表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私が死ぬたびに、あなたは生き返る。そして私を忘れる  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/30

第15話 贖罪回帰

 バルトロの庵は、大聖堂の裏手、古い墓地に面した一角にあった。

 石造りの小部屋に、乾いた薬草と、蝋の匂いが染みついている。老神父は、リーゼを招き入れると、扉を固く閉ざし、それから、長い息を吐いた。

 「覚悟は、決めてきたかね」

 「はい」リーゼは、まっすぐに彼を見返した。「教えてください。わたしの身に、何が起きているのか。この痣が、この繰り返しが、何なのか。すべて」

 バルトロは、皺だらけの手で、白い眉をなでた。それから、遠い昔を手繰るように、口を開いた。

 「その痣を、教会では、古い言葉で呼ぶ。回帰の刻印、とな。そして、お前さんの身に起きていることには、名がある。贖罪回帰。数百年前に、教会が自ら編み出し、そして、自らの手で封じた、禁断の秘蹟じゃ」

 贖罪回帰。初めて聞くその名が、胸の奥で、静かに反響した。

 「昔の教会は、考えたのじゃ。人の犯した罪を、何が贖えるか、と。そうして行き着いた答えが、これじゃった。愛による、自己犠牲。誰かのために、進んでその身を投げ出す。その情動こそ、最も尊い贖いであると。彼らは、その尊さを触媒に、時を巻き戻す術を、編み上げた」

 リーゼの、指先が冷えた。

 「契りで結ばれた者を守って死ねば、時は、契りの瞬間へ還る。守った者の、記憶だけを乗せて」バルトロの声は、低く続く。「じゃが、この術は、人を壊す。戻れるのは、死んだ本人の記憶だけ。守られた者は、何も覚えておらん。そして、繰り返すたびに、術者の魂は、少しずつ蝕まれていく。その証が、その黒い痣じゃ」

 すべてが、符合した。

 守って死ぬことでしか、彼を救えないこと。彼が、毎回すべてを忘れること。死ぬたびに、痣が心臓へ近づいていくこと。何十回と繰り返しながら、理由もわからず耐えてきた、その一つひとつに、初めて、道理が通った。長い闇に、光が差し込むような心地だった。

 「そして、守られた者に残るのは、残響だけじゃ」バルトロが、付け加えた。「言葉にならぬ、既視感。喪ったという感覚だけが、澱のように残る。じゃが、その澱が濃くなれば、時に、失った記憶の断片が、浮かぶこともある」

 残響。その言葉に、リーゼは、アルヴィスの涙を思い出した。何を失ったかもわからぬまま、頬を濡らした、あの涙。指先の癖を言い当てた、あの戸惑い。あれは、彼の中に残った澱が、水面へ滲み出したものだったのだ。ならば、いつか、その澱が満ちれば。彼は、すべてを思い出すのかもしれない。淡い期待と、それを上回る怖れが、同時に胸をよぎった。

 「なぜ、教会は、これを封じたのですか」

 「人を壊すからじゃ」バルトロは、静かに答えた。「守り、守られる。その情の深さを、この術は、食い物にする。じゃが、封じたはずのものを、掘り起こした者がおる。だからこそ、お前さんは今、ここにおるのじゃ」


 「では、あなたは、わたしと同じ痣を負った者を、知っているのですね」

 問うと、バルトロは、しばし黙った。

 「贖罪回帰は、誰にでも起きるものではない。特定の血に、宿る。贖罪の巫女、と呼ばれた血筋じゃ。その血を引く娘が、契りを交わした相手を喪う定めにあるとき、この刻印が現れる」

 贖罪の巫女。その言葉に、リーゼは、幼くして亡くした母の面影を、ふいに思い出した。病弱で、いつも遠くを見ていた、静かな人。母もまた、この血を引いていたのだろうか。

 「お前さんの、母御は」バルトロが、探るように言った。「たしか、旧いアーレンスの血の出じゃったな」

 「母を、ご存じなのですか」

 バルトロは、答えなかった。ただ、白い眉の下の目を、痛ましげに伏せた。その沈黙が、答えよりも雄弁に、何かを告げていた。母のこと。血筋のこと。そして、以前彼が漏らした、「終わらせようとしたのは、お前さんで二人目じゃ」という言葉。

 まさか、一人目は。喉まで出かかった問いを、リーゼは、辛うじて飲み込んだ。今は、そこへ踏み込む時ではない。まず、目の前の敵の正体を、掴まねばならない。けれど、母の面影と、二人目という言葉は、まだ形にならぬまま、胸の底で、静かにざわめき続けていた。いつか、その糸も、手繰らねばならない。そんな予感が、確かにあった。


 「じゃがな、お嬢さん」

 バルトロが、ふいに声を落とした。庵の空気が、張りつめる。

 「本当に恐ろしいのは、ここからじゃ。この秘蹟には、続きがある。愛による自己犠牲は、尊い贖いの力を生む。ならば、その力を——欲しがる者が、現れたら、どうなると思う」

 リーゼは、息を詰めた。

 「贖罪回帰が起きるたび、術者の犠牲からは、力が漏れ出す。教会が封じたのは、人を壊すからだけではない。その力を、収穫しようとする者が、必ず現れるからじゃ。誰かの尊い献身を、聖なる糧として、刈り取ろうとする者がな」

 部屋の隅の蝋燭が、じじ、と音を立てて揺れた。

 誰かの、献身を。刈り取る。その言葉が、リーゼの頭の中で、ゆっくりと形を結んでいく。自分は、彼を守るために、幾十回と死んできた。その死の一つひとつが、もし、誰かの糧にされていたのだとしたら。

 背筋を、氷のようなものが、這い上がった。

 「では……わたしのこの死は」声が、掠れた。「誰かに、収穫、されていた、と」

 バルトロは、痛ましげに、ただ深く、頷いた。

 「気づいてしもうたか。……そうじゃ。お前さんの流した血は、その涙は、どこかで、誰かに、味わわれておったかもしれん」

 リーゼの視界が、揺れた。守るための死だと、信じてきた。彼を生かせるなら、それでいいと。その尊い犠牲が、誰かの食い物にされていたなど。自分の流した血の意味が、根こそぎ、汚された心地だった。

 まだ、その誰かの顔は、見えない。けれど、確かに、いる。慈悲の面をかぶって、彼女の死を、聖なる糧として、刈り取ってきた者が。アルヴィスを繰り返し殺すのも、その者の仕業なのだろう。彼を殺し、彼女に守らせ、その献身を、刈り取る。そういう、おぞましい循環の中に、二人は、囚われていた。

 その顔を、暴かなければならない。この長い繰り返しを終わらせるために。そして、踏みにじられた献身の、その意味を取り戻すために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ