↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/22

第18話 これからも、あなたと

 想いを伝え合った日から、数週間が過ぎた。共同事業は、いよいよ最後のまとめへ入っていた。ルビー・ロッサは王都だけでなく近隣の領地にも広がり、新たな販路も次々と決まっている。

「おはようございます、リディア様」

「おはようございます、カイル様」

 朝の挨拶は以前と何も変わらない。ただ、目が合うとどちらからともなく笑ってしまうようになった。

「会頭」

「はい?」

「最近、ご機嫌ですね」

 書類を抱えたエマが、何気ない顔で言った。

「仕事が順調ですから」

「そういうことにしておきます」

「……何ですか、その言い方は」

「別に?」

 エマは涼しい顔で去っていく。少し離れたところでは、ニコラスがリディアに何かを確認していた。

「こちら、北部支店へ送る分です」

「ありがとうございます。あら、ここだけ数字が違いませんか?」

「えっ」

 ニコラスの顔が固まる。

「……本当だ」

「まだ間に合いますよ」

「直してきます!」

「お願いします」

 慌てて駆けていくニコラスを見送り、リディアが笑う。その姿を見ていたカイルの口元も、自然と緩んだ。

「会頭」

「……何です?」

「やっぱり、ご機嫌ですね」

「仕事に戻ってください」

「はいはい」

 今度こそ、エマは笑いながら去っていった。


* * *


 昼休み、二人は市場裏の小さな食堂へ足を運んだ。

「懐かしいですね」

 席に着いたリディアが店内を見回す。

「初めてご一緒した時のお店です」

「あの時は、ずいぶん緊張していらっしゃいました」

「……覚えているのですか?」

「もちろんです」

 リディアは少しだけ視線を逸らした。

「今思い返すと、恥ずかしいです」

「私は嬉しかったですよ」

「え?」

「今では、こうして一緒に昼食を取るのが当たり前になりましたから」

 あまりにも自然に言われて、リディアの頬が熱くなる。

「カイル様は、そういうことを何気なくおっしゃいますよね」

「そうでしょうか」

「そうなのです」

「では、気をつけます」

「……それはそれで困ります」

 口にしてから、リディアは目を瞬いた。カイルも一瞬黙り、やがてその口元が楽しそうに緩む。

「では、このままで」

「もう……」

 焼きたてのパンを食べながら、最近読んだ本や市場で見つけた珍しい品の話をした。特別なことなど何もない。それでも、リディアはこんな時間が好きだった。


* * *


 午後、共同事業最後の報告会が開かれた。

「北部への販路は順調です」

「加工品も、当初の予想を上回っています」

「来月から新しい取引も始まる予定です」

 報告が読み上げられるたび、会議室の空気が明るくなる。リディアは手元の資料へ目を落とした。そこには、自分たちが積み重ねてきた仕事の結果が数字となって並んでいる。

 最初からうまくできたわけではない。分からないことも、間違えたこともあった。そのたびに誰かに聞き、皆で考え、やり直してきた。それでも、ここまで来た。

「最後に」

 カイルが立ち上がった。

「皆さん、本当にありがとうございました。この事業がここまで育ったのは、一人の力ではありません。ここにいる全員が、それぞれできることを積み重ねてくださった結果です」

 職員たちが顔を見合わせる。

「そして、私たちに新しい視点をくださった方にも、感謝しています」

 カイルの視線がリディアへ向き、拍手が広がった。一瞬だけ、胸の奥が落ち着かなくなる。

 以前なら、すぐに否定していただろう。自分だけの力ではない。もっと頑張った人がいる。自分が褒められるほどではない。けれど今は、リディアは立ち上がり、その言葉をまっすぐ受け取った。

「ありがとうございます。私一人では、ここまで来られませんでした。皆さんと一緒に仕事ができたことを、とても嬉しく思っています」

 顔を上げると、エマが笑っていた。ニコラスが誰よりも大きく拍手している。そしてカイルも、嬉しそうに笑っていた。リディアも笑う。

 できなかったことではなく、できたことを喜んでいい。ようやく、そう思えるようになっていた。


* * *


 夕方、仕事を終えた二人は川沿いの遊歩道を歩いていた。夕日が川面を金色に染め、涼しい風が髪を揺らしていく。

「ここへ来るのも久しぶりですね」

「そうですね」

 リディアは川へ目を向けた。以前ここを歩いた時、カイルに聞かれた。本当は、どうしたいのですか、と。あの頃は、自分の望みを口にするだけでも勇気が必要だった。今では、それが少し懐かしい。

「リディア」

「……はい?」

 足が止まった。初めて呼び捨てにされた名前が、思っていた以上に優しく胸へ届く。振り返ると、カイルは少しだけ緊張したように笑っていた。

「私は、予定通りに生きるのが苦手です」

「知っています」

「即答ですか」

「何度振り回されたと思っているのですか」

「それは申し訳ありません」

「本当にそう思っています?」

「……半分ほどは」

「カイル様」

 二人で笑う。その笑いが収まるのを待ってから、カイルは改めてリディアを見た。

「これから先も、きっと予定通りにはいかないと思います。間違えることもあるでしょうし、考えが合わないこともあるかもしれません」

 リディアは黙って聞いていた。

「それでも、そのたびに二人で考えていきたい」

 カイルが手を差し出す。

「あなたと、これからも一緒にいたい」

 一度だけ息を吸い、まっすぐリディアを見つめた。

「私と結婚してください」

 胸の奥が熱くなった。けれど、迷いはなかった。家柄でも、条件でも、誰かに勧められたからでもない。この人と一緒にいたい。嬉しいことも、思い通りにならないことも、この人となら一緒に考えていきたい。それが、リディア自身の望みだった。

 だから今度は、待たなかった。差し出された手へ、自分から手を重ねる。

「はい」

 カイルの瞳がわずかに揺れた。リディアは笑う。

「私も、あなたと一緒に生きていきたいです」

 その瞬間、カイルの肩から力が抜けた。

「……良かった」

「そんなに不安だったのですか?」

「もちろんです」

「カイル様でも?」

「私を何だと思っているのですか」

「予定変更に強い方です」

「これは予定変更されたくありません」

 リディアは吹き出した。

「では、ご安心ください」

「はい?」

「今のところ、変更する予定はありません」

「今のところ?」

「未来のことは分かりませんから」

 カイルが目を丸くする。リディアは少しだけ得意げに笑った。

「分からないことを、今から心配しても仕方がないのでしょう?」

 一拍置いて、カイルが笑い出した。

「本当に、ずいぶん変わりましたね」

「そうでしょうか」

「ええ」

「でも、これも私です」

「そうですね」

 カイルが重ねた手を握る。

「私の好きなリディアです」

 また頬が熱くなった。

「……そういうことを急に言うのは、ずるいです」

「気をつけましょうか?」

「それは……」

 リディアは少し考えた。

「たまになら、許します」

「分かりました」

 目が合って、二人で笑った。川面では、夕日の光が揺れている。

 ――本当は、どうしたいのですか。

 かつては答えられなかった問い。けれど今なら、答えられる。

 過去をなかったことにする必要はない。間違えたことも、迷ったことも、傷ついたこともある。それも含めて、自分の人生だった。そして、これから先は、正しいかどうかではなく、自分がどうしたいのかを考えていけばいい。

 リディアは隣にいるカイルを見上げた。この人と歩いていきたい。今は、それが自分の答えだった。

 重ねた手を、自分から少しだけ強く握る。カイルも同じように握り返した。

「帰りましょうか」

「はい」

 二人はもう一度歩き出す。夕暮れの川沿いを、同じ歩幅で。

 これから先も、きっと予定通りにはいかない。それでも、そのたびに二人で考えればいい。隣には、同じ景色を見ながら歩いていきたい人がいる。それだけで、今は十分だった。

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。