最終話 私の答え
結婚式の日は、雲ひとつない青空だった。
窓から差し込む朝の光が部屋を明るく照らしている。支度を終えたリディアは、鏡の前に立った。
純白のドレス。繊細なレースのベール。胸元には小さな白い花が飾られている。
鏡の中の自分を見つめながら、ふと笑みがこぼれた。
少し前の自分なら、こんな日にも緊張していただろう。失敗しないだろうか。恥をかかないだろうか。そんなことばかり考えていたはずだ。
けれど今は違う。
もちろん緊張はしている。
だが、それ以上に楽しみだった。
この先の人生を、一緒に歩きたいと思う人がいる。
それが何より嬉しかった。
扉が静かにノックされる。
「入ってもよろしいかな」
父の声だった。
「はい」
クロフォード侯爵が部屋へ入ってくる。娘の姿を見ると、一瞬だけ目を細めた。
「綺麗だな」
短い言葉だった。
だがそこには、たくさんの想いが込められていた。
「ありがとうございます」
リディアは微笑む。
父はしばらく何かを言いかけ、やがて静かに口を開いた。
「幸せになりなさい」
その言葉に、リディアは昔の自分を思い出した。
婚約破棄された日。
泣きながら自分を責めた夜。
何が正解なのか分からなくなっていた頃。
あの頃の自分なら、誰かに幸せにしてもらおうとしていたかもしれない。
けれど今は違う。
リディアは穏やかに笑った。
「はい」
そして少しだけ首を横に振る。
「でも、幸せにしてもらうのではなく、一緒に幸せになろうと思います」
父はしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐くように笑う。
「それを聞けて安心した」
「お父様?」
「昔のお前は、いつも正しい場所に立とうとしていた」
父の声は静かだった。
「けれど今日は、自分で選んだ場所に立っているように見える」
リディアは言葉を失う。
父は少しだけ目を細めた。
「良い顔をしているよ」
その一言に、胸が温かくなった。
「ありがとうございます」
リディアは静かに微笑む。
父は何も言わず、そっと手を差し出した。
「行こうか」
「はい」
◇
教会には多くの人々が集まっていた。
商会の職員たち。取引先の商人たち。貴族たち。家族や友人たち。
皆が二人を祝福するために集まっている。
祭壇の前にはカイルが立っていた。
目が合う。
すると彼は少しだけ照れたように笑った。
それだけで胸が温かくなる。
好きだな、と素直に思った。
式は穏やかに進んでいく。
誓いの言葉。
指輪の交換。
祝福の拍手。
その一つひとつが夢のようだった。
けれど確かな現実でもあった。
祝宴は賑やかだった。
「会頭、おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「奥様を泣かせたら許しませんからね」
「私が怒られるのですか?」
商会員たちの言葉に会場が笑いに包まれる。
「当然です」
「理不尽ですね」
カイルが肩を竦める。
そのやり取りに、リディアも思わず笑った。
こんな賑やかな空気も、今では心地良い。
以前の自分なら緊張していただろう。正しく振る舞おうとして、きっと疲れていたかもしれない。
けれど今は違う。
失敗してもいい。
完璧じゃなくてもいい。
そう思える。
それだけで、世界はずいぶん優しく見えた。
夜。
祝宴が落ち着いた頃、二人は少しだけ会場を抜け出した。
庭には月明かりが降り注いでいる。
静かな夜だった。
「終わりましたね」
リディアが言う。
するとカイルが笑った。
「始まった、の間違いでしょう」
「そうですね」
思わず笑ってしまう。
確かに、その通りだ。
結婚は終わりではない。ここからが始まりだ。
きっとこれからも色々なことがある。意見がぶつかる日もあるだろう。失敗する日もある。迷う日もある。
けれど、それでもいいと思えた。
隣にはカイルがいる。
そう思うと、不思議と怖くなかった。
カイルがそっと、リディアの手を包み込む。
「リディア」
「はい」
月明かりの下で、カイルは穏やかに微笑んだ。
「これからも失敗しながら生きていきましょう」
一瞬、リディアは目を丸くする。
そして、ふっと笑った。
「ええ」
「その方が、きっと面白い人生になります」
「ええ。間違いありません」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく笑い声をこぼした。
リディアはそっと夜空を見上げる。
婚約破棄された日。
自分を責め続けていた日々。
あの頃の自分が今の姿を見たら、きっと驚くだろう。
それでも伝えたい。
大丈夫だと。
「あの頃の私は、あの頃の私なりに精一杯だった」
小さく呟く。
後悔もあった。
失敗もあった。
遠回りもした。
けれど無駄ではなかった。
あの日々があったから、今ここにいる。
カイルが優しく頷く。
「そうですね」
そして静かに続けた。
「だから今のあなたがいる」
その言葉が胸に染みた。
未来に正解はない。
だからこそ、自分で選ぶことができる。
迷いながら。
失敗しながら。
そのたびに立ち止まり、また歩き出せばいい。
正しい答えは、一つではなかった。
遠回りしたから出会えた景色があり、失敗したから出会えた人がいる。
だからもう、答えを探し続けることはない。
これからは、自分で選びながら歩いていく。
愛する人と、一緒に。
リディアは愛する人の手を握りながら、静かに微笑んだ。
「――これが、私の選んだ答えです」
月明かりが二人を優しく照らしていた。
二人が選んだ未来は、ここから静かに続いていく。
【完】
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