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「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


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第16話 本当の気持ち

 その日の帰り道。


 リディアは馬車の窓から流れる景色を眺めていた。夕暮れの街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。けれど意識は、別のところにあった。


 夜会の日のこと。


 ロイとの会話。


 そして、最近のカイルのこと。


 思い返せば、彼はいつも問いかけていた。答えを押し付けることはしなかった。こうするべきだとも言わなかった。


 ただ何度も聞いてくれたのだ。


 ――本当はどうしたいのですか?


 その言葉が、今も胸の奥に静かに残っている。



 屋敷へ戻ったあとも、どこか落ち着かなかった。


 部屋へ入り、本棚の前に立つ。そこには商会へ通うようになってから増えた本が並んでいた。


 冒険譚。


 旅行記。


 歴史書。


 以前の自分なら、きっと手に取らなかった本ばかりだ。


 背表紙をそっと指でなぞりながら、小さく笑う。


 少し前までの自分は、正しい答えばかり探していた。


 失敗しない選択。


 期待に応える選択。


 誰かが喜ぶ選択。


 そればかりを考えていた。


 けれど今は違う。


 好きな本を読む。


 行ってみたい場所を知る。


 やってみたいことへ挑戦する。


 そんな当たり前のことが、少しずつ嬉しくなっていた。


 そして気付けば、会いたいと思う人もできていた。


 そこまで考えて、リディアは静かに息を吐く。


 好き。


 その気持ちは、もう疑いようがなかった。


 窓辺へ歩き、ガラスに映る自分を見つめる。


 昔の自分なら、どうしただろう。


 きっと待っていた。


 相手が気付いてくれるのを。


 相手が選んでくれるのを。


 相手が答えを出してくれるのを。


 自分から動くことは、きっとなかった。


 けれど、それもまた誰かに委ねていただけだったのかもしれない。


 恋も。


 人生も。


 本当は、自分で選ぶものなのだ。


 誰かに決めてもらうものではない。


 正しいと言われたから選ぶものでもない。


 幸せになれそうだから選ぶものでもない。


 自分がそうしたいから、選ぶ。


 それが今なら分かる。


「私は……」


 小さく呟く。


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


 カイルといる時間が好きだった。一緒に笑う時間が好きだった。彼の言葉に何度も救われた。


 気付けば、会いたいと思うようになった。


 もっと話したいと思うようになった。


 もっと彼のことを知りたいと思うようになった。


 そして、これから先も隣で笑っていたいと思うようになった。


 未来に保証はない。


 うまくいくかどうかも分からない。


 断られるかもしれない。


 今の関係が変わってしまうかもしれない。


 怖くないと言えば嘘になる。


 それでも。


 この気持ちを知らなかった頃には、もう戻れなかった。


 リディアは窓を開けた。夕方の風が頬を優しく撫でる。どこか背中を押してくれているような、穏やかな風だった。


 未来に正解はない。


 きっとこれからも迷う。


 失敗することもある。


 遠回りすることもある。


 それでも構わない。


 あの日、婚約を解消された時、人生が終わったのだと思っていた。答えを失ってしまったのだと思っていた。


 けれど違った。


 あれは終わりではなかった。


 自分の人生を、自分で歩き始めるための始まりだったのだ。


 リディアは胸元へそっと手を当てる。鼓動が少し速い。緊張している。不安もある。


 それでも、もう逃げたくはなかった。


「伝えましょう」


 その言葉は、驚くほど自然に口からこぼれた。


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。


 カイルがどう思っているのかは分からない。


 返事がどうなるのかも分からない。


 それでもいい。


 待つだけではなく。


 誰かに選んでもらうのでもなく。


 今度は、自分で一歩を踏み出したい。


 その想いだけは、もう揺らがなかった。


 窓の外には夕暮れの空が広がっている。茜色に染まる空を見上げながら、リディアは静かに微笑んだ。


 風は変わらず、優しく吹いている。


 その風に背中を押されるように、彼女はそっと目を閉じた。


 もう、立ち止まらない。


 どんな未来が待っていたとしても。


 自分で選び、自分で歩いていく。


 その覚悟だけは、胸の中にはっきりと息づいていた。



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