第2話 最も信用できない男
三日後。
リディアはヴァレンティア商会を訪れていた。
王都の中心部に建つ大きな石造りの建物は、侯爵家の屋敷とは違う活気に満ちている。
荷物を運ぶ者。商談をしている者。帳簿を抱えて歩く者。誰もが忙しそうなのに、不思議と空気は明るかった。
「こちらへどうぞ」
受付の女性に案内され、リディアは応接室へ通される。
共同事業の顔合わせだ。失礼があってはいけない。先方に迷惑をかけてはいけない。
そう考えながら背筋を伸ばして待つ。
やがて扉の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。
「ですから会頭、今日の予定は――」
「知っていますよ」
「本当に分かっています?」
「たぶん」
「たぶんじゃ困ります!」
女性の呆れた声に続き、笑い声が聞こえる。
リディアは思わず瞬きをした。
商会というのは、もっと堅い場所だと思っていた。
その時、扉が開いた。
「お待たせしました」
入ってきた男性を見て、リディアは一瞬だけ言葉を失う。
整った顔立ちだった。年齢は三十前後だろうか。柔らかな茶色の髪と、陽だまりを思わせる琥珀色の瞳が印象的な男性だった。
人懐こい笑みを浮かべているせいか、初対面なのに距離が近く感じる。けれど、それだけではない。柔らかな雰囲気の奥に、不思議な自信のようなものがあった。
多くの人を率いてきた者だけが持つ余裕と言えばいいのだろうか。
その親しみやすさが、リディアには少しだけ警戒すべきもののようにも思えた。
その隣には若い女性が立っている。手には分厚い書類の束が抱えられていた。どうやら秘書らしい。
「エマ、昼の商談は予定通りお願いします」
「会頭が予定通りと言うと不安になります」
「ひどいですね」
男性は苦笑した。女性も慣れた様子で肩を竦める。
そのやり取りを見て、リディアは少し戸惑った。仕事の場でこんなに砕けた会話をするものなのだろうか。
女性が退室すると、男性は改めてリディアへ向き直った。
「初めまして。カイル・ヴァレンティアです」
軽く頭を下げる。
礼儀は正しい。だが、どこか掴みどころがない。
「リディア・クロフォードです。本日はよろしくお願いいたします」
挨拶を返す。
カイルは向かいの席へ腰を下ろした。
「お話は聞いています。共同事業の担当を引き受けてくださったそうで」
「微力ながら尽力いたします」
「助かります」
カイルは笑った。
その笑顔は親しみやすい。けれどリディアは少し警戒していた。
人当たりの良い人ほど、本心が見えないことがある。
ロイとは違う。
あまりにも違いすぎる。
「どうかしましたか?」
視線に気付いたのか、カイルが首を傾げた。
「いえ」
「本当に?」
「はい」
すると彼は小さく笑う。
「今、あまり信用されていない気がしたのですが」
図星だった。
リディアは思わず言葉に詰まる。カイルは楽しそうだった。
「失礼いたしました」
「謝らなくていいですよ」
さらりと言われる。
謝らなくていい。
その言葉に少しだけ違和感を覚えた。何かあれば謝る。それが当たり前だったからだ。
◇
打ち合わせが始まる。
共同事業の計画書を開き、説明を進める。カイルは最初こそ穏やかに聞いていた。だが話が進むにつれて、少しずつ雰囲気が変わっていく。
「こちらの数字ですが」
「はい」
「市場調査はいつ時点のものでしょう」
「半年前になります」
「でしたら補足が必要ですね」
質問は的確だった。
さらに別の資料へ目を通す。
「この案は面白いです」
「ですが、このままだと上手くいきません」
「改善するなら――」
説明は簡潔で分かりやすい。感覚だけで話しているわけではない。きちんと根拠がある。
気付けばリディアは聞き入っていた。
自由な人だと思っていた。軽い人だと思っていた。
だが仕事になると全く違う。
一時間後。
打ち合わせが終わる。
リディアは小さく息を吐いた。正直、予想以上だった。仕事は非常に優秀だ。それは認めざるを得ない。
「どうしました?」
カイルが尋ねる。
リディアは少し迷った。だが思い切って口を開く。
「正直に申し上げてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
「あなたは私が今までお会いした方の中で、一番予測ができません」
一瞬の沈黙。
そしてカイルは吹き出した。
「なるほど」
肩を震わせながら笑う。
「つまり信用しにくいと?」
「……否定はできません」
リディアが真顔で答えると、カイルはますます楽しそうに笑った。
「それは手厳しいですね」
「ですが仕事は非常に優秀です」
「ありがとうございます」
「だから余計に困ります」
リディアは本気だった。
カイルは笑いながら頷く。
「よく言われます」
「自覚はあるのですね」
「あります」
即答だった。
リディアは思わず額を押さえそうになる。
するとカイルがふっと笑みを和らげた。
「では私も一つ」
「何でしょう」
「あなたは私が今まで会った中で、一番真面目な人です」
その言葉に、リディアの胸が少しだけ痛んだ。
真面目。正しい。模範的。
最近聞いたばかりの言葉だった。
思わず肩に力が入る。ロイの顔が脳裏をよぎった。
その変化に気付いたのか、カイルの表情がわずかに柔らかくなる。けれど彼は何も聞かなかった。
「まあ」
カイルは椅子にもたれながら言う。
「これから長い付き合いになります」
「……はい」
「ゆっくりお互いを知っていきましょう」
リディアは小さく頷いた。
その時だった。
「ところで」
カイルが笑う。
「次は予定通り進むと思わないでくださいね」
「え?」
「私も思っていませんので」
リディアは思わず言葉を失った。
そして初めて、本気で思う。
――この人は信用できない。
様々な意味で。
だが同時に、少しだけ興味も湧いていた。
自分とは何もかも違う、この不思議な商会長に。
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