第3話 予定通りでは見つからないもの
共同事業が始まって二週間。
リディアは一つの事実を学んでいた。
カイル・ヴァレンティアという男は、本当に予定通りに動かない。
「会頭でしたら、先ほど市場へ向かわれました」
朝一番で商会を訪れたリディアは、受付の女性にそう言われた。
「市場へ?」
「新しい香辛料が入ったそうで」
リディアは思わず瞬きをした。
今日は共同事業の打ち合わせの日だったはずだ。昨日も確認した。予定表にも記載されている。
「打ち合わせは……」
「午後に変更になりました」
女性は慣れた様子で答える。まるで珍しいことではないらしい。
リディアは静かに息を吐いた。
侯爵家なら大問題である。だが商会員たちは誰も慌てていない。むしろ当然のように仕事を続けていた。
不思議な光景だった。
「皆さん、大変ではありませんか?」
思わず尋ねると、女性は少し笑った。
「慣れましたから」
「慣れるものなのでしょうか」
「会頭が急に動く時は、だいたい何か見つけてくるんです」
「何か?」
「商機だったり、新しい取引先だったり」
女性は肩を竦める。
「振り回されることも多いですが、その分助けられることも多いので」
その言葉には信頼が滲んでいた。
リディアは少しだけ驚く。
予定を守らない上司に向ける目ではなかった。
◇
午後。
ようやく姿を見せたカイルは、どこか上機嫌だった。
「見つかりました」
開口一番そう言った。
「何がですか?」
「面白い香辛料です」
満面の笑みで答える。
リディアは額を押さえたくなった。
「それで予定を変更したのですか?」
「しました」
悪びれる様子はない。
「商談より大切だったのでしょうか」
「場合によりますね」
カイルは椅子に腰を下ろした。
「商談は後でもできます」
「ですが予定は――」
「香辛料は売り切れるかもしれません」
あまりにも真面目な顔で言うので、反論する気力が削がれる。
「困った方ですね」
思わず本音が漏れた。
するとカイルは笑った。
「ようやく本音が出ましたね」
リディアは口を閉ざす。
最近気付いたことがある。この人は人の反応を見るのが好きだ。からかうつもりはないのだろうが、どこか楽しそうに観察している節がある。
「怒っていますか?」
「いいえ」
「本当に?」
「本当にです」
「なら良かった」
全く良くない。
だが、そんなやり取りにも少し慣れてきている自分がいた。
打ち合わせが始まる。
今回の共同事業は、地方の特産品を王都へ流通させる新事業だった。リディアは資料を広げる。
「候補地は三か所です」
「ふむ」
「収穫量と輸送費を考慮すると、こちらが最も安定しています」
数字上は理想的だった。利益も見込める。大きな失敗の可能性も低い。
だが。
「面白くないですね」
カイルが言った。
リディアは顔を上げる。
「面白くない?」
「ええ」
彼は地図の端を指差した。
「私はここが気になります」
示されたのは、候補にも入れていなかった小さな村だった。
「その村は生産量が少ないはずです」
「そうですね」
「流通も整っていません」
「整っていませんね」
「でしたらなぜ」
カイルは楽しそうに笑った。
「他がやらないからです」
リディアは眉をひそめた。
理解できない。
「利益を考えるなら安定した場所を選ぶべきでは?」
「普通はそうです」
「では」
「だからこそです」
カイルは地図を指先でなぞる。
「皆が同じ場所へ集まれば競争になります」
「……」
「誰も見ていない場所に価値があるかもしれない」
発想が違う。
自分なら絶対に選ばない選択肢だった。
◇
数日後。
リディアは実際にその村を訪れていた。もちろんカイルに連れて来られたのである。
村は王都から馬車で半日ほどの距離にあった。小さな農村だったが、畑には見慣れない果実が実っていた。
鮮やかな赤色。
陽の光を浴びて宝石のように輝いている。
「これは……」
リディアは目を見開いた。
「この地方だけで育つ果実です」
案内していた村人が答える。
資料には載っていなかった。王都ではほとんど流通していないらしい。
リディアは思わず果実へ近付く。風が吹き、葉が揺れた。どこか甘い香りがする。
「どうです?」
隣でカイルが笑った。
「驚いたでしょう」
悔しいが、その通りだった。
数字だけを見ていたら気付けなかった。現地へ来なければ分からない価値がある。
「……悔しいですが、とても驚きました」
そう答えると、カイルは満足そうに頷いた。
「でしょう?」
まるで自分の手柄のような顔をしている。
リディアは呆れ半分で果樹園を見渡した。村人たちは楽しそうに作業をしていた。赤い果実が風に揺れている。
穏やかな光景だった。
「どうしてこの村を選んだのですか?」
気付けば尋ねていた。
カイルは果樹園を見ながら笑う。
「面白そうだったからです」
「それだけですか?」
「それだけです」
即答だった。
リディアは思わずため息をつく。本当に理解できない。
収穫量でもない。流通網でもない。利益予測でもない。
面白そうだったから。
そんな理由で動く人を初めて見た。
けれど、数字だけを見ていたら、この景色も。この果実も。この村の人たちも、知らないままだった。
予定通りに進めることは大切だ。
それは今でも変わらない。
だが。
予定通りでは見つからないものもあるのかもしれない。
そんな考えが、ふと胸をよぎる。
◇
帰りの馬車の中。
カイルは窓の外を眺めながら機嫌良さそうにしていた。
一方のリディアは、膝の上の資料を見つめる。
資料には載っていないことが、今日はいくつもあった。
果実の色。村人たちの表情。畑を吹き抜ける風。
そして。
予定通りに動かない商会長のことも。
まだ信用したわけではない。理解できないことも多い。
けれど最初に感じていた警戒心は、少しだけ薄れていた。
気付けば思っている。
次はどんなことを言い出すのだろう。
そんな自分に気付き、リディアは小さく息を吐いた。
どうやら思っていた以上に、この共同事業は退屈しそうになかった。
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