第16話 本当の気持ち
その日の帰り道。
リディアは馬車の窓から流れる景色を眺めていた。夕暮れの街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。けれど意識は、別のところにあった。
夜会の日のこと。
ロイとの会話。
そして、最近のカイルのこと。
思い返せば、彼はいつも問いかけていた。答えを押し付けることはしなかった。こうするべきだとも言わなかった。
ただ何度も聞いてくれたのだ。
――本当はどうしたいのですか?
その言葉が、今も胸の奥に静かに残っている。
◇
屋敷へ戻ったあとも、どこか落ち着かなかった。
部屋へ入り、本棚の前に立つ。そこには商会へ通うようになってから増えた本が並んでいた。
冒険譚。
旅行記。
歴史書。
以前の自分なら、きっと手に取らなかった本ばかりだ。
背表紙をそっと指でなぞりながら、小さく笑う。
少し前までの自分は、正しい答えばかり探していた。
失敗しない選択。
期待に応える選択。
誰かが喜ぶ選択。
そればかりを考えていた。
けれど今は違う。
好きな本を読む。
行ってみたい場所を知る。
やってみたいことへ挑戦する。
そんな当たり前のことが、少しずつ嬉しくなっていた。
そして気付けば、会いたいと思う人もできていた。
そこまで考えて、リディアは静かに息を吐く。
好き。
その気持ちは、もう疑いようがなかった。
窓辺へ歩き、ガラスに映る自分を見つめる。
昔の自分なら、どうしただろう。
きっと待っていた。
相手が気付いてくれるのを。
相手が選んでくれるのを。
相手が答えを出してくれるのを。
自分から動くことは、きっとなかった。
けれど、それもまた誰かに委ねていただけだったのかもしれない。
恋も。
人生も。
本当は、自分で選ぶものなのだ。
誰かに決めてもらうものではない。
正しいと言われたから選ぶものでもない。
幸せになれそうだから選ぶものでもない。
自分がそうしたいから、選ぶ。
それが今なら分かる。
「私は……」
小さく呟く。
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
カイルといる時間が好きだった。一緒に笑う時間が好きだった。彼の言葉に何度も救われた。
気付けば、会いたいと思うようになった。
もっと話したいと思うようになった。
もっと彼のことを知りたいと思うようになった。
そして、これから先も隣で笑っていたいと思うようになった。
未来に保証はない。
うまくいくかどうかも分からない。
断られるかもしれない。
今の関係が変わってしまうかもしれない。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも。
この気持ちを知らなかった頃には、もう戻れなかった。
リディアは窓を開けた。夕方の風が頬を優しく撫でる。どこか背中を押してくれているような、穏やかな風だった。
未来に正解はない。
きっとこれからも迷う。
失敗することもある。
遠回りすることもある。
それでも構わない。
あの日、婚約を解消された時、人生が終わったのだと思っていた。答えを失ってしまったのだと思っていた。
けれど違った。
あれは終わりではなかった。
自分の人生を、自分で歩き始めるための始まりだったのだ。
リディアは胸元へそっと手を当てる。鼓動が少し速い。緊張している。不安もある。
それでも、もう逃げたくはなかった。
「伝えましょう」
その言葉は、驚くほど自然に口からこぼれた。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
カイルがどう思っているのかは分からない。
返事がどうなるのかも分からない。
それでもいい。
待つだけではなく。
誰かに選んでもらうのでもなく。
今度は、自分で一歩を踏み出したい。
その想いだけは、もう揺らがなかった。
窓の外には夕暮れの空が広がっている。茜色に染まる空を見上げながら、リディアは静かに微笑んだ。
風は変わらず、優しく吹いている。
その風に背中を押されるように、彼女はそっと目を閉じた。
もう、立ち止まらない。
どんな未来が待っていたとしても。
自分で選び、自分で歩いていく。
その覚悟だけは、胸の中にはっきりと息づいていた。
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