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「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


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18/21

第18話 これからも隣で

 想いを伝え合った日から、数週間が過ぎた。


 共同事業は、いよいよ最後のまとめへ入っていた。ルビー・ロッサは王都だけでなく近隣の領地にも広がり、新たな販路も次々と決まっていく。


 商会の中は今日も忙しい。けれど、その忙しさは以前とは違っていた。


 誰もが笑顔だった。


 成功を確信しているからだ。


「おはようございます、リディア様」


「おはようございます、カイル様」


 朝の挨拶も、もうすっかり日常になっていた。けれど、恋人になってからは少しだけ違う。


 目が合うと自然に笑ってしまう。その笑顔につられるように、相手も笑う。ほんの小さな変化だった。


 けれど、それだけで一日の始まりが少し幸せになる。


「会頭」


 横からエマが声を掛ける。


「はい?」


「最近、ご機嫌ですね」


「そうでしょうか」


「ええ」


 即答だった。


「以前より笑顔が増えました」


 カイルは照れたように笑う。


「仕事が順調ですから」


「もちろん、それだけではありませんよね」


 エマは意味ありげに微笑み、そのまま仕事へ戻っていった。


 その視線の先では、リディアが職員たちと楽しそうに話している。その笑顔を見るだけで、カイルの頬は自然と緩んだ。


 昼休み。


 二人は市場裏の小さな食堂へ足を運んでいた。


「懐かしいですね」


 リディアが笑う。


「初めてご一緒した時のお店です」


「あの時は、随分緊張していらっしゃいました」


「今思い返すと恥ずかしいです」


「私は嬉しかったですよ」


「え?」


「こうして一緒に昼食を取れるようになって」


 さらりと言われ、リディアは思わず頬を染めた。


「どうかなさいましたか?」


 不思議そうに首を傾げるカイルに、リディアは小さく笑う。


「カイル様は、そういうことを何気なくおっしゃいますよね」


「そうでしょうか」


「そうなのです」


 二人で顔を見合わせ、笑った。


 焼きたてのパンを頬張りながら、本の話や市場で見つけた珍しい品の話をする。どれも他愛のない会話だった。


 けれど、その何気ない時間が、今は何より大切だった。


 午後。


 共同事業最後の報告会が開かれた。


 各地から届いた報告は、どれも喜ばしいものばかりだった。


「北部への販路も順調です」


「加工品も好調です」


「来月から新しい取引も始まります」


 報告が終わるたび、会議室には拍手が起こる。


 最後にカイルが立ち上がった。


「皆さん、本当にありがとうございました」


 穏やかな声が響く。


「この事業がここまで成功したのは、一人の力ではありません。ここにいる皆さんが、それぞれの力を貸してくださったからです」


 職員たちの表情が誇らしげに輝く。


「そして」


 カイルはリディアへ視線を向けた。


「新しい風を運んでくださった方にも、感謝しています」


 一斉に拍手が起こった。


 リディアは驚き、慌てて首を振る。


「私は……」


「いいえ」


 カイルは優しく微笑む。


「あなたがいてくださったから、私たちは新しい景色を見ることができました」


 胸がいっぱいになる。


 自然と笑みがこぼれた。


 夕方。


 職員たちは口々に挨拶を交わしながら帰っていく。賑やかだった商会は、少しずつ静けさを取り戻していった。


 会議室には、リディアとカイルだけが残っている。


 窓の外では夕日が街を茜色に染めていた。


「終わってしまいましたね」


 リディアがぽつりと呟く。


 カイルは静かに頷いた。


「少し寂しいですか?」


「はい」


 素直に答えた。


「毎日ここへ来るのが当たり前になっていましたから」


 少し照れながら笑う。


「私もです」


 カイルは窓の外へ目を向けた。


「共同事業は、今日で一区切りです」


「はい」


「最初は、この事業が終われば、それで終わりだと思っていました」


 少しだけ苦笑する。


「ですが、終わりが近づくにつれて気付いたのです」


 リディアは静かに耳を傾ける。


「このまま毎日お会いできなくなる未来を想像すると、どうにも落ち着かなくて」


 照れたように笑う。


「仕事が終わることが寂しいのではありません」


 一歩、リディアへ近づく。


「あなたと離れることが、寂しかったのです」


 胸が熱くなる。


 リディアは何も言えなかった。


 ただ、その言葉が嬉しかった。


「少し歩きませんか」


「はい」



 二人は最初によく歩いた川沿いの遊歩道へ向かった。


 夕焼けが川面を黄金色に染めている。風が心地良かった。


「ここへ来るのも久しぶりですね」


 リディアが笑う。


「最初に一緒に歩いた頃は、こんな日が来るとは思いませんでした」


「私もです」


 静かに歩く。


 もう沈黙は気まずくなかった。


 隣にいるだけで安心できる。


 そんな関係になっていた。


 やがてカイルが足を止める。


「リディア」


 名前で呼ばれる。


 その声が、優しく胸へ響いた。


「はい」


 振り返ると、カイルは少し照れたように笑っていた。


「私は予定通りに生きるのが苦手です」


「知っています」


「でしょうね」


 二人とも笑った。


 緊張が少しだけ和らぐ。


「ですが」


 その瞳は真剣だった。


「あなたと過ごす未来だけは、ずっと望んでいました」


 胸が熱くなる。


「予定通りにならない人生でもいい」


 優しい声だった。


「失敗してもいい」


 これまで何度も救われてきた声。


「遠回りしてもいい」


 カイルはそっと手を差し出す。


「だから」


 一瞬だけ緊張したように息を吐く。


 それから微笑んだ。


「私と結婚してください」


 リディアの目から涙が零れる。


 正しいからではない。


 条件が良いからでもない。


 ただ、この人と一緒にいたい。


 そう思えたから。


 リディアは差し出された手を取った。


「はい」


 迷いなく答える。


「喜んで」


 その瞬間、カイルが心から安堵したように笑った。


 その笑顔を見て、リディアも笑う。


 夕暮れの風が二人の間を優しく吹き抜ける。


 初めて市場を歩いた日。


 一緒に昼食を食べた日。


 本を貸し借りした日。


 「本当はどうしたいのですか」と問い掛けられた日。


 失敗ではなく、経験だと教えてもらった日。


 想いを伝え合った日。


 一つひとつの思い出が、胸の中で温かく重なっていく。


 あの日、婚約を解消された時には想像もしなかった未来だった。


 あの別れは、終わりではなかった。


 自分の人生を、自分で選び直すための始まりだったのだ。


 未来に答えはない。


 正解もない。


 それでも。


 自分たちで選んだこの未来なら、何度でも歩いていける。


 失敗しても。


 遠回りしても。


 二人なら。


 そう信じられた。



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