表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/21

第17話 想いを伝えて

 リディアが覚悟を決めてから、数日が過ぎた。


 共同事業は変わらず順調だった。職員たちは忙しく働き、商会には今日も活気が満ちている。


 周囲から見れば、いつもと変わらない日常だった。けれど、リディアの胸の内だけは違っていた。


 伝えよう。


 自分の気持ちを。


 そう決めてから、ずっと機会を探していた。緊張はする。怖くないわけではない。


 それでも逃げたくはなかった。


 これは誰かに求められた答えではない。


 自分で選んだ一歩だから。



 その日の夕方。


 仕事を終えたリディアは商会の庭園へ向かった。裏庭にある小さな庭園には季節の花が咲き、夕暮れの柔らかな光が辺りを包んでいた。


 そのベンチに、カイルが一人座っている。


 何かを考えるように、静かに空を見上げていた。


「カイル様」


 声を掛ける。


 カイルは振り返り、少し驚いたように目を瞬かせた。


「リディア様」


 すぐに穏やかな笑顔になる。


「どうしました?」


 その笑顔を見るだけで、胸が温かくなった。


 やはり好きだ。


 その想いは、もう揺らがない。


「少し、お話がしたくて」


 カイルは優しく隣を示した。


「もちろんです」


 リディアはゆっくり腰を下ろす。鼓動が早い。けれど、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 しばらく沈黙が流れる。風が花を揺らし、遠くから職員たちの笑い声が聞こえてきた。


 穏やかな時間だった。


「私」


 リディアは静かに口を開く。


「ずっと正しい答えを探していました」


 カイルは何も言わず耳を傾ける。


「侯爵令嬢として。婚約者として。失敗しないように。期待に応えられるように」


 あの頃は、それだけを考えていた。


 何がしたいかではなく。


 何が正しいかだけを。


「でも」


 小さく笑う。


「幸せにはなれませんでした」


 今なら、その事実も受け入れられる。過去を責めることなく、自分を責めることなく。


「それはリディア様が悪かったからではありません」


 カイルが静かに言う。


 リディアは頷いた。


「はい」


 微笑みながら続ける。


「あの頃の私は、あの頃の私なりに精一杯だったのだと思います」


 その言葉を口にすると、胸の奥が少し温かくなった。


 カイルも優しく微笑む。


 その笑顔が、最後の勇気をくれた。


「そして今は」


 リディアは胸へ手を当てる。


「あの日までの私なら、誰かが決めてくれるのを待っていました。相手が選んでくれるのを待っていました」


 一度、息を吸う。


「でも、もう違います」


 真っ直ぐカイルを見る。


「私は、自分で選びたいと思っています」


 カイルの表情が静かに引き締まる。


 しばらく見つめ合う。


 やがて彼は、小さく息を吐いた。


「その前に、一つだけ聞いてもよろしいですか」


「はい」


「もし私が商会を失ったら、どうしますか」


 思いがけない問いだった。


 けれどリディアは迷わなかった。


「一緒に次の方法を考えます」


「男爵位を失っても?」


「変わりません」


「財産まで失ったら?」


「それでもです」


 静かな声だった。


 けれど、少しも揺らがない。


 カイルは小さく笑った。


「安心しました」


「安心?」


「ええ」


 ゆっくりとリディアを見つめる。


「あなたが見てくださっていたのは、肩書きでも商会でもなく、私自身だったのですね」


 その言葉に、リディアは首を横に振った。


「当然です」


 頬が少し熱くなる。


 それでも目は逸らさない。


「私は、商会長だから好きになったわけではありません」


 一度だけ深呼吸をする。


「カイル様だからです」


 庭園が静まり返る。


 夕風だけが優しく吹いていた。


「私は……」


 少し照れながら笑う。


「あなたが好きです」


 ようやく伝えられた。


 ずっと胸に抱いてきた想いだった。


 カイルは何も言わなかった。


 驚いたように、ただリディアを見つめている。


 やがて、小さく笑った。


「……参りました」


 その笑顔は、どこまでも優しかった。


「本当は」


 一度言葉を切る。


「私から、お伝えするつもりだったのですが」


 少し困ったように笑う。


「先を越されてしまいましたね」


 その一言に、リディアも思わず笑ってしまう。張り詰めていた緊張が、少しだけほどけた。


 カイルはゆっくり立ち上がる。


 そして、リディアの前へ歩み寄った。


「最初は、放っておけない人だと思っていました」


 穏やかな声が響く。


「真面目で、人のためには頑張れるのに、自分には優しくなれない人でした」


 懐かしそうに微笑む。


「もっとあなたに笑ってほしいと思いました」


 一歩、近づく。


「もっとあなたのことを知りたいと思いました」


 そして。


「気付けば」


 優しく目を細める。


「あなたが笑う理由になりたいと、そう願うようになっていました」


 リディアの瞳が揺れる。


「あなたが笑うと嬉しい。落ち込んでいると気になる。一緒にいる時間が、何より心地いい」


 静かに息を吸う。


「リディア様」


 真っ直ぐ見つめる。


「私も、あなたを愛しています」


 その瞬間、リディアの目から涙がこぼれた。


 悲しい涙ではない。


 胸いっぱいに広がる、幸せの涙だった。


「ありがとうございます……」


 それしか言えなかった。


 カイルは少しだけ困ったように笑う。


「泣かせるつもりはなかったのですが」


「嬉しくて……」


 二人とも笑う。


 夕暮れの庭園に、穏やかな笑い声が溶けていった。


 やがてカイルは、ためらうように右手を差し出す。


「手を……つないでもよろしいですか」


 その言葉に、リディアは涙を拭って微笑んだ。


「はい」


 そっと手を重ねる。


 指先から伝わる温もりは、思っていたよりも優しかった。


 その温もりを確かめるように、お互い少しだけ力を込める。


 もう言葉はいらなかった。


 夕暮れの風が二人の間を静かに吹き抜ける。


 その温もりだけで、十分だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ