。毒の宴。彼が忘れたはずの、彼女の死の、その一つひとつ。残響の澱が、濃くなりすぎて、断片となって、水面へ噴き出している。
「なぜ、こんな……ありもしない光景が、これほど鮮明に。まるで、本当に、この目で見たことがあるように」彼は、頭を抱え、呻いた。「私は、狂ったのか。君が死ぬところを、繰り返し見た。そんな、ありえない記憶が、私の中に、ある」
抱きしめて、そのとおりだと、告げてしまいたかった。あなたは、狂ってなどいない。それは、本当にあったこと。あなたのために、わたしが死んだ、その記憶。喉元まで、その言葉がせり上がる。
けれど、リーゼは、彼の背へ手を添えるに留めた。震える広い背中に、手のひらを、そっと押し当てる。
「大丈夫です。ただの、悪い夢です。わたしは、ここにいます。ちゃんと、生きています」
嘘と、真実が、半分ずつだった。今の自分は、確かに生きている。けれど、彼が見た光景は、夢ではない。そう言うしかなかった。今、彼にすべてを思い出させれば、幾十もの死の痛みが、一度に彼を襲う。まだ、その時ではない。彼の心が、それに耐えられる支度が、できていない。
アルヴィスは、荒い息を、少しずつ整えていった。やがて、彼女の手の温もりに縋るように、その手の上へ、自分の手を重ねた。
「君が、生きている。それだけで、なぜか、こんなにも安堵する」掠れた声だった。「おかしな話だ。まるで、君を、幾度も喪ってきたかのように」
その言葉の、あまりの近さに、リーゼは、目を伏せるしかなかった。
数日後、リーゼは、確かめずにはいられなかった。
施療院への慰問という名目で、彼女は、あの慈悲深い聖職者が、貧者へ施しをする場に、足を運んだ。近くで、その顔を、この目で見るために。
施療院は、薬草の煮える匂いと、病人の低い呻きに満ちていた。粗末な寝台が並ぶその一角を、高位聖職者は、穏やかな微笑を浮かべ、静かに巡っていた。病人の一人ひとりの手を取り、額に触れ、優しく言葉をかけていく。その姿は、まさしく、絵に描いたような聖人だった。周囲の者は皆、感涙にむせび、その慈悲を讃えている。
嘘には、見えなかった。それが、いっそ恐ろしかった。この人物の慈悲は、おそらく、本物なのだ。貧者を憐れむ心も、病者を癒す手も、偽りではない。だからこそ、その同じ手で、リーゼの死を刈り取ることができる。憐れみと収穫が、この者の中では、矛盾なく、同じ一つの信仰として、繋がっている。
その人物が、ふと、顔を上げた。
視線が、人垣の隅のリーゼへ、まっすぐに注がれた。慈愛に満ちた、穏やかな目。けれど、その奥に、リーゼは、確かに見た。凍てつくように冷たい、値踏みするような光を。婚約の儀の夜も、大聖堂の回廊でも、こちらを射抜いた、あの視線。それが、今、聖人の面の奥から、彼女を捉えていた。
背筋が、凍りついた。
まさか、この方が。この、万民が涙して敬う、慈悲の権化が。あの人を殺し、わたしの死を、聖なる糧として刈り取ってきた、その者だというのか。
あの方が——まさか。
人垣の中で、リーゼは、頭を垂れるふりをして、顔を伏せた。心の臓が、喉元で早鐘を打っている。見られた。あの目は、こちらを、確かに捉えた。深追いは、できない。それでも、確信だけは、掴んだ。
その名を、リーゼは、まだ、口にすることができなかった。けれど、次に大聖堂を訪れ、バルトロに問えば、その口から、答えは告げられるだろう。慈悲の面の下に、巧みに隠された、真の名が。この長い繰り返しの、いちばん深い根が。




